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サウジ俳優のミシャル・サマン:多才なパーソナリティ

ミシャル氏の作品は、YouTubeや彼の公式ウェブサイトで見つけることができる。インスタグラムやツイッターで、彼をフォローすることも可能だ。(画像/提供品)
ミシャル氏の作品は、YouTubeや彼の公式ウェブサイトで見つけることができる。インスタグラムやツイッターで、彼をフォローすることも可能だ。(画像/提供品)
ミシャル氏の作品は、YouTubeや彼の公式ウェブサイトで見つけることができる。インスタグラムやツイッターで、彼をフォローすることも可能だ。(画像/提供品)
ミシャル氏の作品は、YouTubeや彼の公式ウェブサイトで見つけることができる。インスタグラムやツイッターで、彼をフォローすることも可能だ。(画像/提供品)
ミシャル氏の作品は、YouTubeや彼の公式ウェブサイトで見つけることができる。インスタグラムやツイッターで、彼をフォローすることも可能だ。(画像/提供品)
ミシャル氏の作品は、YouTubeや彼の公式ウェブサイトで見つけることができる。インスタグラムやツイッターで、彼をフォローすることも可能だ。(画像/提供品)
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09 Feb 2020 09:02:52 GMT9
09 Feb 2020 09:02:52 GMT9
  • 多才なアーティスト、設立間もないサウジアラビアのエンターテイメント業界へ貢献したいと語る

ハラ・タシュカンディ

リヤド:2019年にジェームズ・コーデン氏のレイトx2ショーに登場した「ミーシャ」として、あなたは彼を観たことがあるかもしれない。2014年に大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンを訪れてホグワーツ特急の車掌と自撮りをしたなら、彼を観たかもしれない。もしくはテレビ番組の「Moving On」、「Franklin and Bash」、「The Faces of LA」でさえその可能性はある。だがこれまでに彼のことを聞いたことがないなら、今がそのチャンスだ。

ミシャル・サマン氏は今までに、たくさんの仕事を経験してきた。ウェブサイトの開発者、IT専門家、DJ、映画俳優にテレビ俳優、その他にも多数ある。サウジアラビアやアメリカ、そして日本でも15年ほど過ごしたことのあるサマン氏が現在暮らすのは、カリフォルニア州ロサンゼルスだ。そこで彼は、俳優、そして客室乗務員としても働いている。

サマン氏は、アラブニュースに対して「バカなことをする程度に若いが、分別はある」年齢だと語った。そして自らのポリシーについては、人生を最大限謳歌し、毎日を情熱的に生きることだ、と述べる。


「おそらく私は、15回分の人生を生きている。それでもまだ途中なんだ。人生を楽しむことを学んできたんだよ。」と彼は語った。オレゴン大学から政治学の学位を得て2000年に卒業後、彼は日本企業の富士通にジュニア・プログラマーとして就職。そして米国に留まった。

彼の国籍と宗教にも関わらず、サマン氏は9.11の出来事の後でさえ、米国で快適に生活することができたと言う。それは、自らの外見とアクセントによるものだと彼は説明した。

「私にとって大きかったことの一つが、アメリカ人のように英語を話すってことなんだ。サウジ人には見られなかったよ。それに、当時住んでいたのがサンフランシスコだったのも幸運だった。他国の人間に対して、他の場所よりもかなり寛容な街だからね。」と彼は語った。

だが富士通で働く間に、彼は日本を好ましく思うようになっていた。そして修士号と博士号取得へ進むために、日本へ引越しすることになった。

自分の情熱が演じることにあると気づいた時、彼は東京の一流校、早稲田大学でネットワークエンジニアの修士過程を半分終えたところだった。「日本では本当に上手くやれていたんだ。だからロサンゼルスへ行って、ハリウッドでの成功を目指すのもいいじゃないかと思った。そこで仕事を辞めて、俳優になるためにロサンゼルスへ引っ越したんだ。」

ロサンゼルスで、サマン氏は俳優としての足がかりを見つけた。そして時間が経つにつれ、彼はより多くの役をこなし始めた。シェイクスピアから漫談まで、彼はテレビと映画の両方でありとあらゆることに挑戦してきている。またセカンド・シティのコメディクラブにも参加した。そこで即興とコメディに強みを見出した彼は、同プログラムから卒業した一人目のサウジ人俳優となった。


彼の粘り強さは実を結び、ユニバーサル・スタジオで英語と日本語(日本で数年を過ごした後、彼は流暢に話せるようになっていた)の役にオーディションすることになった。そして2014年5月、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンでホグワーツ特急の車掌役を務めるに至った。

要点まとめ

  • ミシャル・サマン氏はウェブサイト開発者、IT専門家、DJ、映画俳優、テレビ俳優、その他多くの肩書きを経験してきた。
  • 彼は2000年に、オレゴン大学から政治学の学士号を得て卒業した。
  • 卒業後、彼は日本企業の富士通へジュニア・プログラマーとして就職した。
  • サマン氏は現在、ロサンゼルスに定住して客室乗務員と俳優の両方をこなしている。
  • 彼はシェイクスピアから漫談まで全てをこなし、舞台、テレビ、映画のいずれにも出演している。

その仕事を終えた時、彼はサウジアラビアか米国へ向けて日本を発たなければいけないという可能性に直面していた。いずれの国にも仕事のなかった彼が見つけた、自分にぴったりの職が客室乗務員だった。


「その仕事には利点がたくさんあったんだ。ほとんど無料で渡航できて、医療補助が付く。ウェイターとして働くよりもよかった。最初は好きじゃなかったけど、自分の対人スキルは思っていたほど悪くないと気づいたんだ。それで上手くいくようになった。」彼は述べた。

彼は今ではロサンゼルスに定住し、客室乗務員と俳優(ジェームズ・コーデン氏は「フラクター」と呼んだ)の両方をこなしている。だが、サウジアラビアへ帰国し、そこで急成長中のエンターテイメント業界に関わるのにも魅力を感じている。

「サウジアラビアの業界とぜひ関わりたいね。ワークショップをやったりするだけでもいいんだ。業界の成長を助けることに意欲的な人物として知られたい。今挑戦しているのは、全体のバランスの中で、どこに自分の場所を見つけられるかだ。どうしたら、人は僕を受け入れてくれるだろうってね。」彼は述べた。

若いサウジの俳優たちへ彼が向けるアドバイスはこうだ:「コメディから始めて、ドラマへ進むといい。コメディは、ちょうどいいタイミングが備わっているだけのドラマなんだ。演じることは、セリフを読むってことだけじゃない、つながることだ。名声やお金を理由にせず、演技という芸術そのものを好きになることが大事だ。心からのものでなければ、人はそれを見抜くからね。」
ミシャル氏の作品は、YouTubeや彼の公式ウェブサイトで見つけることができる。インスタグラムやツイッターで、彼をフォローすることも可能だ。

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