
ヌール・ヌガリ
リヤド:サルマン国王は27日に王令を発布し、今後2月22日を「創設の日」とすることを宣言した。
来月に初めて祝日となるこの日は、ムハンマド・イブン・サウードによる1727年の第一次サウード王国の創設を認めるために制定された。
サウード王家の祖先は15世紀にワディ・ハニファ沿いに住み着き、1446年にディルイーヤの街を建設した。
1727年、イマーム・ムハンマドはディルイーヤを民族国家の形に発展させ、アラビア半島に広く平和と統一をもたらそうと決意した。2世紀が経過した1932年、そうした決意が結実し、アブドルアジーズ国王によってサウジアラビア王国が建国された。
サウジアラビアの歴史における1727年という年の重要性は、歴史家や考古学者の広範な調査でより明確になってきている。
2010年にはそうした調査が実を結び、国誕生の地であるディルイーヤのアル・トライフ地区が、UNESCOの世界遺産に「顕著な普遍的価値」を持つ場所として登録された。
それ以降も、King Abdulaziz Foundation for Reserach and Archives(アブドルアジーズ国王調査・アーカイブ財団)とディルイーヤ・ゲート開発局(DGDA)の主導で調査が継続されている。DGDAは2017年、歴史遺産であるアル・トライフを中心としてディルイーヤを世界遺産・文化遺産とする事業に着手した。
「イマーム・ムハンマド・イブン・サウード時代の初期とそれに先立つ時代は国家の草創期であるにもかかわらず、多くの歴史家が軽視してきました」と、DGDAで歴史調査・研究の副責任者を務めるバドラーン・アル・ホナイヘン博士は言う。
1446年、バヌ・ハニファのアル・ドゥル族のマラダ家の指導者だったマニ・アル・ムライディ が、いとこでハジール(現在のリヤド)を統治していたイブン・ディルに招かれて内陸部のカティーフ付近から民を移住させた。
そしてその地に定住し、バヌ・ハニファにちなんで「ワディ・ハニファ」と名付けた(後にディルイーヤを建設)。
アル・ムライディ が来たことで「預言者と正統カリフの時代を経て、アラビア半島の歴史上最大の国家設立のための基礎が築かれました」とバドラーン博士は言う。
しかし、1720年にムハンマド・イブン・サウードがディルイーヤの首長となるまでにはさらに300年を要した。首長となる過程で彼はサウード王家を創設したが、歴史家は、第一次サウード王国の建国の年をサウードの息子ムハンマドが首長となった1727年としている。
バドラーン博士によると、ムハンマドは「大変な状況で指導者となったため」、その功績はさらに大きいという。当時ディルイーヤは分裂状態にあり、ナジュドではペストによって多くの死者が出ていた。それにもかかわらず、イマーム・ムハンマドはディルイーヤをまとめ上げ、地域の安定に貢献しました」と博士は言う。
博士はさらに、創設の日は9月23日の建国記念日に代わるものではなく、それを補足するものだと述べた。
「建国記念日は1932年のサウジアラビア王国統一を祝う日です。創設の日はそれに代わるものではなく、サウジ国家の歴史の始まりを認識する日であり、新たな行事とともに王国の深い歴史のルーツを祝うのです」