



Khaldon Azhari
広島市民が8月4日(火)のベイルート港大爆発に関して、レバノンに同情を寄せている。この爆発で100人超の死亡者、何千人ものけが人を出し、中東最大の港湾の一つが木っ端微塵となった。
8月6日(木)、広島市は米国による原爆投下から75年目を迎え、グラウンドゼロ近くの平和記念公園で恒例の記念式典を行った。
その朝、83カ国からの代表者並びに多くの国民が、原爆投下時間に執り行われたこの式典に参列した。
「リトルボーイ」と名付けられたそのウラン原爆は、75年前広島上空で炸裂し、1945年の年末までに推定14万人の市民が死亡した。
つい二日前、巨大な閃光とキノコ雲をともなった大爆発がベイルート港を壊滅させたが、この事件は広島の人々に原爆を思い起こさせるものとなった。
「レバノンで起きた大爆発には胸が痛みます。広島に原爆が投下されてから75年が経ちました。平和を志向する教育を受けた人間として、レバノンに同情します。でもレバノンも広島と同じように、きっと再び立ち上がることでしょう」広島での式典に参列していた日本人青年が涙をこらえながらアラブニュースにそう語った。
ある学生は、前夜のニュースでレバノンの大爆発について知ったと言う。
「この爆発が攻撃だったのかどうかはわかりませんが、現地で多くの人命が奪われたことを残念に思います」とその学生は語った。
「ベイルートで起きた事件は、一瞬にして非常に多くの人々が亡くなったことを考えると、ある意味で広島と共通するものがあります。ですから広島市民として、レバノンでの事件をとても悲しく思います」
一方東京では、茂木敏充外務大臣がレバノンのシャーベル・ウェフベ外務大臣宛に メッ セージを送り、哀悼と励ましの意を表した。
「ベイルートで起きた大規模爆発によって多くの人々が亡くなり、膨大な被害があったというニュースを聞き、非常に残念に思っています」と茂木大臣は言及した。
「亡くなった方々に対し、心から哀悼の意を表するとともに、怪我をされた方々に対し、ご同情申し上げます。また、早急の復興を祈っております」と東京の外務省は述べた。