


ムハンマド・アル・キナニ
ジェッダ:ムハンマド・アル・ザフラーニ氏は、オペラ歌手になり、世界の舞台でサウジアラビアを代表する存在になるという夢を追い求める中で、多くの試練に直面してきた。彼はイタリアに居を移し、今はローマでイタリア語を学んでいる。
「社会的な、また伝統の面での障害には数多く遭遇しました。しかし幸い、そうした苦難をなんとか克服することができています」とアル・ザフラーニ氏(23)はアラブニュースに語った。
「家族や親戚、友人たちからは反対されましたが、それは彼らが他の文化に関心がないからなんです。皆、自分たちの習慣や伝統を大切にしていて、厳格で保守的ですから。」しかし、アル・ザフラーニ氏がヨーロッパに移住してからは、反対の声は和らいでいるという。 「こんなに若い年齢で、自分の国や家族から遠く離れて暮らすのも、国をできるだけ良い形で代表できるようになりたいからなのです。」
夢の始まりは学校時代に遡る。彼が歌うのを聞いて、あるクラスメートが歌の才能を伸ばすように勧めた。その時から、自分が国際的なオペラ歌手になれるのではないかと思うようになったという。「それは夢に過ぎませんでしたが、その夢に向かって今私は努力を続けています。」
イタリア人は友好的で温かく、彼の文化的また宗教的背景がはっきりと問題になったことは一度もない、とのことだ。彼らはアル・ザフラーニ氏を、芸術への愛情という自分たちとの共通点を持つ、夢と才能のある人間と見なして、礼儀正しくて親切にしてくれたという。
「この素晴らしい芸術をサウジアラビアに広めて、あらゆる種類の西洋芸術に対する人々の認識を変える手助けをしていきたいですね。また、国内にオペラ劇場を開いて、古典芸術を学びたいと思っている人たちの力になりたいとも思っています。」
アル・ザフラーニ氏は、コロ・ポリフォニコ・クレアトーレ(Coro Polifonico Musica Creator)の合唱団に参加した。入団できたのは、ローマで電車を待っていた時、駅で男がピアノを弾いているの見かけたことがきっかけだっとという。
社会的な、また伝統の面での障害に数多く遭遇しました。しかし幸い、そうした苦難をなんとか克服することができています。
ムハンマド・アル・ザフラーニ、音楽家
「私が知っている曲が演奏されていることに気がつきました。私はピアノに近づいて、歌い始めました。電車が到着するまで時間をつぶそうとしていただけだったのですが、そこにいた乗客の一人がたまたま合唱団の団員だったのです。その女性が私の電話番号を尋ね、合唱団のディレクターと会うように手配してくれたのです。」
数日後、アル・ザフラーニ氏が歌うのを聞いたディレクターは、彼の声に興味を示した。
「彼女はすぐに私を合唱団のソロ歌手に選び、次のコンサートに参加するよう強く勧めてくれました。有名な歌手、フランチェスコ・サルトリの脇役を演じていたのを覚えています。」
アル・ザフラーニ氏は著名なオペラ歌手たちのファンであり、いつの日か彼らのように偉大な歌い手になりたいと願っている。特にパヴァロッティとアンドレア・ボチェッリがお気に入りとのことだ。
しかし、アル・ザフラーニ氏の大学を中退するという決定(彼はキング・アブドゥルアジズ大学で1年間を過ごしている)に反対するサウジアラビア人たちもいる。自分の将来を危険にさらしている、と言うのだ。
「どこへ行っても、賛成してくれる人たちと反対する人たちの両方が常にいるものです。私としては、他人の意見がどうであれ、私自身が信じることをしていきたいと思います」とアル・ザフラーニ氏は語る。
アル・ザフラーニ氏は「リヤド・シーズン」に既に出演し、次の「ジェッダ・シーズン」等の他のサウジアラビアのフェスティバルにも招待されている。「どんな支援を受けても、どんなに個人的に成功しても、私には祖国の励ましと支援がいつまでも必要なのです。」
サウジアラビアの最初のオペラ劇場がジェッダにオープンする予定であると、娯楽庁(General Entertainment Authority)は昨年2月に発表している。2022年には完成の予定だ。