
AFP、長崎
ハヤシダ・ケンジさんは、故郷の長崎に原爆が投下された数年後に自殺を考えた。
24日、彼はフランシス教皇の核兵器のない世界への呼びかけを聞くだろう。これは81歳の彼が熱心に支持するメッセージだ。
長崎と広島への原爆投下の被害を受けた多くの高齢化する生存者たちと同様に、ハヤシダさんは、教皇の力で核廃絶という目標に国際社会が新たに関心を持つようになり、また壊滅的な爆撃の記憶を留めておけるようになることを願っている。
ローマ教皇が市内に到着する前日、ハヤシダさんと地元のカトリック教徒たちは、フランシス教皇が長崎でミサを行うときのために演奏する賛美歌のリハーサルを行っていた。
「核兵器を使用してはいけません。核抑止力が働くとも思いません」と、ハヤシダさんは日本南西部の都市にある教会でAFPに語った。
彼は、かつて日本への宣教師になることを望んでいたローマ教皇が、強力な反核メッセージを送ることを「確信している」と語った。
ハヤシダさんと彼の仲間の聖歌隊のメンバーは、この歴史的な瞬間に備え2ヶ月間練習してきた。
しかし、ローマ教皇の訪問は、彼のように第二次世界大戦の終わりに核爆撃の被害にあった人々にとって特別な意味がある。
ハヤシダさんは米国による核攻撃を受けた当時7歳だった。彼は母親と2人の兄弟を失い、頭、両腕、両足に重度の火傷を負った。
「自分の頭に異変を感じ触ってみたら手が血だらけだったのです」と彼は当時を振り返った。
再び歩けるようになるには6ヶ月以上かかり、怪我をじろじろと見る人々の視線を恐れ出かけることが億劫になった。
広島で最初の核爆弾により約14万人が殺された3日後の1945年8月9日に長崎に爆弾が投下され、少なくとも7万4千人が殺された。
日本では、依然として毎年原爆式典が行われているが、多くの生存者たちは、人々が核兵器の危険を忘れてきているのではないかと恐れている。
「核爆弾という残虐行為を繰り返してはなりません」と長崎のカトリック教徒で生存者であるモリウチ・ミノルさん(82)はAFPに語った。
「ローマ教皇は決して政治に干渉しませんが、彼のメッセージを聞いている人々が核問題について真剣に考えてくれることを望みます」
モリウチさんは、原爆投下後の「生き地獄」を描写した。
「父の妹が2人の子どもと一緒に私たちの家に逃げてきたのですが、私はその光景をどうしても忘れることができませんでした。彼らの体は赤黒く、完全に焼けてしまっていました」
「他の4人の親戚が連れてこられましたが、彼らは人間には見えませんでした」と彼は語った。
このローマ教皇の訪問は、多くの生存者が、核兵器の危険に関する国際的意見の一致が揺らいでいると感じているときに行われる。
北朝鮮が短距離ミサイルの発射と武器のテストを続ける一方、米国とロシアは8月に冷戦時代の核協定を更新できず、軍拡競争の新たな恐怖を引き起こした。
来年には、核兵器と核技術の拡散を防止することを目的とした核兵器不拡散条約(NPT)を見直す会議も開催される。
「世界は危機的な状況にあります」と長崎の原爆の生存者であるワダ・マサコさん(76)は語った。
「いま日本では、核廃絶について知っている人は多くありません。人々はこの問題に無関心なのです」
生存者が年をとるにつれ歴史が忘れ去られてしまうことを彼女は恐れている。
「生存者の平均年齢は80代です。生存者が自分の経験を語らない世界を想像すると恐ろしくなります」と彼女は語った。
ハヤシダさんにとって、今回のローマ教皇の訪問に特別な個人的な共鳴を受けた。キリスト教のカトリック信仰が原爆の後遺症から脱するよう彼を導き助けたからだ。
「若い頃は簡単ではありませんでした。私は妻に決してこの話をしなかったのですが、結婚する前に自殺さえ考えたのです」と彼は語った。
しかし、彼は今、神が自分を生かしたと信じている。
「私の寿命は神の摂理によって伸ばされたのです。 信仰を守るために生かされたのです」