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アル・ウラー:砂漠の中心にある生きた博物館

アル・ウラー渓谷は際立った対照をなす風景が広がっている。(AN写真)
アル・ウラー渓谷は際立った対照をなす風景が広がっている。(AN写真)
アル・ウラー渓谷は際立った対照をなす風景が広がっている。(AN写真)
アル・ウラー渓谷は際立った対照をなす風景が広がっている。(AN写真)
アル・ウラー渓谷は際立った対照をなす風景が広がっている。(AN写真)
アル・ウラー渓谷は際立った対照をなす風景が広がっている。(AN写真)
アル・ウラー渓谷は際立った対照をなす風景が広がっている。(AN写真)
アル・ウラー渓谷は際立った対照をなす風景が広がっている。(AN写真)
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28 Dec 2021 11:12:00 GMT9
28 Dec 2021 11:12:00 GMT9
  • かつての失われた古都が今では人気の観光スポットになっている
  • 開発プロジェクトは「我が国の文化遺産を世界と共有する」のに役立つだろうと皇太子

ザイド・カショグジ

アル・ウラー:かつては失われた死者の街として知られたアル・ウラーは今日、20万年前に遡る古代文明、史跡、考古学的な神秘を宿す生きた博物館になっている。

サウジアラビア北西部に2万2千平方キロ以上の広がりを持つこの地域は、砂岩の山々や恵みをもたらすオアシスがあり、資源が豊富であることで知られている。アラビア半島の古代の十字路に当たっていたため、この地域を長距離移動する隊商にとって理想の休息地になっていた。

アル・ウラー渓谷は、人や自然が生み出した奇岩、ペトログリフと彫刻、古代から栄える緑豊かなオアシスなど、際立った対照をなす風景が広がっている。

アル・ウラー渓谷は際立った対照をなす風景が広がっている。(AN写真)

アル・ウラーは、紀元前600年から300年にかけて砂漠のオアシスで渓谷を通過する香料交易路を支配して繁栄した、アラブのダダンとリフヤーン両文明の王国の首都だった。

アル・ウラーの山々には、馬やラクダに乗って槍を手に持つ狩人の彫刻が刻まれている。現地のツアーガイド、アブドゥルカリム・アル・ハジリ氏によると、これらの彫刻は、恵みを与えてくれるものであれば何でも崇拝したダダン人やリフヤーン人にとって、宗教的に重要なものだった。

「かつてアラブ人は、星、太陽、月の聖なる三つ組だけを崇拝していました。アラブ人にとって、ラクダには共同体レベルの意味があり、多産を象徴する雄牛や、強さと回復力を象徴するライオンも同様でした」

「人類は象徴から始めて、絵を描き、その後に書くようになりました。この地域の山々にはそのすべてが備わっています」と、アル・ハジリ氏は述べた。「書かれたものが間違った別のアラビア語であると主張する人たちは存在します。実際、アラビア語の書記法とは異なっています。しかし、アラビア語は祖語であり、時の経過に伴ってその中の一つが進化したものです」

「現在のアラビア語の書記様式は、直接にはナバテア人の書記法に由来しています」

アル・ウラー渓谷は際立った対照をなす風景が広がっている。(AN写真)

この地域を訪れた人は、現地ガイドの助けを借りて古代の痕跡や、リフヤーン人やサムード人の碑文を調べることができる。アラブニュースがガイドから受けた説明によると、アル・ウラーの宝物は多くがまだ発見されていないという。

その後にナバテア王国がこの地を支配し、紀元106年にローマ帝国に征服されるまで、200年以上ヘグラの街に人々が住み、繁栄を見た。ナバテア人は、アラビア砂漠を放浪した遊牧民ベドウィン族の一つに当たる。話されたセム語系言語や崇拝された神格が似ていることから、ナバテア人はアラビア半島西部のヒジャーズに起源を持つ可能性がきわめて高い。

5万2千平方メートルの古代都市ヘグラは同王国南部の中心都市であり、今日100基以上の墳墓が良好な状態で保存されている。その最大のものは「孤独な城」と呼ばれるカスル・アル・ファリドである。アル・ウラーで最もよく知られ、多くの人が訪れるスポットの一つになっている。ヘグラはサウジアラビア王国初のユネスコ世界遺産にもなっている。

アル・ウラー渓谷は際立った対照をなす風景が広がっている。(AN写真)

ナバテア人は天然の水資源を利用すること非常に長けており、乾燥地を通過する旅人はその助けを求めた。

ヘグラでは地下水源を利用し、水を引いて貯蔵する水路システムを考案した。「ナバテア」という名称は、泉から湧き出る水を意味するアラビア語の「ナバツ」と関連している。

ヘグラの墳墓は家族や集団に属する人の遺体を収めるために建造され、この最後の安息の場所の大きさや装飾は家族・集団の地位を反映している。山の上の方にある簡素な竪穴式墳墓には、社会の下層の人たちが埋葬された。

ナバテア人が崇拝していた神格に鷲の神ドゥシャラがあり、ヘグラのいくつかの墳墓の入り口を守護していた。現在、この鷲には首が存在しない。一説では、ローマ人がこの土地を自分のものにするために首を切り落として、ナバテア人共々その神を消し去ったといわれている。

フランス人の東洋学者シャルル・オーギュスト・ユベールは、フランス政府の委託を受けて1878年から1884年までアラビア半島を探検した際に、アル・ウラーを訪れている。(提供)

ヘグラの墳墓群の向こう側、ギザギザ形の2つの砂岩の山の間にアル・ディワン(宮廷)がある。風からの防護を目的に丘の斜面に彫られた大きな四角形の部屋には石のベンチが3台設えられ、ナバテアの支配者たちの会議室として使われた。ヘグラの都市や住民の問題を協議するために会議が招集された。ヘグラにある少数の埋葬とは無関係の建築物の一つである。

サウジ・ビジョン2030の枠組み基づいて、4月にジャーニー・スルー・タイム・マスタープランが打ち出された。アル・ウラー王立委員会議長を務めるムハンマド・ビン・サルマン皇太子は、「アル・ウラーを持続可能なように責任をもって開発し、我が国の文化遺産を世界と共有するための大きな一歩」と述べている。

同委員会の戦略プロジェクトの一つであるシャラン自然保護区は、1千5百平方キロのエリアに、野生の花で覆われた山岳と渓谷や、さまざまな野生動物が生息する砂漠など、多様な地形が広がっている。

およそ1878年から1884年にかけての時期にシャラン保護区で発見されたラウダット・アル・ナガ南面の、シャルル・オーギュスト・ユベールによるスケッチ。(提供)

フランス人の東洋学者シャルル・オーギュスト・ユベールは、フランス政府の委託を受けて1878年から1884年までアラビア半島を探検した際に、シャラン保護区でラウダット・アル・ナガの南面をスケッチしている。

ユベールはラカブ山脈を通り過ぎる際に、「山脈を通り過ぎた。この山脈がヨーロッパにあったなら、観光客でごった返したことだろう」と述べている。

ユベールはラカブ山脈を通り過ぎた際に、「宿命だが、山脈を通り過ぎた。この山脈がヨーロッパにあったなら、観光客でごった返したことだろう」と述べている。(提供)

アル・ウラーの代表的なランドマークに、旧市街のタントラ日時計がある。先週、アル・マルバアニヤと呼ばれるアル・ウラーの伝統的な種まきの季節に合わせて、「タントラの冬」祭りが始まった。

6週間続くこの祭りの命名が日時計に由来するのは、人々の暮らしに果たしたその重要な役割のゆえだ。毎年恒例のこのイベントは暦の重要な日付になっている。第3回目を迎える、3か月間続く「アル・ウラー・モーメント」の一部であり、同モーメントでは観光客はさまざまなアクティビティ体験や文化の探求を行える。

チケットは公式サイト Experiencealula.com で予約可能。

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