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本当の問題は、パレスチナ人たちが希望を見いだせないことである

2021年5月14日、東エルサレムのシェイク・ジャラー地区で、パレスチナ人の数家族が強制立ち退きの危機に瀕し、その境遇に抗議する者と格闘するイスラエルの国境警備隊。(AP Photo/マフムード・イルレアン)
2021年5月14日、東エルサレムのシェイク・ジャラー地区で、パレスチナ人の数家族が強制立ち退きの危機に瀕し、その境遇に抗議する者と格闘するイスラエルの国境警備隊。(AP Photo/マフムード・イルレアン)
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16 May 2021 01:05:18 GMT9
16 May 2021 01:05:18 GMT9

携帯電話で撮影されたその憂慮すべき映像では、抗議する若者たちが、燃え盛るビルの炎に照らされた暗い通りを走り、叫び声や悲鳴、銃声が入り混じり、こだましていた。

それは先週の月曜日のエルサレム、ロード、ヤッファやガザの映像では無い。映像は日曜日、イラク中部のカルバラで撮られたものだ。この激しい抗議活動は、ほぼ確実にイランの支援が疑われる正体不明の者の銃撃によって、若い活動家が暗殺されたことに端を発している。抗議する若者たちが求めているものは変わらない:恐怖からの解放、テヘランの邪悪な影響からの解放、そして尊厳と希望に満ちた人生を送る自由である。彼らはイランの領事館に火を放ち、スローガンを叫び、命懸けで走った。

イラクで起きていることを取り上げたのは、イスラエルやパレスチナ占領地で起きていることの影響を軽減することを意図しているわけでもない。取り上げたのは、この地域で起きていることの背景を正しく捉えるためである。多くの近辺地域では、国家やその支援を受ける者、民兵、その他のイデオロギーに傾倒した反社会的主義者による暴力が蔓延している。イスラエル(が主張していること)と、イラン、ヒズボラ、アサイブ・アフル・ハックが実行していることの違いは、一方が実際の脅威、あるいは想像上の脅威に対して、国家の力を動員して対応しているのに対し、他方は賄賂、脅迫、暗殺など表ではなく、影で蠢いていることである。活動家が頭を撃たれたり、抗議者が狙撃手に狙われたり、ヤジディ教徒やアッシリアのキリスト教徒、スンニ派やクルド人の村人たちが、イランやその友人たちが好む人々のために先祖代々の家から追い出されても、世界は見て見ぬふりをしている。

今起こっていることと最も似ているのは、ロシアの空軍とイランの支援を受けたシリアのアサド政権による自国民に対する長期にわたる血なまぐさい内戦であろう。 それが今では10日どころか10年も続いている。しかし、ダーイシュの残虐行為、ダマスカス、モスクワ、テヘランから嵐の如く発信されるプロパガンダ、適切な報道に対する残忍な規制、そして状況のあまりの複雑さに、人々の注意力は尽きてしまっている。

私はシェイク・ジャラーに4年間住んでいた。大きな町ではなく、旧マンデルバウム門の東側、ワディ・アル・ジョズの北側、そして1967年6月以降の最初のイスラエル人入植地であるフレンチ・ヒルの南側に位置する。北東には、後にローマ皇帝となるティトゥスやアブ・ウバイダなど、エルサレムを包囲した人々が陣を敷いたスコプス山がある。今日、ヘブライ大学が、1920年代の自由主義的な希望と、1948年と1967年の野蛮な戦いの両方の記念碑として、街にそびえ立っている。

100年前にエルサレムの名家が建てた優雅な邸宅を横目に、丘を下ってから、また上ると、アメリカンコロニーホテルや、いわゆる王家の墓、セントジョージ大聖堂や学校など、昔のパレスチナ人エリートの教育機関がある。そこから東エルサレムの主要なショッピング街であるサラフディン通りに出て、静かなエコール・ビブリクを行くとダマスカス門に至る。門の前に立って左を見ると、数メートル下にかつてのローマ時代の通りを見ることができる。門をくぐると、旧市街のスークや曲がりくねった路地に迷い込んだような思いに囚われる。そこには美しいアイユーブ朝、マムルーク朝、オスマン帝国のカーン、マドラサ、そしてモスク、アルメニア、シリア、正教会、十字軍教会などがある。イスラム教の聖職者、ユダヤ教の超正統派、修道女や司祭のグループ、ヴィア・ドロローサを歩くツアー客、アル・アクサに向かう礼拝者などとすれ違う。大きな石のアーチの下を注意深く見ると、中世の石工たちが残した痕跡を見ることができる。彼らは自らの技術を誇りに思っており、古の建築家がそうするように、作者を知らせようとしている。最初のうちはゆっくり、その内気が付かない内に、イスラム教区、ユダヤ教区、アルメニア教区、キリスト教区と通り過ぎて行く。1898年にカイザー・ウィルヘルム2世の訪問に合わせて無造作に広げられたヤッフォ門は、今ではもう一つの紛争が絶えない共有空間となっている。外側には、ビザンチン時代の教会、中世の墓地、マムルーク時代の霊廟の跡地に建てられ、物議を醸しているマミーラコンプレックスがある。

イスラム教徒、ユダヤ人、キリスト教徒、イスラエル人、パレスチナ人、アルメニア人、ギリシャ正教徒など、多くの人々が自分たちはこの街の魂の一部を所有していると信じている。それが過去の紛争につながったいる。より最近では、第二次インティファーダの火種となったのは、アリエル・シャロンが扇動的にハラーム・アル・シャリフを訪れたことだった。

この20年間は、パレスチナ人がこのまま静かに歴史の長い夜に溶け込んでいくのではないかという、危険な妄想を育んできた。

ジョン・ジェンキンス卿

そして、また同じことが巡って来た。毎回、同じことが起こる。でも毎回、違ってもいる。今回の火種は、イスラエルの警察の強引な行動、エルサレム・デーに旧市街を練り歩くユダヤ人右派民族主義者のパレード、そしてイスラエルの挑発者たちが応援するシェイク・ジャラー地区のパレスチナ人家族が、新たに立ち退きを迫られる見通しだった。

積る不満は現実のものだ。パレスチナ人たちは、エルサレムで建築許可を得ることも、没収された財産を取り戻すこともできない。イスラエルのユダヤ人は両方とも可能である。パレスチナの若者たちは、ラマダン期間中にダマスカス門で囲われることに憤りを感じている。自分たちにとって最も重要な都市の中心部で、二流の地位にあることを直感的に思い出させるからである。また、アル・アクサの礼拝者を厳しく取り締まることは、2000年7月に起きたようなトラブルを招くこととなる。不信感は言葉にできないほど深い。

しかし、本当の問題は、希望が持てないことにある。あまりにも多くの一般のパレスチナ人が見捨てられたと感じている。彼らは政治的主体性を否定されている。パレスチナ自治政府は、もはや彼らの利益を代表していない。少しでも救いの手を差し伸べることができるはずの選挙は、先月、透かしのように、明らかに薄い理由で急遽中止された。

一方、ハマスは、エルサレムを守る唯一の実効性のある防御者を装うことで、絶望感を利用し、状況を悪化させようとしている。定期的に行われる世論調査では、ハマスのガザでの人気は西岸よりも一貫して低いことを示唆している:彼らの鉄の棒で支配されている人々は、彼等の虚像をよく知っているだけのことだ。しかし、ハマスには、PLO内でファタハに代わって全パレスチナ人の保護者となることを期待するなど、紛争を誘発する彼等独自の内部的な理由がある。また、イスラエルの慢性的な政情不安を悪化させることは、自らの目的を達成するための助けになるという計算もあるであろう。

そして、ハマスがテルアビブ、アシュドッド、アシュケロン、ベエルシェバに向けて発射した数百発のロケット弾(多くはイランが供給または設計している)の最終的な成果は?私がこの原稿を書いている間にも、イスラエル人7名(イスラエルに住むパレスチナ人2名を含む)が死亡、多数の負傷者が出ており、当然イスラエル軍はガザの標的に対して猛烈な復讐心を燃やしている。おかげでパレスチナ人はハマスの幹部を含む約60名が死亡、ガザやエルサレムなどで数百名が負傷しており、イスラエルに住むパレスチナ人とユダヤ系イスラエル人が対立するという、共同体内の悪質な暴力も発生している。

マフムード・アッバースは再び弱体化した。そして、アブラハム合意に署名した国々は、突然、非常に居心地の悪い立場に立たされることになった。そうした国々は、今起こっていることに対し、深い憂慮を抱いていることを表明している。しかし、この合意の理論的根拠の一つは、署名国がイスラエルに対して何らかの影響力を持つことであった。現状にイランやヒズボラ(少なくとも)が嬉しそうにしているのは、対立が署名国の主張を空虚なものにし、その結果、合意が台無しになるからである。ハマスの指導者、イスマーイール・ハニーヤ、ヤヤ・シンワー、そして特にモハメッド・デーフは、この1週間の仕事に満足しているに違いない。

パレスチナ人の将来はもはや重要ではないと考えていた人は、その考えを覆された。確かに、パレスチナ問題は、この地域の多くの人々にとって支配的な問題ではなくなった。雇用、安全、尊厳、過激派との戦い、効率的で公平な国家の建設などの方がはるかに重要である。しかし、パレスチナ問題はまだ重要である。好むと好まざるとにかかわらず、また、関係する個人にかかわらず、感情を刺激し、意見を動員する独特の影響力がある。

そして、パレスチナ人が自分たちの運命をコントロールできるような政治的解決策がなければ、紛争は決して終わらないであろう。パレスチナ問題は膨大な人間の苦しみをもたらし続けるであろう。それは、またアラブ・イスラム世界全体に忸怩たる同情と連帯感の波を呼び起こし続けるであろう。意見の偏りはさらに大きくなるであろう。そして、イラン、中国、ロシア、北朝鮮、気候変動、リベラルな世界秩序の将来など、アメリカ、欧州、西洋全般にとって客観的に重要な他の問題から注意をそらすことにもなる。これ等はほんの一例に過ぎない。

問題は、このようなことが二度と起こらないようにするにはどうしたらよいかということである。そして、その答えは、これまでと同じでしかあり得ない。私たちは、イスラエルとパレスチナ双方の正当な代表者が、100年来の紛争を終結させ、イスラエルを含む他国の国民の希望を損なうことなく、将来の国民の希望を満たすことができる独立したパレスチナ国家の創設について交渉できるようにするための、適切なプロセスを必要としている。これを実現するためには、米国がこの10年間以上の関心を払う必要がある。また、EUが少なくともしばらくの間でも、失敗続きではあるが、これまで主張してきた通りの政治力を発揮する必要がある。そして、エジプトとヨルダンの重要性を認識する必要もある。両国は重荷を背負っており、私たちのサポートを必要としている。この二か国の協力がなければ、パレスチナ国家の創設はうまくいかない。その上で、イスラエルとの和平を実現した、あるいは実現したいと考えている湾岸諸国が、自国の国益を否定したり、地域全体の多くの人々が深く抱いている感情に逆らったりすることを求められるのではなく、和平の結果を形作り、保証し、一般のパレスチナ人の願望を支援できるようにする必要がある。

私たちは何よりも、今回の野蛮でシニカルな暴力が最後になるよう努めるべきである。この20年間は、危険な妄想を育んできた。パレスチナ人は歴史の長い夜に静かに溶け込んでいくだろう、ハマスはその答えの一部であり、ファタハの老人たちはパレスチナたちのコミュニティを代表しており、イランは手なずけることができ、そしてイスラエルと地域の関係を正常化すれば、すべてがうまくいくだろうと。私たちは、正義と安全にかなう解決策を見つけるために、集合的な意思を再発見すべきである。出来るであろうか?

  • ジョン・ジェンキンス卿は、ポリシーエクスチェンジのシニアフェローである。201712月まで、バーレーンのマナマに拠点を置く国際戦略研究所(IISS)のコレスポンディング・ディレクター(中東担当)、イェール大学ジャクソン・グローバル・アフェアーズ研究所のシニア・フェローを務めた。また、20151月まで駐サウジアラビア英国大使を務めている。
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