
日本の辺野古:沖縄県在住の伊波博正さんは、60年以上前に米軍ジェット機が小学校に墜落し、18人が死亡した後のクラスメートと教師の悲鳴を今でも思い出すことができる。
世界中の人々が第二次世界大戦終結80周年を記念するなか、この72歳の引退した実業家は、それ以来沖縄に駐留するアメリカ軍に反対する多くの住民の一人である。
彼は数十人の島民とともに、ほぼ毎日米軍に反対する抗議活動を行っている。
アメリカは日本に約54,000人の軍人を駐留させており、そのほとんどが沖縄に駐留している。性的暴行事件など、長年にわたる一連の事件は住民を怒らせてきた。
「私たちにとって、このような犯罪や事故は他人事ではなく、いつまた同じようなことが起こるか予測できないという差し迫った不安を感じています」と、1959年の学校での事件を思い出しながらAFPに語った。
“私たちは基地の撤去を望んでいる”
亜熱帯の楽園で観光産業が盛んなこの島は、在日米軍基地の70%を抱え、中国、台湾海峡、朝鮮半島を監視するアメリカの重要な前哨基地として機能している。
終戦間際の沖縄戦は血なまぐさいもので、アメリカは1972年までこの島を占領した。この間、軍隊は沖縄の私有地を接収し、地元では「銃剣とブルドーザー」作戦として知られるようになった。
冷戦時代、沖縄に駐留する米軍は、共産主義の蔓延に対する抑止力としてワシントンに見なされていた。
現在、東京もワシントンも、中国の領土的野心に直面して沖縄の戦略的重要性を強調している。
しかし、米兵や基地関係者が巻き込まれる犯罪や事故の続発に、住民は長年にわたって怒りの声を上げてきた。
2024年だけでも、沖縄県警は米兵や軍事請負業者など、基地に関係する80人を拘束した。
1995年、3人の米海兵隊員が12歳の少女を集団レイプした事件の後、沖縄は怒りを爆発させた。
2004年8月には、沖縄の大学で海兵隊のヘリコプターが墜落し、負傷者は出なかったが、事故への恐怖を増幅させた。
2016年4月には、沖縄で軍事請負業者として働いていた元海兵隊員が20歳の女性をレイプして殺害した。
先月には、海兵隊員が女性に性的暴行を加えたとして有罪判決を受け、海兵隊幹部が沖縄県庁を訪れて謝罪した。
沖縄のオピニオン調査では、米軍受け入れに関しては日本の他の地域が公平な負担をしなければならないと考えている住民が大多数であることが歴史的に示されている。
玉城デニー沖縄県知事は、日常的に沖縄の「過重な負担」を指摘し、住民の日常生活に影響を与えている。
しかし、米兵による犯罪を防止するよう当局に繰り返し求めても、ほとんど耳に届いていないと、沖縄の女性団体連合軍議長である伊良波順子氏は言う。
「私たちはアメリカ人が嫌いなわけではありません。私たちは、基地について何とかしてくださいと言っているのです」と彼女は言った。
1972年に沖縄が日本に返還されたとき、住民は米軍基地が日本中に広がることを期待していた。
最近の世論調査では、沖縄県民の間に諦めムードが高まっているようだ。
2023年の調査では、沖縄の調査参加者の40%近くが、米軍基地反対運動は東京の政策を変える力がないと答えている。
しかし、多くの沖縄県民は米兵による犯罪に怯えながら暮らしていると言い、被害者たちはいまだに悲しみを処理しようとしている。
金城武政さん(68)は、1974年に母親が小さなバーを経営していた自宅で海兵隊員にレンガで殺されたとき、高校生だった。
「近所で犯罪が起こるかもしれないと思うと、本当に恐ろしい」と金城は語った。
彼はまた、ジュゴンや他の保護種が生息する人里離れた湾に拡張されようとしている海兵隊基地への最近の抗議活動にも参加した。
彼は、基地関連収入が沖縄経済の5%強を占める沖縄は、観光だけで繁栄できると信じている。
「沖縄に基地はあってはならない。新たな軍事施設は必要ない」
小学校が米軍機によって破壊された経験を持つ伊波さんは、未来の世代に何が起こったのかを説明する必要性を感じている。
200人以上の負傷者を出した墜落事故当時、「誰もがまた戦争が始まると思っていた」と彼は回想した。
今では、「毎日、軍のジェット機が私たちの家の上空を飛び、ヘリコプターが不時着するのを目にします」と伊波さんは言う。
「これは過去のことではありません。これはいつでも起こりうることなのです」
AFP