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日本語のタイポグラファーがミニマリズムとラグジュアリーの相対する関係を論じる

山本太郎氏(提供)
山本太郎氏(提供)
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27 May 2022 02:05:39 GMT9
27 May 2022 02:05:39 GMT9

ナダル・サモーリ

大阪:東京在住の山本太郎氏は、タイポグラフィとグラフィックデザインの世界で生きている。アドビシステムズ株式会社で日本語タイポグラフィのシニアマネージャーを務めており、日本語の活字書体の開発や、タイポグラフィを実装するエンジニアのサポートをしている。

すべての空間には意味があり、各々の文字の曲がり具合が何かを物語っている。

日本のタイポグラフィ学会会長であり、武蔵野美術大学でタイポグラフィ理論を講義する山本氏が、ミニマリズムというものをどう捉え、自身の専門分野でそれをいかに実践するかについて、個人的見解を語ってくれた。

「創造する際に、不必要なものは一切加えるべきではありません。次の点に同意するならば、タイポグラフィや文書の作成におけるミニマリストになれると思います。例えば、ある文書を作成していて、本文のテキストはすでに書き終えたとします。レイアウトやタイポグラフィに関して、まだ決定すべきことや選択肢が山ほどあります。本文やタイトルにはどの活字書体を使うか。本文の行の長さはどれくらいにするか。行間はどれくらい空けるか。与えられたページサイズに照らし合わせて標準的な活字エリアをどれくらい取るか。テキストやグラフィックの要素をどう配置するか。こうした問いのすべてに答えを出さなければ、文書を完成させることはできません。

日本の枯山水の簡素化された抽象的な特質は、中国宋王朝の禅宗から影響を受けていますが、ある種のミニマリズムを象徴していると考える人もいます」と山本氏は言う。

現代の日本の枯山水の多くは、中国の巨匠画家が描いた山水画を参考にデザインされている。その画風の特徴のひとつに、少ない要素が広い余白に囲まれているという点がある。

「風景の細かい部分などディテールが省略されていると、見る側はさまざまなことを想像します。例えば、長く曲がりくねった山道を思い浮かべるかも知れません。頭の中で細部を想像し、作り始めるのです。中国や日本の山水画の傑作は、こうした見る人の想像力を掻き立てる力があります。ここで、絵の鑑賞が描き手と見る側との共同作業になるのです。こうした絵の中に、ミニマリズムや簡素化の形式的な視覚効果が見て取れるでしょうが、見る人がすべてを見ることができるのであれば、その人の心の中では何もミニマル化されてはいないのです」と山本氏は言う。

これは、絵画作品に明確に表れるミニマリズムの豊かな要素のひとつだ。作品が抽象的に表現されているとき、残りの部分は想像力に委ねられる。

ミニマリズムを「簡素さ」対「複雑さ」という二元的な軸で語るのは、あまりにも短絡的という気がします。ミニマリストであったとしても、一つ一つが精密な仕事を要する数多くの要素から成り立つような、複雑な構造のものを作らなければならない場合もあると思うのです。また、表面的には非常に複雑で装飾的に見えるものであっても、その下にあるのはシンプルで確固たるひとつの概念だけということもあるでしょう」と山本氏は語る。

太郎氏は、「簡素さ」と「複雑さ」との境界を曖昧にしようとしている。簡素に見えるものでも、その裏側に複雑な構造が隠れていたり、その逆もあったりするからだ。

「ミニマリズムとラグジュアリーが相対するものだという考えについて、私は少し懐疑的です。『ミニマリズム』という言葉は、芸術や人生に対する禁欲的で控えめな態度を示唆しているかも知れませんが、外見的に美しいだけでなく、精神的にも奥深くて豊かなものを作り出すのに役立つこともあるのです」と山本氏は言う。

ミニマリズムとラグジュアリーという一見矛盾した関係も、ミニマリズムや節制がラグジュアリーや豊かさを生み出し得ると考えれば、実はそれほど対立していないのではないかと太郎氏は言っているのだ。

食を制御する断食は、肉体的変化を目的とした胃に対するミニマル主義的で禁欲的なアプローチだと捉えられるかも知れないが、しかし、これはむしろ、精神的な変化を目的としたものだ。祈りや瞑想にしても、精神を無にして必要な伝達を得るための余地を作ることで精神を整えようとする、ミニマル主義的アプローチと見ることができる。こうした意味で、ミニマリズムは精神的な行為であり、目には見えない独特の形でのラグジュアリーだと捉えることが可能だ。

中東・北アフリカのいくつかの地域におけるミニマリズムを考えると、ベドウィンの人々の生活様式が思い浮かぶ。北アフリカやアラビア半島の遊牧民族で、所属する国の総人口の極一部を占める人々だ。

ベドウィンの人々は動物の世話をしながら、小雨降る冬の間は砂漠をさまよい、夏の乾季になると文化的な土地へと戻る。彼らは住む場所を移動しながら、厳しい環境に適応することで知られる。水などの資源が不足する中でも生き抜く彼らは、人を手厚くもてなす寛大さを持ち合わせていることでも有名だ。

「中東諸国にはいくつか行ったことがありますが、ベドウィン文化について知っていることは極わずかです。彼らは独自の文化を継承しており、テキスタイルアートの分野で美しい作品を作り出すと読んだことがあります」と山本氏は述べた。

ベドウィンの人々は、必要不可欠なものだけで力強く生きており、極わずかな持ち物で長距離を旅する。必要以上のものは長旅の負担となり、余計な重荷にしかならない。彼らのプライドは、無用なものを遮断して自分たちの幸せを守ることから来ている。おそらく、砂漠を十分なものとして受け入れ、道中で出会うものに感謝することによって。

人々は多くを求め過ぎて、あるいは所有物の多くがその意味を失うほどに多くを持ち過ぎて、幸福の意味を見失ってしまったのだろうか。そして今回のコロナ禍は、私たちにそれを教えてくれるための「強制的な学び」だったのだろうか。

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