
太平洋戦争中、沖縄から長崎に向かった学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦に撃沈され、学童ら1500人近くが犠牲となった事件から22日で76年を迎えた。那覇市の慰霊碑「小桜の塔」の前で慰霊祭が開かれ、参列者が犠牲者の冥福を祈った。
新型コロナウイルス感染防止のため、参列者を絞って開かれた慰霊祭では、黙とうをささげた後、対馬丸記念会の高良政勝理事長(80)が「変則的な慰霊祭になったが、犠牲者のご冥福を祈る」と生存者を代表して追悼の言葉を述べた。
犠牲者らの資料を展示する対馬丸記念館は新型コロナの影響で一時休館後、来館者が極端に減少しているといい、高良氏は「日本唯一の子供の戦争記念館を維持していかねば」と決意を語った。
1944年8月21日、那覇港を出航した対馬丸は翌22日夜、鹿児島県・トカラ列島の悪石島沖で魚雷攻撃を受け沈没。同館によると、乗っていた約1800人のうち、判明分だけで学童784人を含む1484人が犠牲となった。生存者にはかん口令が敷かれた。
JIJI Press