
東京:1990年代のテレビゲームのスピードスター「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」の大ヒットは、日本のセガに新たなファンをもたらした。
今年は、スイッチ2が史上最速で売れたゲーム機となった任天堂に注目が集まっている。
しかし、かつての宿敵とは異なり、セガは2001年にドリームキャストを生産中止して以来、ゲームハードウェアを販売しておらず、代わりに他のプラットフォーム向けのゲーム作りに注力している。
日本への観光客が記録的な伸びを見せ、日本のポップカルチャーに対する世界的な関心が高まる中、セガは、懐かしのゲームのリメイクや、大ヒットした「ソニック」シリーズのような映画化などを通じて、再出発するチャンスだと考えている。
セガは、5月に上海で同様のショップをオープンしたのに続き、金曜日に日本初の旗艦店をオープンする。
内海州史最高執行責任者(COO)はAFPに対し、「チャンスは広がっている。「しばらくの間、苦戦を強いられてきたが、今は復活しつつある」と語った。
同社は「日本市場に集中するのではなく、グローバルに事業を拡大する」ことを目指しているという。
セガは1980年代から1990年代にかけて業界のトッププレイヤーであり、その名前は騒々しいアーケード、家庭用ゲーム機、そしてビートエイムアップの『ベア・ナックル』や忍者シリーズの『忍』といったゲームフランチャイズの代名詞だった。
しかし、激しい競争についていくのに苦労し、2000年代には「ワールド・オブ・ウォークラフト」のような米国のパブリッシャーによるマルチプレイヤーオンラインタイトルが流行し、財政的に苦境に陥った。
セガがハードウェア事業から撤退した後、同社の提供するゲームは「少し陳腐化した」と、米国のゲーム市場調査会社DFCインテリジェンスのデビッド・コール氏は言う。
しかし、「1990年代に育った子供たちは今、30代、40代、あるいはそれ以上の年齢になっており、それらのフランチャイズが本当に好きで、自分の子供たちにも紹介している」、と彼はAFPに語った。
セガは、任天堂を含む日本の同業他社と同様に、新しい映画や店舗、テーマパークの乗り物などを通じて、「未開発の価値」を活用しようとしている、とコール氏は付け加えた。
昨年は、ジム・キャリーが悪役を演じた映画『ソニック・ザ・ヘッジホッグ3』が、12月としてはここ数年で最高の興行成績で北米のトップに躍り出た。
任天堂のキャラクターを題材にした『スーパーマリオブラザーズ・ムービー』が2023年に興行収入第2位となったビデオゲーム映画ブームにセガが便乗したのだ。
「忍」も映画化され、セガのゲーム「ヤクザ」シリーズはテレビ化されている。
セガの内海氏は、カルトフランチャイズである「ペルソナ」が次に映画化される可能性があるかという質問に対し、「期待していてください」と答えた。
「興味深いパートナー候補とたくさん話をしている。現在、いくつか検討中ですが、あまり詳しくは言えません」と語った。
セガは2023年に『アングリーバード』を開発したフィンランドのロビオ社を買収し、モバイルゲーム市場への進出を図っている。
セガの全盛期から「ゲーマーの行動は変化している」という。
しかしコール氏は、長期的にはセガは「ハイエンド」ゲーム、つまりブランド・ロイヤルティを高めるような、より大規模で、より関与度の高いタイトルに集中すべきだと述べた。
セガは、大予算をかけた国際的な野心と、「単なるゲームではなく、コミュニケーション、ソーシャル、もしかしたらAIかもしれない」範囲を持つ、「スーパーゲーム」と呼ぶものに取り組んでいる、と内海氏は語った。
「ゲーム市場の競争は非常に激しい。私たちの身近にファンを持つことは重要です。しかし同時に、素晴らしいゲームを開発するには時間がかかる」という。
セガの親会社であるセガサミーは、日本の 「パチンコ 」パーラーで使用されているものを含む、アーケードゲーム機やギャンブル機も製造しているが、その数は減少傾向にある。
そのため、セガのエンタテインメント事業は「まさに会社の成長機会」となっている、とコール氏は語った。
セガサミーは5月、「ソニック」の知的財産が「ゲームとキャラクターのライセンス収入の増加に貢献している」と述べた。
オープンに先立ち、セガの新店舗の近くで買い物をする東京の若い観光客は、それを裏付けるかのようだった。
「私はずっとセガが好きだった。セガのゲームに囲まれて育ったようなものです」と19歳のアメリカ人、ダニー・ビラセナーさんは言った。
「かなりレトロだ。でも、時代とともにうまく進化してきたと思う」
ロサンゼルスに住むウィリアム・ハリントンさん(24歳)は、父親が「昔、古いゲームをたくさん教えてくれた」と話し、彼にとってセガは「子どもの頃のような感覚」だと語った。
AFP