
イスラエルのパレスチナ人はクネセトの選挙のたびに大きなジレンマに悩む。投票すべきか、それとも棄権すべきか?
投票することは選挙結果に影響を与え、自分たちを代表する者を選ぶという全ての市民が持つ基本的な権利を行使することに他ならない。だが過去75年間にあった24回の選挙で投票してきてもパレスチナ系市民の地位向上や社会・経済の発展になんの効果もなかった。
興味深いことに、パレスチナ系政党が史上初の連立政権入りを果たしたにも関わらず、今年11月の総選挙はパレスチナ系有権者の投票率が40%を割り込むだろうとの低い数字が予測されている。これは逆説的だがパレスチナ系政党が連立政権入りしたせいかもしれない。
イスラエルのコメンテーター、ハニン・マジャドリ氏は今年の11月の選挙にパレスチナ系有権者は何も期待していないと指摘する。なぜならアラブ系政党はパレスチナ系有権者に何の便益ももたらさないし、パレスチナ系有権者はクネセトに自分たちを代表する者が増えても自分たちの地位や生活の質が向上するとは思わなくなっているからだ。これはある意味本質を突いているのかもしれない。しかし民主主義のプロセスを放棄してしまうのではなく、目的意識を持ち、支援政党が議席数を増やすことを望み、選挙に参加することが重要だ。
歴史的に見てもイスラエルにおけるパレスチナ系有権者の投票率はユダヤ人の投票率に比べて非常に低い。例えば、前回の総選挙では国民全体の投票率は67.4%だったがパレスチナ系有権者の投票率は44.6%にとどまった。この国の民主主義プロセス全体に対する不信感の表れとして理解できるものの憂慮すべきことだ。
例外的な選挙となった2020年の総選挙では、すべてのパレスチナ政党が候補者を一本化して史上最多となる15議席を獲得した。有権者が高く評価していたのは明らかだったが、この共闘体制はイデオロギーや個人的な相違から瓦解してしまった。続いて行われた昨年の選挙では各政党がバラバラに参戦し、投票率が下がり、獲得議席も10議席にとどまった。
イスラエルのパレスチナ系有権者が自分たちの代議員を選ぶ権利を行使することに熱意が低く無関心であることを責めるのは間違いだ。イスラエルがシオニストとユダヤ人を中心とする国家として誕生して以来、パレスチナ系市民は社会的、政治的な言論から疎外されてきた。しかし、だからこそ政治を放ったらかしにしてパレスチナ系市民を国の言論から完全に排除しようとする人々の好きにさせてはいけないのだ。なぜならベンジャミン・ネタニヤフ元首相や極右政党による組閣を阻止できるのは高い投票率、おそらくパレスチナ系有権者にとって過去最高となる投票率だけだからだ。
政治を放ったらかしにしてパレスチナ系市民を国の言論から完全に排除しようとする人たちの好きにさせてはいけない。
ヨシ・メケルバーグ
アラブ系政党やより進歩的なシオニストグループの支持に回ることは、パレスチナ系市民があらゆる分野で完全な平等を享受するという望ましい効果をすぐに実現するものではないが、その目標への重要な一歩となるだろうし、同時に、公然たる人種差別主義者を登用する政権というはるかに悪い選択肢を阻止することにもなる。「政治とは可能性の芸術である」というのは使い古された言い回しかもしれないが、この状況にまさにぴったりだ。
もしパレスチナ系有権者の投票率がユダヤ人の投票率と同じになれば、次期クネセトのパレスチナ系代議員は現在の10議席から最大で16議席に大きく増える可能性がある。そうなればユダヤ人とアラブ人の共存に反対する政権の誕生を阻止するだけでなく、次期政権にパレスチナ系代議員の入閣が必要となるだろう。
イスラエルのパレスチナ系マイノリティーの地位をより早く、より根本的に変えるという期待があったのに、その短い任期内で実現に向けてあまり進展しなかったという指摘は退陣する政権に対する当然の批判と言える。さらに言えば、国民一人一人がお互いを尊重しあい、尊厳や普遍的な人権と政治的権利に則った社会への待望と期待も、現在はむしろユートピアの夢のように見えてしまう。
パレスチナ系コミュニティーの町や都市への予算配分が遅れ、住宅、計画、建設における深刻な危機の解決やコミュニティ内の犯罪減少については上辺だけの対応だったにせよ、この政権はアラブ・パレスチナ系政党とイスラム系政党が政権入りしたことによって、より良い、より平等な社会を築くために最も重要な心理的・実際的障害の一つを取り去ったのだ。
これは旅の終わりではなくイスラエル社会の残念な現状における重要な第一歩であり、退陣するナフタリ・ベネット首相とヤイール・ラピード外相が率いる連立政権のハイライトの一つとして証明された。この躍進はラアム党、特にマンスール・アッバス党首の建設的で責任ある取り組みにより他の連立パートナー間の小競り合いを幾度となく収めてきたおかげだと言っても差し支えないだろう。しかしこの政権は多数派が史上最小で、政権内の駆け引きが止むことがなく、そして史上最弱の野党連合政権だったことは記憶に留めておくのに値する。
パレスチナ系の政治や、同じくイスラエルのシオニスト政党とユダヤ人政党を特徴づけている分極化、断片化、不安定化がイスラエルのパレスチナ系市民が果たすべき、あるいは果たしうる役割を妨げているとは必ずしも言えないのだ。むしろ、投票しても自分たちにとって好ましい変化は起きやしないとの不信感が問題だ。パレスチナ系市民が潜在的パワーを発揮するのに複数の政党が候補者を一本化する必要はない。コミュニティの多様性を体現する政党がいくつ存在しても構わない。だが、それらの政党が一定数得票するには、投票して彼らを信任することがイスラエルの政治に影響を与え、パレスチナ系市民が政府や社会においてユダヤ人と対等なパートナーになることにつながるのだと支持者に納得させる必要がある。
ユダヤ系とパレスチナ系で政党が分断しているのではなく、両方のコミュニティが両者の利益のために支援する政党がたくさん存在するのが少なくとも一部の人にとって理想的な状況だろう。人口の約20%を占めるパレスチナ系マイノリティーが、ユダヤ人と同じ権利と利益を享受できるイスラエルの国家アイデンティティを築くことに集中する必要がある。パレスチナ系マイノリティーが多数投票することは、この願いを実現するための重要な一歩だ。
ツイッター: @YMekelberg