和田卓也氏は、45年以上にわたり、日本のアニメーション監督、プロデューサー、キャラクターデザイナーとして活躍してきたベテランである。彼の人生におけるシンプルな信条は、「夢をあきらめない」ことだ。
「もともと絵を描くのが好きだったので、アニメーターになろうと決めたんです」と和田氏は語る。
和田氏は、アラブニュース・ジャパンに、アニメとマンガのインスピレーションについて独占的に語った。
「私が好きな日本のアニメには、私がアニメーターとして参加した『あしたのジョー2』や『スペースコブラ』、そして15歳の頃から深い関わりを持つ『ルパン三世』などがある。
「ある日、東京ムービーのスタッフに『和田君、将来何になりたい?』と聞かれた。私は実写の映画監督になりたいと答えたが、絵を描くのも好きなのでアニメーターにもなりたい。
スタッフの方が「いい先生を紹介するからついてこい」と言ってくれて、当時『ルパン三世 カリオストロの城』の制作準備中だった大塚康夫さんと宮崎駿さんに紹介してもらった。そして高校を卒業してアニメーターになった」と付け加えた。
和田氏は、研修と仕事の両方を兼ねて携わった最初の作品は『ルパン三世 PART2』(1977年)だったと述べた。
「高校を卒業してアニメーションスタジオに入社し、最初に携わったのはサンライズのロボットアニメ『無敵ロボ トライダーG7』でした。その後、しばらくサンライズ第2スタジオに所属していたので、『戦闘メカ ザブングル』まではロボットアニメに携わっていた。その後、東京ムービー新社で『宇宙の騎士コブラ』の原画を担当し、初めてサブキャラクターデザインと作画監督を担当したのが、葦プロダクションの『特捜騎兵ドルバック』だった。
アニメ業界でのキャリアで直面した課題について、和田氏は次のように語っている。「やはり、素晴らしい才能を持った先輩方がたくさんいらっしゃったので、とにかくひたすら練習して早く絵が上手くなってプロにならなければという気持ちが強かったです。毎日が新しい出会いの連続でした。アニメは絵が上手ければいいというものではなく、映像作品ですから、 だから、映画をたくさん見てカメラワークや構図、キャラクターの演技などを学んだ。
「アニメーターとして働き始めたばかりの頃、先輩が『アニメーターとは、監督であり、俳優であり、カメラマンであり、照明技師でもある。アニメーターの仕事は、それらすべてを白紙の紙の上で表現することだ』と教えてくれた。今でも、その通りだと思う」と彼は付け加えた。
アニメーションの質やコンセプトにおける過去と現在の違いについて、和田氏は次のように語った。「正直に言います(笑)。私は昔のアニメーションの方が好きです。デジタルは存在せず、すべて手作業で、技術的には荒削りでしたが、昔のアニメーションは子どもの成長にとても重要な役割を果たしていたと思います。もちろん、私もその一人です」。
「ウルトラマンに憧れて、高い丘に立って、両手を腰に当てて、空を見上げて、自分も強くなろうと思った。あしたのジョーや巨人の星を見て、男とはどうあるべきか、友情とは何かなどを学んだ」。
「『北斗の拳』のテレビシリーズでアニメーション監督を務めたときは、本当にいろいろなことをやった。描いている本人が一番楽しんでいたと思うので、そのパワーが視聴者に伝わっていると思う。
「今のアニメーションはデジタル技術で非常にきれいだが、女の子が刀を持っていることが多いのでは?」とも付け加えた。
中東地域には行ったことがないが、特にドバイに行くことを楽しみにしているという和田氏。「現地のアニメ文化ファンとたくさん話して、文化を体験したい。トム・クルーズが走り回っていた高層ビルもこの目で見てみたい(笑)」と語った。
今後のプロジェクトについて、和田氏は次のように語った。「先ほども言ったように、夢があり、見る人に希望ややる気、憧れを抱かせるような作品を作っていきたい。
技術面では、キャラクターデザインのタッチに勢いがあるなど、過去の良さを取り入れ、現代のデジタルアニメの背景よりも、ゲームの背景のように独特なものにしたい。単調なゲームの背景ではなく、アナログとデジタルの良さを組み合わせたアニメーション作品を作りたい。
アニメーション作家やアニメーションの仕事に就きたい人へのアドバイスを尋ねると、和田氏は次のように答えた。「誰よりもアニメーションを愛することが一番大事だが、社会人として最低限の知識や生活習慣を身につけてほしい。大学は別として、高校は卒業してほしい。友達がたくさんいて、楽しくて、コミュニケーションがとれることは、アニメーション制作に間違いなく役立つ。
「あとはとにかくたくさん練習すること。いろんなことに興味を持ってほしい。外国語、特に英語が話せると良い。今はインターネットさえあれば、どこにいても日本のアニメに参加できる。日本に行かなくてもいいんだ。
「もちろん、日本に来て日本のアニメ作品に関わっている人もたくさんいる。それでも、どこにいても、夢をあきらめずに、夢に向かって学び続けることが大切だと思っている。頑張ってほしい」と付け加えた。