
沖縄県那覇市
1週間前に日本最南端の沖縄県の県庁所在地である那覇市の首里城に甚大な被害をもたらした火災について、那覇市消防局は電気系統の誤作動が原因だったという見方を強めている。
那覇市消防局は木曜日の記者会見で、火元となったと考えられている正殿の北側で、分電盤につながる電線で数十ヶ所以上溶けた形跡が発見された発表した。
消防局は、電気系統のショートが原因で溶けた可能性を調査している。
消防局と警察は徐々に今回の火災の被害の全容を把握し始めているが、この名高い城の再建のめどは全く立っていない。
今回の火災によって、首里城の7つの建物が焼け落ちた。それには、1992年に約73億円をかけて再建された正殿も含まれている。また、芸術作品を含めて、約400もの収蔵品が失われた。
出火したのは10月31日の未明だ。アラームを聞いた警備員が現場に駆けつけて正殿の北側のシャッターを開けて階段を上ったところ、建物内には煙が充満していた。
警備員は助けを求めた後再度現場に戻り、正殿1階の北東側の窓から煙が噴き出しているのを確認した。その時点で既に火災は手に負えない規模になっていた。
沖縄県などによると、それまで漏電などの問題はなかったとのことだ。
首里城を管理する沖縄美ら島財団は、火事の翌日の先週金曜日の段階では、警備員が正殿の中を出火1時間前に見回ったと発表していたが、それを訂正して、出火1時間前には正殿をその前の奉神門から確認しただけで、正殿内を最後に見回ったのは出火5時間前だったと発表した。
同財団は、首里城の管理体制に何らかの不備がなかったか調査することになる。
正殿の地下の遺跡には、見学者用のガラスの壁を突き抜けて落下した瓦礫によって、一部損傷が発生している可能性がある。
しかし、ユネスコの世界遺産に登録されている遺跡の大部分は土を被った状態で発見され、そのため火による損傷は免れたと考えられている。
同財団によると、首里城に保管されていた文化財のうち、約1,100点は無傷で発見されたという。それには、県の重要文化財に指定されている絵画1点とその他2点も含まれている。
しかし約400もの収蔵品は、焼失してしまった可能性が高い。それには、琉球王国時代から伝わる絵画も含まれている。
正殿は、再建プロジェクトの開始から約8年後の1992年に完成した。
内閣府によると、首里城の再建のスケジュールを見通したり費用を見積もるのは難しいとのことだ。その理由の一部として、正殿の約100の柱に使われたのと同じ種類のヒノキの確保が難しいこと、また職人による繊細な作業が必要になることが挙げられている。
時事通信