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ガザからの避難民、胸のつぶれる思いで飛び立つ:アラブニュースジャーナリスト、シェローク・ザカリアが回想する

3歳のカルマ・アル・カティーブさんは、母親のドゥアー・アブ・ラーマさんや客室乗務員が塗り絵やクレヨンで気を紛らわそうとしても、痛みに耐えることができなかった。(AN Photo: Mohammed Fawzy)
3歳のカルマ・アル・カティーブさんは、母親のドゥアー・アブ・ラーマさんや客室乗務員が塗り絵やクレヨンで気を紛らわそうとしても、痛みに耐えることができなかった。(AN Photo: Mohammed Fawzy)
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04 Dec 2023 02:12:55 GMT9
04 Dec 2023 02:12:55 GMT9
  • 120人の負傷したパレスチナ人の子供とがん患者を避難させるため、12月1日の午後にアブダビを出発したアラブ首長国連邦の4度目の任務にアラブニュースが同行取材した
  • ラファ国境付近で空爆が再開されたため、パレスチナ人患者のうち出発できたのは幸運な数人だけだった

アラブニュース

アブダビ: かつては旅客を新たな目的地へ、あるいは家族に会うために故郷へと運んだ飛行機が、戦争に苦しむパレスチナ人のための「空飛ぶ病院」となった。

エティハド航空のボーイング777の快適なパッド入りの座席は、「黙示録的状況の」ガザからアラブ首長国連邦での治療のために避難してきた、高齢で脆弱ながん患者のためのベッドとなった。

私はアラブニュースの取材チームの一員として、12月1日の午後にアブダビを出発し、120人の負傷したパレスチナ人の子供やがん患者とその同伴者たちをエジプトのエル・アリ―シュ国際空港から避難させるための、アラブ首長国連邦として4度目の任務に同行した。この困難な任務は14時間に及んだ。

エコノミークラスの私の席は、医療従事者らが重傷者に緊急医療を提供するために折りたたみ式の座席上に設置した担架の隣だった。

その日は、停戦終了直後からガザへの激しい爆撃が行われ、空爆に見舞われたラファ国境付近から脱出できたのは幸運な数人の避難者だけだった。

アブダビからの離陸は、アラブ首長国連邦当局者と医療従事者が、現地のエジプト当局から得た情報に基づいて調整する必要のため、2時間近く遅れた。

夕暮れ時にアリーシュに着陸し、厳重に警備された場所での適切な移動について関係者らがエジプト当局と何度も交渉を重ねた後、チームは患者を受け入れるために2時間後に飛行機を降りた。

アリーシュの広く暗い砂漠の静けさと不気味な静寂は、わずか55km先、約45分の距離にあるラファ検問所の向こうで行われている激しい砲撃とくっきりとした対照を成していた。

エジプトの救急隊に患者たちが到着し始めると、ガザでの残忍な戦争の現実が私たちの目に飛び込んできた。

乗客には共通した特徴があった。濃い隈に縁取られた目、痩せ細り疲れ切った姿、わずかな所持品を入れた小さなビニール袋、そして安堵、罪悪感、希望といった様々な感情を同時に映したまなざしだ。

滑走路で、アラブ首長国連邦の医療従事者と医師が最初の患者を受け入れた。担架にしっかりと固定され、激痛に耐えている様子の重傷の男性は、容態を確認された後、油圧リフトで機内に運び込まれた。

それは、毎日の戦況をフォローすることに数え切れないほどの時間を費やしてきた私ですら想像できなかった光景だった。

その後すぐに、衰弱し呆然としている数十人の高齢のがん患者たちが、車椅子に乗せられて順番に搭乗した。安心させるような笑顔で肩を優しくたたきながら患者らを迎えた、アブダビ保健省の医師やスタッフは、10月7日に戦争が始まって以来、患者たちは鎮痛剤もまともな食料も水も手に入れることができなかったと語った。

「私たちが最初にすることは、水分、そして痛みをすぐに和らげるための鎮痛剤を与えることです。私たちは、何週間も痛みを抱えて過ごしてきた多くの患者を受け入れています」と、ヨルダン人の看護部長、サーブリーン・タワルベ看護師は言った。

同フライトでは、戦争に関連した外傷の患者はわずかで、成人がん患者や若年がん患者の大半は介助なしで搭乗し、通路を通り過ぎるときには安堵の笑みを浮かべ、感謝の言葉を述べる光景も見られた。

「ガザの筆舌に尽くしがたい恐怖から離れることができて安堵していると同時に、故郷の家族のことを考えずに食べたり飲んだり眠ったりすることができません」と、がん患者である母親に付き添っていたアブドラハマン・フッサム・ジャダーさん(31)」は語った。

彼が 「ホラー映画さながらの地獄 」と呼ぶ戦争によって、50人の彼の親族がすでに殺害され、親族が住んでいた地域は平地と化した。彼は、9人の兄弟とその子供たち、そして残された親族にまた会えるのかどうか、まったくわからないという。

「飛行機に乗るのは初めてです。夢の中でしか旅をしたことがありません。ガザでは夢を見ることができません。再び破壊される前に家を建てる。私たちの夢はいつも打ち砕かれるのです」

病気の年老いた家族の付き添いや、自らの治療のために搭乗した、トラウマを負い、ショックを受けているティーンエイジャーたちは、まるで世界の重荷を自ら背負っているかのように機内の通路を歩いていた。

状況を理解するにはあまりに幼い子供たちもおり、楽しそうに遊んだり、痛みにもだえたりしていた。

機内の最前列に座っていた3歳のカルマ・アル・カティーブさんは、母親のドゥアー・アブ・ラーマさんや客室乗務員が塗り絵やクレヨンで気を紛らわそうとしても、痛みに耐えることができなかった。白血病の子供であるカルマさんは、ガザの病院が閉鎖されたために治療が受けられず、顔の神経が熱に冒されていた。

すべての患者を慎重に搭乗させ、患者のニーズが満たされていることを確認するまでに約6時間かかり、その後、最終的な人数を数え、飛行機はアブダビに向けて出発した。

「もし避難にさらに時間がかかり、客室乗務員のシフトあたりの許容時間数を超えてしまっていたら、アブダビに戻る前にカイロに行き、乗務員を交代させなければならなかったでしょう」と、飛行医療指揮官のジョー・コフラン氏は述べた。

乗客たちが、約2カ月ぶりとなる、まともな食事と休息をとった後、アブダビまでのフライトは、すぐに静寂に包まれた。

夢見るような目と無邪気な笑みが印象的な2歳のモハメッド君は、病気の祖母以外に家族がいないフライト中、私の膝の上に乗り、機内の小さなスクリーンで何時間も遊んだ後、安心して眠りについた。

モハメッド君と同じような何千人もの子供たちが、再び朝を迎えることができない可能性を抱えたまま眠りにつくことを理解するのは難しかった。

翌朝5時にアブダビに着陸した飛行機を、同行したメディアの仲間たちとともに後にした。戦争のテレビ映像が、これからはさらに心に深く訴えかけてくることを感じながら。

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