


バッサム・ザーザー アラブニュース・ジャパン独自記事
ベイルート
カルロス・ゴーン氏は、ベイルートの北東、山岳レバノン県ケセルワン郡にあるアジャルトゥンの村にいた頃から、遠くまで幅広く旅してきたかもしれないが、レバノンの学校の友人や知人にとっては、彼は今でも「普通の謙虚な男」だ。
彼の名誉のために言っておくが、日産の前社長であるゴーン氏は、レバノンに住む子供時代の友人、同級生や義理の両親との関係を維持してきた。
ゴーン氏はレバノンの祖先をとても誇りに思っているとされている。このことは、彼がレバノン以外の場所に住み、フランスとブラジルのパスポートを持っているため、レバノンの家系のことは忘れてしまったという主張と矛盾するものだ。
ゴーン氏を知る人によると、血統はレバノン人であるということを彼は心から口にしている。彼の母親はレバノン北部の街、ミツィアラに生まれた。彼はレバノンの山々に対する愛しており、家族のためにバーブダット地域に家を買った。妻はアジャルトゥンに古い家を持っており、ベイルートにもアパートを持っている。
彼には異なる民族、信仰、国籍の友人が数多くいる。1954年、ブラジルでレバノン人の家族に産まれた彼は、祖父ビチャラが13歳の時にレバノンでの貧困と宗派間闘争から逃れるために移住したポルト・ヴェーリョで、子供時代の大半を過ごした。ゴーン氏は後にレバノンに転居して学んだ。フランス、日本、米国に住んでいたこともある。
アラブニュース・ジャパンは、ゴーン氏の学生時代の古い友人であるナギ・カウリー氏に話を聞いた。2人はともに1960年代終わりから1970年代初めにかけてコレージュ・ノートルダム・ドゥ・ジャンブールに通った。
「私たちは学校の友人で、長年のつきあいになります。カルロスはとても普通で謙虚な男でした。友人、同級生のすべてから愛されていました」とカウリー氏は話す。カウリー氏によれば、ゴーン氏が学業成績で目立っていたかは思い出せないが、彼はいつも笑っていたという。
自己宣伝が上手
「彼はいつも自己宣伝が上手で注目されていました。彼は孤立することがなく、フレンドリーでみんなから愛されていました」とカウリー氏は言う。「カルロスはいつも、自分の祖国であるレバノンに深く根を張っており、決してその境遇を捨てようとはしませんでした。自分の国にとても愛着があったのです」
海外で多くの時間を過ごしても、彼はまったく変わらなかったとカウリー氏は語る。ゴーン氏はレバノンにやってくるたびに、コレージュ・ノートルダム・ドゥ・ジャンブールの同窓生と集まっていたとも話した。
「私たちは彼がやってくるたびに会を催していました。彼はいまも私たちが知る子供時代のカルロスのままです」とカウリー氏は言う。直近で催されたのは2016年だ。
ゴーン氏は日本で勾留される前には、定期的にレバノンを訪れ、家族や親戚、子供時代や学生時代の友人と会っていた。
卒業45周年の記念日を祝う行事が3年前に行われ、ゴーン氏も姿を見せた。カウリー氏と同級生は教会のミサに出席して卒業45周年を祝い、皆で昼食を食べた。
「2016年に集まったときは、ユーモアのある楽しい雰囲気でした。カルロスは哲学の人です。生徒たちに経済的な支援をしていましたが、そのことを口にしたことはありませんでした。思いやりのある人間だからです」とカウリー氏は語る。
ゴーン氏の祖父母は異なる大陸に移住したとされている。父方の祖父母はブラジルへ、そして母方の祖父母はナイジェリアに移住した。
多くのレバノン人移住者は 休暇で祖国に帰っていたが、ゴーン氏の両親が出会ったのも、夏期休暇でレバノンに帰っていたときだった。2人は結婚し、ブラジルに移住。そこでゴーン氏と3人の姉妹が生まれた。
正義のために祈る
彼の友人は、直近の学校関連集会のことを思い出す。ベイルートの教会で行われたイースターのミサ。彼の親戚、友人、ゴーン氏の幸せを祈る人が数百人集まり、彼にとっての正義が実現されるように祈った。
ミサを執り行ったチャーベル・バトア神父は、ゴーン氏を私たち家族の一員だと表現した。集まった人たちは65歳のゴーン氏の保釈と正義の実現を願って祈った。匿名を希望したゴーン氏の遠い親戚は、彼は不当に勾留されているとアラブニュースに語った。
「彼のような、みなの憧れの的である成功した実業家が、何年も日産に奉仕した後にあのような扱いを受けるのはとても悲しいことです。私は彼の無実を確信しています。少なくとも日本では、司法は独立しているとされています」とその親戚は語る。
アラブニュースは17日、ベイルートのアーシュラフィーフ地区にあるゴーン氏の別荘を訪れた。匿名を希望した近くの住人は、無人の別荘に所有者が最後に訪れたのは2018年11月だったと語った。
これ以降、ゴーン氏の親戚も家族もこの場所を訪れていないと思われる。
「日産から別荘の返還を請求されるないように、この別荘は1,600万米ドルで売りに出されていると、別荘を警備する民間警備員から聞きました」と近くの住人は語る。
別荘の警備員はコメントを拒否した。