

フレッド・ヴァーコウ 東京
日本が2011年3月11日の死と混乱を思い起こす用意をするように、新しく公開された映画「Fukushima 50」は、世界に、日本が本格的な核の大惨事にどれほど迫っていたかを思い出させてくれる。日本のチェルノブイリは、少しの運と、日本を救うために自らの役務にとどまった「フクシマフィフティ」と呼ばれた男女50名の勇気と強靱さによって回避された。
最終的な結末を知っていても、Fukushima 50にはハラハラさせられる。特に映画の前半では、マグニチュード9.0の地震、15メートルの津波、核のメルトダウンと、危機的状況から災害が次々と発生する。
福島と東北地方が直面している課題は、乗り越えられないものに見えた。
日本が津波の恐怖に対処しようとしているとき、東京電力の第一原子力発電所のスタッフは孤立したまま、東京の本社と首相官邸の緊急対策本部とのテレビ会議システムによって外の世界とつながっていた。
若松節郎監督は、映画で渡辺健が演じたフクシマフィフティの1人、事実上のリーダーであり、2013年に咽頭癌で亡くなった、吉田正雄のみ実名を使用することにした。他のヒーローたちや、同様に悪役たちの名前は、仮名に隠された。
しかし、東京電力の幹部と日本の政治指導者たちは、この映画を見て羞恥心を隠すことはできないだろう。発電所の職員は、生死の境を彷徨っていた。スーツを身にまとった東京の男たちはパニックで麻痺に陥り、日本の核監視機関の長は原子力技術者ですらなかった。彼は経済学の学士であった。
これはフクシマフィフティにとっては納得し難かった。映画の中のある場面で、吉田氏はカメラに向かってズボンを脱ぎ臀部を露出し、首相(名前はないが当時の首相は菅直人)と東京電力の上司たちが、東京のスクリーンでそれを見ているところが描かれた。若松監督は、日本外国特派員クラブでの試写会後の記者会見においては、そつのないコメントを残したかもしれないが、この映画は日本の企業と政治的支配者たちへの痛烈な非難である。
そしてこれは、若松監督ひとりからではなく、福島、東北地方の人々、そして自然の脅威と科学の現実に直面して為す術もなかった指導者のいる国の国民を代表した非難である。
若松監督は、この映画には2つのテーマがあったと述べた。「自然には、人間など及びもつかないし、私たちは福島の教訓から学ばなければなりません。私がこのプロジェクトに惹きけられたのは、私たちが人間として持つすべての弱点とすべての長所と勇気を描く物語だったからです。」と若松監督は語った。製作総指揮の角川歴彦は同意した。
「この映画を分類するとすれば、社会についての映画であると言えます。」角川は言った。「この種の問題を避けている映画会社はたくさんありますが、この映画の核心は、人間は自然を征服することはできないという事実です。渡辺氏が映画の中で述べているように、おそらく私たちは人間として間違いを犯したのでしょう。映画をご覧になった方が映画からそのメッセージを持ち帰っていただければ、うれしく思います。」
コロナウイルスの流行により、自然は再び人間よりも強いことを証明している。日本の指導者たちは再びその対応に慌てふためいている。若松監督の映画は、日本の指導者達は阪神大震災とオウム真理教による攻撃のなど危機的状況に連続して失敗し、日本の株式会社は、タカタのエアバッグの不祥事、オリンパスの不祥事、東芝の不祥事、日産の不祥事に見られるように、不適格に満ちていることを思い出させるのである。
「このような国家的な危機の真っただ中に私たちがいるとき、私は映画、特にこの映画は、自分自身を省みて、どんな選択をするべきか、どの方向に進むべきか考える機会を与えてくれると思います。」と俳優の渡辺謙は語った。
この映画は、2011年以降の数ヶ月、数年の間に、日本のメディアと司法制度ができなかったことをうまく実行し、責任者の責任を問うかもしれない。 第一原子力発電所の計画と運用における重大な過失にもかかわらず、東京電力は誰も災害に対する責任を負わず、人間の無能さというよりも自然の中に有用な支援を見つけている。
日本の司法手続きの流れは非常に遅い。 Fukushima 50は、日本の人々に、この流れが止まらないように確認する機会を与える。
フレッド・ヴァーコウは日本を拠点とするフリーランスの記者である。