
日本の家庭用コンピュータゲーム機の草分けであり、世界中で膨大な数のファミコンを販売した上村雅之氏が死去したことを同氏が教鞭をとった京都の大学が明らかにした。同氏は78歳だった。
立命館大学は声明を出し、家庭用ゲーム機の道を切り開いた任天堂のファミリーコンピュータの開発を主導した上村氏が月曜日に死去したことを明らかにした。死因は明らかにされなかった。
1943年に東京で生まれた上村氏は千葉工業大学電子工学科を卒業し、1971年に任天堂に入社した。
上村氏は1981年に当時社長だった山内溥氏に米国で当時大流行していたものの、ゲームセンターなどでしかプレーできなかったドンキーコングなどのゲームに対応した家庭用ゲーム機の開発を任された。
このいわゆるファミコンが任天堂初のカートリッジベースのゲーム機として1983年に日本市場に投入され、ユーザーは人気の高いゲームをカセットカートリッジでプレーできるようになった。そして1990年には、アップグレード版のスーパーファミコンが日本でリリースされた。.
ニンテンドー・エンターテインメント・システムとして知られるこの商品は1985年に米国に投入されると、世界中で6000万台以上のゲーム機を売り上げ一大センセーションを巻き起こし、これまでは日本の伝統的な花札や、カードゲーム、おもちゃなどを作っていた会社が世界中で認識されるようになった。
任天堂を退職した上村氏は2004年に日本の古都であり、任天堂の本社がある京都の立命館大学でゲーム研究の教鞭をとることになった。
立命館大学は声明のなかで、「ファミリーコンピュータをはじめとする各種ビデオゲーム機を投入して、ゲーム業界の発展に尽くされた上村氏の多大なる貢献に深く感謝したい。そして心から彼のご冥福をお祈りする」 と述べた。
AP