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アラブ系アメリカ人が、「失策の」元シカゴ市長で現駐日米国大使のラーム・エマニュエル氏について振り返る

2024年1月10日にシカゴのテレビインタビューで、エマニュエル氏は 、任期が終了するまで大使の職を務め続け、政治の役職を考えるのは、その後でだと話した。(AFP)
2024年1月10日にシカゴのテレビインタビューで、エマニュエル氏は 、任期が終了するまで大使の職を務め続け、政治の役職を考えるのは、その後でだと話した。(AFP)
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16 Jan 2024 03:01:29 GMT9
16 Jan 2024 03:01:29 GMT9
  • 市長時代のエマニュエル氏は、毎年開催のシカゴ・アラベスク・フェスティバルとアラブ問題諮問委員会を廃止した。
  • 2014年、ティーンエイジャーのラクアン・マクドナルドさんを警官が銃撃して事件で「無神経な」対応をしたエマニュエル氏は、3期目の市長選を逃した。

レイ・ハナニア

シカゴ:神話が現実を凌駕するさまを理解している人間がいるとしたら、それは元シカゴ市長で駐日米国大使のラーム・エマニュエル氏だろう。彼は論争と混乱を巻き起こしながら政治キャリアを積んできた。

シカゴのジャーナリストや政治関係者の多くが述べるところによると、エマニュエル氏は自身のイメージを磨いてより良い役職に就くことには長けていたが、シカゴ市が直面する重大な問題には対処しきれなかったという。

シカゴの市長になると、裕福な地域を優遇する市の学校制度改善、犯罪や暴力の増加、人種や民族間の緊張、政治的内紛など、克服困難と思われる数々の課題に直面することになる。

2011年から2019年まで務めたエマニュエル氏の任期は物議を醸し、報道関係者や共に仕事をしてきた人々から批判を受けていた。その中には、主にパレスチナ系の人々で構成されたシカゴのアラブ系アメリカ人コミュニティも含まれる。

エマニュエル氏の父親は、1940年代にパレスチナで活動していたイスラエル人民兵組織「イルグン」の元メンバーで、息子のエマニュエル氏はシカゴのアラブ人に対して明言は避けながらも嫌悪感を抱いていた。そして、ハロルド・ワシントン氏やリチャード・M・デイリー氏など歴代の市長たちが確立してきた多くの進展を阻害することに尽力した。

2006年にデイリー氏が始めた、アラブコミュニティで毎年開催される文化フェスティバルを、エマニュエル氏は廃止に追い込んだ。

また、ワシントン氏が創設しデイリー氏も支持していた人事委員会を再編成し、2011年にアラブ問題諮問委員会を解散させた。

エマニュエル氏は非アラブ系ムスリムと仕事をすることを好み、ラマダン月に開催した公式のイフタール(夕食会)も非アラブ人が大多数を占めた。また1991年11月にデイリー氏が開始し、2018年には4月に変更されたアラブ系アメリカ人文化遺産月間の支持も拒んだ。

シカゴ市長在職時、シカゴであったラマダンのイフタールでのラーム・エマニュエル氏(写真提供:Ray Hanania、アラブニュース)

「エマニュエル氏が市長選挙運動のためにデュ・セイブル(黒人歴史博物館および教育センター)を訪れたとき、個人的に話しかけたのですが、市長は呼びかけに応えてくれませんでした」と、サミル・カリル氏は語る。カリル氏はアラブ系アメリカ人民主党クラブの創設者にして、パレスチナ系アメリカ人の政治活動に長い間携わっている。

「私はエマニュエル氏に非アラブ系ムスリムと会い、パレスチナ人、アラブ系ムスリム、クリスチャンを含めた連合団体を作るための会議を設けてはどうかと尋ねました。しかし彼は返事をせず、私たちに面会することも拒否しました。何度もお願いしましたが、無視されました。」

カリル氏はエマニュエル氏に、オークパークの村長でパレスチナ系アメリカ人であるアナン・アブ・タレブ氏と対面することも求めた。「でも断られました。エマニュエル市長はパレスチナ人やアラブ人である我々とは話をしたくなかったのです。非アラブ系ムスリムとは話していましたけどね。」

エマニュエル氏がアラブ問題諮問委員会を解散させた後、コミュニティは後任のロリ・ライトフット前市長とブランドン・ジョンソン現市長に再設立を求めた。彼らは再設立を約束したものの、現時点では何も進んでいない。「私たちは今も待ち続けています」と、ハリル氏は語る。

エマニュエル氏は、公の場でアラブ系アメリカ人指導者と議論を交わしたり協議したりすることはなかった。一方でシカゴ・アラベスク・フェスティバルを「パレスチナ児童救援基金」などパレスチナ系アメリカ人団体を紹介する場だとして、繰り返し怒りと不満を表明するユダヤ系アメリカ人指導者たちには直接応えていた。

批評家たちによると、エマニュエル氏は人種的分断や欠陥のある教育制度など、市のさまざまな問題に効果的に対処してこなかったという。特に彼の最初の任期中はそれが顕著だった。2015年3月27日、学者ジョン・ジュディス氏は権威あるカーネギー国際平和基金のウェブサイトで「過去4年間で問題解決のために(エマニュエル氏が)行ってきた努力は、特に良い結果を生み出していない」と結論付けた。

エマニュエル氏の経歴

  • 1992: ビル・クリントン氏の大統領選挙に貢献し、国家財務局長を務める
  • 1999:シカゴの投資銀行ドレスナー・クラインオート・ヴァッサーシュタインで最高責任者を務める。
  • 2002:イリノイ州第5選挙区からアメリカ合衆国下院議員に選出。
  • 2008:バラク・オバマ元大統領によって、2008年11月6日にホワイトハウスの首席補佐官に任命される。
  • 2011:2011年2月22日に得票率55パーセントでシカゴ市の第55代市長に選出され、2019年まで市長を務める。
  • 2022:駐日米国大使に任命され、現在就任中。

エマニュエル市長の第2期はさらに物議を醸すものであり、右派と左派両方の政治ジャーナリスト数人が市長の政治権力乱用を指摘し、その任期を失政と表現した。

1980年から2021年までシカゴ・トリビューン紙の上級政治コラムニストを務めたジョン・カス氏は、エマニュエル氏を「シニカルな政治工作員」で「演出過多」と称した。

「ラーム(エマニュエル氏)は政敵に死んだ魚を送ることで有名でした。ステーキナイフでテーブルを刺しながら敗北した敵の名前を叫ぶような男です。彼の有名な言葉にこんなものがあります。『深刻な危機を無駄にすることはできない。何が言いたいかというと、今までできないと思っていたことをするチャンスだ。』これが彼の政治のやり方でした。おかげで名前と評判に傷がつきましたけど」と、カス氏は語った。カス氏は現在オンラインで政治コラムを発信している。(www.JohnKassNews.com

エマニュエル氏が3期目の再選を目指さないことを決めた理由として、シカゴ警察官のジェイソン・バン・ダイクが、問題を抱えたアフリカ系アメリカ人の少年ラクアン・マクドナルドさんを射殺した事件における「無神経な」対応が影響している可能性があると、カス氏は指摘している。マクドナルドさんは当時わずか17歳で、ナイフを所持しており、後に麻薬を使用していたことが判明した。2014年10月14日、マクドナルドさんに16発の銃弾が撃ち込まれた。

2015年12月24日、イリノイ州シカゴで、デモ参加者が、警察のラクアン・マクドナルド少年射殺に抗議を続け、ミシガン・アベニューで祝日の買い物客の邪魔をしようとしている(AFP)

殺害事件が起きた当時、エマニュエル氏は2期目の再選に向けて活動している最中だった。しかし市長は発砲時の詳細を示す警察の映像を公開することを拒否した。その映像が人々の感情をさらに煽る可能性があったためだ。再選への出馬の妨げになることを恐れたのではないかと考える人もいる。

「十代の黒人少年ラクアン・マクドナルドさんは、シカゴ警察に16発も撃たれています。これは警官による殺人で、自分のキャリアが終わる可能性にラームは気づいていたのです」と、カス氏は指摘した。

「でもラームは再選に向けて出馬しており、市議会はマクドナルドさんの映像公開を差し止めることを決定しました。ハンター・バイデン氏のノートパソコン論争によく似ています。ラームは黒人票を当てにしていたため、もし映像が公開されれば選挙に悪影響が出るでしょう。だからマクドナルドさんの殺害映像は差し止められたのです。」

市長選は2015年2月24日に行われ、エマニュエル氏は4人の対立候補と戦った。映像が公開されなくとも、エマニュエル氏に対する怒りが当選の妨げとなった。得票率は46.5パーセントだったが、勝利のためには50パーセントを超える必要があった。結果は2015年4月7日の決選投票に持ち越された。次点候補は当時クック郡の郡政委員で現在はイリノイ州選出の下院議員であるヘスス“チュイ”ガルシア氏だった。

2015年5月18日、イリノイ州シカゴのシカゴ・シアターでのシカゴ市長2期目の就任式で、ラーム・エマニュエル・シカゴ市長(右)は、元米国大統領ビル・クリントン氏と同席(AFP)

判事がエマニュエル氏に、マクドナルドさんが撃たれた衝撃の映像を公開するよう命じたのは、決選投票でエマニュエル氏がガルシア氏を破ってから8か月後の2015年11月24日だった。

「ラームがいかに人を小馬鹿にしていたかわかるでしょう。再選に向けた選挙活動中、警察の映像を隠蔽するかたわらで、サウス・サイドの集会では黒人の宗教指導者たちと共に現れました」と、カス氏は語る。アフリカ系アメリカ人コミュニティは、シカゴ市の投票基盤の約3分の1を占めている。

「宗教指導者たちが聖霊に呼びかけ祈っている間、ラームは目を閉じていました。信仰によって人が変わったようでした。その後映像が公開され、黒人の少年は16発も撃たれていたことが明らかになったのです。」

カス氏によると、映像の公開でエマニュエル氏の運命は決まり、2019年の再選は断念せざるを得なかったという。

ニュースサイト『ザ・インターセプト』のライターであるカーティス・ブラック氏は、2019年5月20日の記事で、エマニュエル氏が市長を務めた2期の任期を「詐欺と失策」と評価した。

「ラーム・エマニュエル氏はテレビのご意見番になった方がいい。すべてにおいて的を外してきた実績を考えると、ケーブルニュースがお似合いだ」と、ブラック氏は書いている。

エマニュエル氏は貧困層を罰する「懲罰的な福祉改革」の導入など、欠陥のある政策を推進し、またイスラエルよりも中東諸国に共感する民主党の進歩的運動を批判していた。

1984年以来シカゴ・リーダー紙で執筆している、シカゴのリベラル派政治ライター兼コラムニストのベン・ジョラフスキー氏は、エマニュエル氏の失策の経緯に関するカス氏の見解に反対している。

「ラーム・エマニュエル氏は早い時期に映像を公開して、暴力を謝罪し責任を取るべきでした。そうすれば簡単に再選できたでしょう」と、ジョラフスキー氏は自身がSpotifyでホストを務める政治インタビューのポッドキャストで語った。

2014年5月22日、イリノイ州シカゴのシカゴ・オヘア国際空港にエアフォースワンで到着後、ラーム・エマニュエル・シカゴ市長(左)と並んで歩くバラク・オバマ米国大統領(AFP)

「ラーム市長の最大の関心事はラーム市長です。私が見る限り、彼は自分の出世のためにしか動いていません。私は彼の言動の隠れた意味を読み取る練習をし、どのようにチェスの駒を動かしていくか理解しようと努めています。」

「しかしラームは用心深い男で、自分が賢くスマートに見えるような発言を好みます。私は実際に賢くてスマートな人々とたくさん会ってきましたが、ラームはそこに入りません。嫌いだからそう言っているわけではありませんよ。ラームは自分の発展にしか興味がないのです」と、ジョラフスキー氏は見解を述べた。

ジョラフスキー氏は、エマニュエル氏が駐日米国大使であるにもかかわらず、多くの時間を故郷のシカゴで過ごしていることを指摘した。そしてディック・ダービン上院議員が再選を求めないだろうと言われる中で、元シカゴ市長が彼の後釜を狙っているのではないかと考えている。

2024年1月10日のシカゴTVのインタビューで、エマニュエル氏は任期が終わるまでは大使の務めを果たし、官職について考えるのはその後だと述べた。

第1次インティファーダの中、1991年に民間ボランティアとしてイスラエル国防軍に参加したエマニュエル氏の決断に、多くのパレスチナ人たちは問題視した。

同じテレビインタビューの中で、エマニュエル氏は自身が反ユダヤ主義や「反ユダヤ主義的ステレオタイプ」の被害者であると主張した。

ミシガンにある別荘のフェンスに「ナチ」とペンキで描かれたことがあり、それは明らかに反ユダヤ主義的行動だった。そして彼の従軍を問題視することもそれと変わりないと、エマニュエル氏は述べた。

「私は市長として毎年ラマダンの夕食会を開催しましたし、シカゴのイスラムコミュニティの皆さんは塀に描かれた『ナチ』の落書きをひどいと言います。近くにいる人々を憎むのは難しいものです。人々は私が思う共同体意識を反映した行動を取ったのでしょう。私はユダヤ人です。でも私が攻撃を受けたときに、イスラムコミュニティはユダヤ人の私を援護してくれました」と、エマニュエル氏はシカゴTVに語った。

2009年11月10日、ワシントンでの北米ユダヤ人連盟の総会で演説するラーム・エマニュエル元大統領首席補佐官(AFP)

「私は憎しみや醜さに対処できます。市長選でも議会選でもたくさん見てきました。憎しみから目を逸らすつもりはありませんが、それによって人々の善意を無視したりしません。」

しかしエマニュエル氏は、アラブ人とムスリムの多くがパレスチナ人であるシカゴで、毎年開催されるラマダン月のイフタールに招待されたのはほとんど非アラブ系ムスリムだったという申し立てには何も答えていない。

10回以上断られてきたインタビューを何とか実現させるため、私はイフタールに何度か出席した。2016年6月28日に開催されたのもそのひとつだった。私は非アラブ系ムスリムの招待客8人のうちの1人だったが、市長からではなく非アラブ系ムスリムの共同主催者から招待されたのだ。

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