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自分の言葉で:英語を学んで語り部となった広島の被爆者

第二次大戦中の広島で原爆に遭った八幡照子さん(85歳)は、日本西部の都市・広島にある平和記念資料館で外国の訪問者に恐ろしい体験について語っている(2023年5月9日)。(ロイター/Tom Bateman)
第二次大戦中の広島で原爆に遭った八幡照子さん(85歳)は、日本西部の都市・広島にある平和記念資料館で外国の訪問者に恐ろしい体験について語っている(2023年5月9日)。(ロイター/Tom Bateman)
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16 May 2023 05:05:59 GMT9
16 May 2023 05:05:59 GMT9

広島:八幡照子さんは広島平和記念資料館の地下にある薄暗い部屋の前に立ち、話し始めた。その頭の中では、自分の世界が変わってしまった1945年8月6日の朝が再現されている。

「突然、空全体がピカッとなり、青白い光に照らされました。まるで天が1つの巨大な蛍光灯になったかのようでした」。先日の火曜日、現在85歳の八幡さんは英国の観光客に英語でそう語りかけた。

「私はすぐに地面に倒れ、意識を失いました」

彼女は「被爆者」、すなわち米国が広島の街に落とした原子爆弾の生存者である。爆弾によって数万人が即座に死亡した。そして多数の人が負傷し、長年その影響を受けている。

被爆者の話は市内の原爆に関連した場所で常時聞くことができるが、英語で話す八幡さんの存在は際立っている。

故郷の街が原子爆弾に破壊されるのを目の当たりにした当時は8歳だった。2013年に世界を巡り始め、通訳を通して自分の話を伝えていたが、物足りなさを感じていた。

彼女は「英語を学び、恐ろしい原子爆弾の力について自分の言葉で伝えたいという漠然とした夢がありました。あの悲劇的で悲惨な場面を目撃した体験や悲しみについて、生の声を届けたかったのです」と日本語で語る。

英語を学ぶ決意を固めた八幡さんは、80代目前でYMCAの授業を受け始めた。そして21年までに、全編英語で話す語り手となった。

話す内容は英語の先生が訳した原稿に基づいており、それをネイティブスピーカーの音声に合わせて読んで練習する。原稿には、正しい発音やイントネーションに関するメモや指示が書き込まれている。

八幡さんの英語能力は、もっぱら原稿を読むことに限られている。だが、彼女が聴衆に話す言葉には間違いなくインパクトがある。

「言葉にとても現実感があります。今目の前で起きているかのように聞こえました。彼女の話し方にそう感じました」。英国のブリストルから来たデニス·ヒクソンさんはそう語る。

日本の岸田文雄首相は、地元選挙区の広島で17日からG7サミットを主催する。「核兵器のない世界」というビジョンを伝える努力の一環として、他国の指導者を平和記念資料館へ連れていき、被爆者と面会してもらう予定だ。

ロシアが核実験の再開をちらつかせたり、隣国の北朝鮮が自前で核兵器開発を進めている現状では、そうしたビジョンの実現は遠いように思える。だが、八幡さんはG7の指導者に高い期待を抱いている。

「G7のリーダーには核兵器廃絶のビジョンを示してほしいです。単に理想を語ったり、決議文を出したりするだけでなく、具体的な第一歩を踏み出してほしいのです」

ロイター

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