
東京:日本の捜査当局は20日、東京の羽田空港で発生した海上保安庁の航空機と、航空会社幹部が着陸許可を得ていたと発表した旅客機との衝突事故について調査した。
海上保安庁の航空機に乗っていた5人が死亡したが、乗客乗員379人全員が、日本航空のエアバスが火に包まれる数分前に緊急用スライドを降りて安全な場所に脱出した。
焼け焦げた旅客機の残骸は、水曜日になっても駐機場に置かれたままであり、彼らの脱出がいかに狭かったかを物語っている。
元旦の地震被災地に救援物資を運んでいた沿岸警備隊の航空機の機長は、一人生き残ったものの重傷を負った。
火曜日の映像では、着陸直後に旅客機の下から火の玉が噴出し、濃い黒煙が上がり、前部着陸装置が故障して機首で停止する様子が映し出された。
ソーシャルメディア「X」に投稿された映像では、機体後部から炎が噴出するなか、乗客がインフレータブル・スライドを滑り降りる様子が見られた。
飛行機が避難するなか、青と赤のライトを点滅させた何十台もの消防車が炎を消そうとしたが、飛行機全体がすぐに飲み込まれ、最終的に炎を消すのに8時間かかった。
着陸してすぐに “ドーン “という音がした。右側から炎が上がっているのに気づきました」と乗客の女性はNHKの取材に答えた。
「機内は熱くなっていて、正直、助からないと思いました」。
「普通に着陸したと思った。でも、煙のにおいがすることに気づいた。外を見たら、すでに燃えていました」と小さな子供を連れた女性はNHKに語った。
「私は娘を守らなければならなかった。それしか頭にありませんでした」。
政府関係者は、何十年もの間、重大な民間航空事故が起きていなかったこの国で、なぜこのような事故が起きたのかを調査すると約束した。
火曜日の夜遅くに行われたブリーフィングで、日本航空のフライトが航空管制から着陸許可を得ていたかどうか尋ねられ、大手航空会社の関係者はこう答えた: 「我々の理解では、許可は下りている。
しかし日本航空と国土交通省は、現在調査中であることを理由に、管制官と2機の飛行機とのやりとりについて直接コメントすることを避けた。
航空交通信号のライブ放送を行なっているサイトで見ることができる、羽田の管制塔が衝突する直前に録音したものと思われる記録では、JALのフライトに「接近を続けるように」と助言する声が聞こえる。
水曜日の朝、世界で最も忙しい空港のひとつである羽田からは、一部の国内便が運航されていたが、数十便がキャンセルされた。
日航機を製造したフランスのエアバスは、日本当局の調査に協力するため専門家チームを派遣すると発表した。
旅客機は北海道の札幌にある新千歳空港から到着した。
乗客には8人の子供が含まれていた。
海上保安庁の飛行機は、少なくとも62人が死亡した元旦の大地震の後、石川県に物資を届けるために飛ぶ準備をしていた。
岸田文雄首相は、被災者救援に向かった亡くなった乗組員を賞賛した。
「被災地に対する高い使命感と責任感を持った社員たちであった」と語った。
1985年、東京発大阪行きの日航ジャンボ機が群馬県中部に墜落し、乗客乗員520人が死亡した。
この墜落事故は、1回のフライトによる墜落事故としては世界で最も犠牲者の多いもののひとつであった。
時事通信