
タレク・アル・タカフィ
メッカ:冬の霜の訪れが例年より早まる恐れが出ているなか、サウジアラビアが誇るターイフローズを生産する農家は来季の収穫準備作業に追われている。
あざやかな赤から艶やかなピンクまでさまざまな色調を誇るこの美しい花はダマスクローズの近親種と考えられている。500年前にオスマン帝国のスルタンがレバントのバラの苗木をメッカの貴人に贈り、その人物がレバントとよく似た穏やかで涼しい気候で知られるターイフのアルハダ山にその苗木を植えることを命じ、サウジアラビアにバラの苗木がやってきたと伝えられる。
ターイフには2,000軒ものバラ農園がある。海抜1,900メートルのこの地はバラ栽培に適した環境にある。バラは農家が「アルターフ」と呼ぶ季節に毎年植えられる。樹の枝にバラの実が成り始める季節だ。
バラ栽培の専門家は今年来る冬が次期収穫の山場となると警告しており、一部農家では霜対策として温水噴霧管の導入を検討している。
中小企業庁の2018年の報告によると、ターイフのバラ市場は推定5,200万サウジアラビアリヤル(SR)(およそ1,380万ドル)の経済価値があるとされ、新たな市場機会の開拓が的確に進んだ際に、その成長潜在価値は最大7億SRにものぼるとみられている。
ターイフローズをヨーロッパやアラブ諸国に移植して栽培しようという試みはこれまで成功できていないという。ヨーロッパ諸国では栽培専門家の経験・指導があったにもかかわらず、栽培環境や土壌の違いからサウジアラビアのバラの品質に匹敵するものは収穫できなかったという。
ターイフのアルシャファでバラ農園を経営するアワド・アル・タルヒ氏がアラブニュースに語ったところによると、バラ栽培に最も適しているのはターイフ周辺の高地だが、そのためきわめて霜害を受けやすく、それが農園の成功にとって最初の脅威となる、という。
バラの低木から氷を取り除く温水噴霧管に繋いだ特殊ポンプが霜の広がりを防ぐのに最も効果的な対処法である、とアル・タルヒ氏は述べた。温水噴霧は霜防止に効果を発揮するが多大なコストが掛かる。
「農園の規模によっては2ヶ月半かかる枝切り作業を毎年バラ農家は年初頃に始めます。この時期水やりは行いません。3月中旬頃までにターイフローズの収穫期が始まります」とアル・タルヒ氏は語った。
バラの低木の枝切り作業が終わると4月まで5日周期で定期的に水やりが始まる、とアル・タルヒ氏は付け加えた。
バラは特定の病気や害虫に弱いとされる。基本的な害虫対策なしでも生き残る可能性があるが、そうした場合に収穫されるバラは魅力に乏しい場合が多い。適切な害虫対策は栽培場所の選択、土壌の準備、排水、正しい間隔での栽培、品種の選択、そして低木の管理から始まり、病気や害虫に打ち勝つことができる健康なバラの栽培にはこれらすべてが欠かせない。
ターイフローズを最初に記録したのは1814年にターイフを訪れたスイス人旅行家のヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトだ。1834年にはムハンマド・アリーによってヒジャーズに送られたフランス陸軍主席医務官モーリス・タミゼが言及している。1841年にフランス人外交官レオン・ロッシュ、1854年にスイス人作家シャルル・ディディエなど、その他多くの旅行家がターイフローズについて書き残している。
アル・タルヒ氏によると、年間を通じて特有な環境にあるターイフの土壌や気候の影響でバラの花やオイルの海外輸出は成功しなかったという。
「時折海外から使節がターイフに来て農業研究を実施し、母国に苗木を持ち帰りますが、母国で同等の品質を再現するにはいたっていません。初年度は成功を収めることもありますが、それでもターイフの品質に匹敵するものではありません」と同氏は述べる。
「過去にこのバラの香りに魅了された巡礼者によって同種のバラを他の地域や国で植える試みがありました。そうした地域で収穫されたバラの香りはターイフローズの香りほど良くはありませんでした」と語るのはターイフローズ栽培協力委員会の会員ハーレド・アル・オマーリ氏だ。
「数世紀の時を経て、ターイフ高地で育つターイフローズの品質調査が行われ、ターイフの土壌がこの種のバラの栽培に適した環境であることが証明されました」と同氏は付け加えた。
ターイフローズは繊細であるため輸出できない、とアル・オマーリ氏はアラブニュースに語った。香りの質を維持する古代からの抽出方法のおかげで香水は海外に輸出可能だ。
「経験を積んで熟練した人は香水の質を維持してバラを抽出することができますが、そのプロセスは難しく繊細です。水と土壌のせいか、他地域に植えられたターイフローズは何かが違い品質や香りが異なるものができるのです」とアル・オマーリ氏は語った。
希少なターイフローズの由来やターイフにバラが登場した歴史について多くの歴史家がさまざまな説を唱えてきた、とアル・オマーリ氏は付け加えた。
その昔は女性がカラフルな装飾や香りとして衣類の合わせ目にバラを添えていた。
「(香水を作る)バラ工場の経営者はインドから持ち込んだ特殊な鍋を使用していました。その昔工場で作られた最初の香水は経営者によって巡礼者のための医師に送られました。そこから有名になって、王や王子、高貴な地位にある人らが好む香りとなったのです」
このバラは王族やエリート社会との連想から一躍有名となった。その希少さと品質から現在でも世界的な需要がある。抽出作業を行うのは各世代にわたって長年手法を伝えてきたわずか数家族のみであり、その生産量のほとんどが香水産業に特化した国際大企業の手に渡る。