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革命後のスーダン、映画産業が自国で認められようと奮闘

ハルツームを拠点とするスーダンフィルムファクトリープログラムの責任者、タラール・アフィフィ氏。(提供写真)
ハルツームを拠点とするスーダンフィルムファクトリープログラムの責任者、タラール・アフィフィ氏。(提供写真)
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24 Jan 2021 08:01:37 GMT9
24 Jan 2021 08:01:37 GMT9
  • ハルツームを拠点とするスーダンフィルムファクトリープログラムの責任者のタラール・アフィフィ氏「バシル政権は文化的、芸術的な取り組みをすべて抑制し…… 多様性や意見表明の自由と戦ってきた」

カイロ:独裁者オマル・バシル氏の失脚後、息苦しい規制の終わりを祝ったスーダンの映画製作者たちは、数々の国際的な賞を受賞しているが、国内ではまだ同じような評価を得られていない。

バシル氏による30年間の権威主義的な支配により、北アフリカのスーダンで映画は低迷していた。

しかし、スーダンの人々は自由、平和、社会正義を要求するために街頭で抗議デモを行い、バシル氏による冷酷な支配は2019年4月に軍による大統領宮殿クーデターで終わりを迎えた。

「私たちは、私たちの社会がどれほど夢を必要としているかを実感し始めました」とアムジャド・アブ・アララ監督は言う。

同監督の2019年の作品『汝は二十歳で死ぬ』は、スーダン初のアカデミー賞エントリー作品であると同時に、Netflixで放送された初のスーダン映画となった。同作品は、イタリアのヴェネツィアやエジプトのエルグーナなどの国際映画祭で賞を受賞した。

この映画は、霊媒師が20歳で死ぬと予言した青年の物語を描いている。スーダンが不安定な政治体制の移行期にある中で、スーダンの映画製作者たちは活動の場を見つけてきたとアララ監督は言う。

若い映画制作者たちは「コンプレックスや自信のなさ、前の世代で苦しんだようなフラストレーションを感じずに行動しています」と同監督は付け加えた。
ハルツームを拠点とするスーダンフィルムファクトリープログラムの責任者であるタラール・アフィフィ氏は、何百人もの若者に映画製作の訓練を行ってきた。

バシル政権は「文化的、芸術的な取り組みをすべて抑制し…… イスラム化・アラブ化と主張する政策を通じて、多様性や意見表明の自由と戦ってきた」と同氏は話した。

アフィフィ氏は、映画製作をはるかに身近なものにしたデジタルカメラ技術の進歩により、2019年の革命のずっと前から仕事を始めていた。

この映画制作者は2008年にミュンヘンで開催された短編映画祭に参加し、そこで受賞した作品(ハンディカムで撮影したイラクのドキュメンタリー)に触発されて帰国し、トレーニングセンターと映画制作会社を設立した。

過去数十年の間に、スーダンフィルムファクトリーは脚本、監督、編集の講習会を30回以上開催し、60本以上の短編映画を制作し、ブラジルから日本までの国際映画祭に招待されている。

アフィフィ氏によると、スーダンの革新的な映画のルーツは、多くの映画館が閉鎖されていたバシル政権が打倒されるより「以前から行われていた努力」から生まれたという。

現在、映画館は許可されており、ハリウッドの大作映画やインド映画、エジプト映画が人気だが、映画館を再開しようとする動きは、新型コロナウイルスの蔓延を食い止めるための規制により頓挫している。

スーダン国立博物館では『汝は二十歳で死ぬ』などの上映会を開催したが、大規模な劇場での上映は行われなかった。
映画製作者たちは今もなお困難に直面している。絶賛された2014年の映画、『アントノフのビート』の監督であるハジュージュ・クカ氏は、昨年、「公共の迷惑」を引き起こしたとして2か月間投獄された。同監督はこれを演技の研修会だったと主張している。

他のスーダン映画も国際的な注目を集めており、スハイブ・ガスメルバリ監督による2019年のドキュメンタリー映画『ようこそ、革命シネマへ』は、映画への情熱を持つ4人の年老いたスーダン人映画製作者の物語を描いている。

4人と彼らの「スーダンフィルムクラブ」は、首都ハルツームからナイル川を挟んだ向かい側の街、オムドゥルマンで野外映画館の再開に向けて活動する。

AFP通信

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