
谷口智彦、アラブニュースジャパン独占
東京: 日本はその他ほとんどの国に比べて、ミャンマーと広範囲にわたる利害関係にある、特にその民主主義の発展という道においては。その国と日本の取り組みを結ぶ共通の糸は一言で表すことができる。教育と人的能力の強化への長期的な取り組みのみが、望ましい統治へと導くことができる、それは自由で、規則に基づいていて、不透明でない、それはつまり民主的であるということだ。
ここでわかるのはミャンマーに対する日本のアプローチと、中国による方法の明確な対比だ。後者は銃と金に物を言わせて国内で争っている派閥を操ったことで有名である。
日本の半政府支援の提供者であるJICA(日本国際協力機構)は、ミャンマーの教育機関と協力して小学校の算数、理科、言語、音楽、その他すべての学科の教科書を差し替えた。それは新しく大幅に改善され、インタラクティブな学習と創造的な思考に重点を置く内容である。ミャンマーほど日本を信頼する相手として選んだ国は他にはほとんどない。教科書を小学校に提供するということは、今後の全世代の基礎を築く事とそう変わらないからだ。
様々なNPOや(日本の国会)議員達が何百という校舎を国中に建てた。職業訓練で自動車整備士や電気技師を育成する為、日本は3年制大学の日本・ミャンマー・アウンサン職業技術訓練学校の設立に資金を提供した。
1954年にどのアジア諸国よりも早く、日本の戦時賠償金の受け入れを選んだ初めての国であるミャンマーには存在感がある。その資金によって建てられたバルーチャン水力発電所はまさに戦後、日本によって実行された海外の発展支援に向けた史上初の計画であった。
さらに日本の親善大使である笹川陽平は、和解の為に争う複数の反乱グループを団結させる手助けをした。笹川氏が何年も働きかけた、最も反抗的な民族反乱グループの1つ、カチンを拠点とするアラカン軍が2021年の初めに国軍との和解の一歩となる兆しを示し始めた。ミャンマー軍の3人がアラカン軍の政治的人質として捕らえられていたが、反乱グループはその人々を開放したのだ。
しかし笹川氏を含めた日本の支援提供者の誰もが、たったの約10年で民主主義がミャンマーに根付くとは想像していなかった。皆、民主主義とはその成熟に数十年どころか何世代もかかる、手懐けられない動物のようであると痛いほど理解している。教育のみが現地民に民主主義を習慣とする精神を築くからこそ、教育に力を注いでいた。
その程度は国の軍指導者達に十分に理解されるべきである。反発する反乱者たちが互いに何十年も戦い続ける過酷なミャンマーのような国において、銃を持ち歩くクーデター首謀者はもちろんだが、簡単に実る成果など誰にもありえない。成果の早期収穫はなしえないのだ。
谷口智彦は東京の慶応大学の教授であり、元総理大臣である安倍晋三の元顧問である。