東京:誰に尋ねるかにもよるが、東京の処分場に何十年も放置されている骨は、20世紀初頭の解剖学の授業の残り物かもしれないし、日本で最も悪名高い戦争犯罪の犠牲者の一人で、埋葬もされず身元も確認されていない、という可能性もある。
戦時中の、細菌戦実験との関連性を調査するよう政府に求めている活動家、歴史家、その他の専門家のグループは、発見から35周年を記念して週末に会合を開き、証拠を調査する独立委員会の設置を改めて求めた。
日本政府は長い間、「従軍慰安婦」として知られるアジア人女性への性的虐待や、日本の鉱山や工場での朝鮮人強制労働者を含む戦時中の残虐行為について、しばしば証拠書類がないという理由で議論を避けてきた。日本はアジアにおける侵略を謝罪してきたが、2010年代以降、韓国と中国では、その姿勢が後退していると繰り返し批判されている。
1989年7月22日、戦時中の陸軍軍医学校の跡地で厚生省の研究所が建設されている最中に、約12体の頭蓋骨(多くは切痕がある)と他の骸骨の一部が発掘された。この学校は細菌・生物兵器部隊と密接な関係があったため、日本政府が公式に認めていない暗い歴史の遺物ではないかと多くの人が疑った。
歴史家や元部隊員によれば、731部隊といくつかの関連部隊は、当時日本が支配していた中国東北部に本部を置き、捕虜にチフスやコレラなどの病気を注射していた。また、部隊は手術の練習のために生きている人間に不必要な切断手術や 臓器摘出手術を施し、人体の耐久テストのために捕虜を 凍え死にさせたという。日本政府は731部隊が存在したことだけは認めている。
歴史家によれば、731部隊の幹部は戦後、米国が化学兵器に関する情報を入手しようとしたため、裁判にかけられなかったが、下級の幹部はソ連の裁判にかけられたという。部隊の指導者の中には、戦後、医学教授や製薬会社の重役になった者もいる。
厚生省の以前の調査では、遺骨は部隊とは関連づけられず、医学教育に使われたか、分析のために戦地から持ち帰られた遺体の可能性が高いと結論づけられた。
この報告書は、731部隊との関連を証言した人がいたことを認めている。ある者は、部隊の拠点であった中国北部の満州から輸送された樽の中に人間の頭部があったと語った。また、731部隊の標本が校舎に保管されているという話を聞いたが、実際には見たことはないと答えた者も2人いた。その標本には戦前のものも含まれている可能性があるとして、関連を否定する人もいた。
1992年の人類学的分析によれば、骨は少なくとも62体、場合によっては100体以上の異なる遺体から採取されたもので、そのほとんどが日本以外のアジア地域の成人であった。いくつかの頭蓋骨に見られる穴や切り傷は、死後に作られたものであるというが、その骨と731部隊を結びつける証拠は見つかっていない。
しかし活動家たちは、政府は真実を明らかにするために、聞き取り調査の全容の公表やDNA鑑定の実施など、もっとできることがあるはずだと言う。
自分のキャリアの大半を、謎の骨の解明に捧げてきた元新宿区議会議員の川村一之氏は、最近、情報開示請求を使って2001年の報告書から400ページの調査資料を入手し、政府が目撃者の証言から重要な情報を「巧妙に省いた」ことを示していると述べた。
新たに公表された資料には、決定的な証拠は含まれていないが、生々しい描写が含まれている。樽の中の頭部を見たと証言した男性は、その頭部の取り扱いを手伝い、その後、嘔吐のために逃げ出したとも証言している。また、より詳細な法医学的調査が731部隊との関連を示すかもしれないと示唆した数人の目撃者のコメントも含まれている。
「私たちのゴールは、骨の身元を確認し、家族に返すことです」と川村氏は言う。骨は事実上、何が起こったかの唯一の証拠なのです。「私たちはただ真実を知りたいだけなのです」と同氏は続けた。
厚労省の秋山篤史氏は、目撃者の証言はすでに調査され、2001年の報告書に織り込まれていると述べた。秋山厚労相は、重要な欠落は、検体容器のラベルや公式記録などの証拠書類であると述べた。
文書、特に日本の戦時中の残虐行為に関わる文書は、戦争末期に慎重に破棄されたため、証明のための新たな証拠を見つけることは難しいだろう。
秋山氏は、骨に関する情報が不足しているため、DNA鑑定は難しいだろうと続けた。
1945年4月、14歳の時に実験技師として731部隊に派遣され、長野の自宅からオンラインで会議に参加した清水英男氏は、部隊本館の標本室に保管されていたホルマリン漬けの瓶に入った頭部や体の一部を見たことを覚えていると語った。特に印象的だったのは、解剖された腹の中に胎児がいたことだという。彼は、それが「丸太」であり、実験用に選ばれた囚人に使われる言葉であると聞かされた。
1945年8月15日に日本が降伏する数日前、清水氏は穴で焼かれた捕虜の遺体の骨を集めるよう命じられた。そして、日本に帰る途中で捕まったら自殺するようにと、ピストルと青酸カリの包みを渡された。また、731部隊での体験を誰にも話さないこと、同僚に連絡しないこと、政府や医療関係の仕事に就かないことを命じられた。
同氏は、731部隊で見た標本が新宿の骨の中にあるかどうかは写真を見てもわからないが、ハルピンで見たことは二度と繰り返してはならないと語った。ひ孫を見ると、自分が見た標本の胎児や失われた命を思い出すという。
「若い人たちに戦争の悲劇を理解してほしい」と彼は語った。
AP