


ロンドン:1973年10月6日、イスラエルはエジプトが率いる中東諸国の連合軍による攻撃に完全に虚を突かれ、地図上から消し去られる寸前にまで追い込まれた。
最終的には、イスラエルはアメリカから空輸で先進兵器類その他の大規模な支援を受けて第4次中東戦争を生き延びたが、大きな犠牲を払うことになった。戦死者2,600名以上を出し、負傷者は数千名に上ったのだ。
だが、「これは諜報活動上の大きな失敗であった」とイギリスを拠点とするイスラエル人歴史家で著述家、政治科学者のアーロン・ブレグマン氏は指摘する。
その後、「深甚な集団的ショック状態」にあった社会において、イスラエルの政治家、軍および諜報コミュニティに対して厳しい疑問が投げかけられ、『一般には、教訓は生かされたとされた』」
しかし、その日からほぼきっかり50年後の2023年10月7日にイスラエルは、今度はハマスの攻撃によって再び不意を突かれることになった。少なくとも1,200名のイスラエルの兵士と民間人が犠牲になり、250名近くが人質としてガザに連れ去られた。
現在、自己不信に苦しみ、分断されたイスラエルにおいて、攻撃を予期して防げなかったばかりか、時宜にかなった反撃もできなかった政府と自慢の軍隊に不安と怒りが向けられている。何が間違っていたのか、誰に責任があるのかについて厳しい疑問が再度突きつけられているのだ。
「第4次中東戦争の時と同様に、イスラエル側はすべての情報を、詳細に至るまで持っていた」とイギリスのキングス・カレッジ・ロンドン戦争学部シニア・ティーチング・フェローで、イスラエル軍で6年の従軍経験があるブレグマン氏は言う。
「今回もまた、イスラエル側の諜報の大きな失敗だ。
今後、10月7日のハマスの攻撃は真珠湾攻撃、バルバロッサ作戦(1941年のドイツによるロシア奇襲攻撃)、そして第4次中東戦争と並んで、陸軍士官学校で教えられることになるだろう」
恐らくはイスラエル諜報機関内部からと思われる衝撃的な情報リークのおかげで、イスラエルがハマスの戦闘計画の写しを攻撃前に入手していた以上、10月7日の攻撃の前哨戦において失敗したことがより明確になった。
11月30日、ニューヨークタイムズ紙はイスラエル当局者が計画を「1年以上前に」入手していたとする独占記事を発表した。「…だがイスラエル軍と諜報当局者は計画が野心的なもの、つまりハマスには実行不可能なものだと考えてこれを退けた」
ハマスは「衝撃的な正確さで計画を実行し、諜報面の大勝利となる可能性があったものはイスラエルの75年の歴史上最悪の判断ミスとなった」とタイムズは結論付けた。
幻滅した諜報員たち以外にも、10月7日の攻撃に至るイスラエルの不手際について内部から明かす人々が出てきた。
ハマスの攻撃前の数か月、数週間、数日前から、イスラエルとガザを隔てる「鉄の壁」の監視任務を負う軍の担当者は繰り返し警告を発していたと示す証拠が明らかになっている。
2021年に10億ドルをかけてアップデートされたハイテクの国境フェンス沿いに設置されたカメラから送られる映像は、昼も夜もイスラエル国防軍の戦闘情報収集部隊のメンバーにより監視されている。
高さ6メートルで有刺鉄線が取り付けられ、トンネルの掘削を防ぐためにコンクリートの基礎に深く埋め込まれ、さらに最新式の監視システムと、全長に沿って配置された監視塔に搭載された遠隔操作式のマシンガンを備えたこのフェンスは非常に強力だと思われた。
だが10月7日に、このハイテクの壁はブルドーザーと爆発物、張り巡らされたマシンガンの網に爆弾を投下するドローンというローテクの組み合わせによって破られた。
破られたフェンスを通って押し寄せたハマスの戦闘員の最初の標的の1つは、国境から約1キロ入ったナハル・オズ・キブツにある軍基地であった。そこでは、27名の女性監視員の内25名が殺害された。
イスラエル国民が、ハマスの攻撃がこれほどの成功を収め、イスラエル軍の対応がこれほど不十分であった理由を説明する答えを求める中で、基地にいて襲撃を生き延びた女性2人が名乗り出て、自分たちと同僚が再三警告を発したにもかかわらず、上官によって無視されたと主張している。
タイムズ・オブ・イスラエル紙の報道によると、襲撃の少なくとも3か月前に、監視要員は「ハマスの工作員が1日に何度も訓練を行い、国境沿いに穴を掘り、爆発物を仕掛ける」などの繰り返される疑わしい活動に気づいていた。
しかし、これらすべての兆候は「諜報機関の職員により、重要ではないとして無視された」
ナハル・オズの生存者2人の内の1人は、イスラエルの公共放送局KANに対し、数週間にわたってハマスの工作員が国境のフェンスで訓練するのを見ていたと話した。
マヤ・デシアトニク氏は、何か大きな事件が起きるのは「時間の問題」だと気づいたが、再三の警告は無視された。そして迎えた10月7日、実際に大きな事件が起こったのだ。
彼女はその日、午前3時半に勤務を開始した。最初は非常に静かだったが、午前6時半に「至る所から銃を手に国境に向かって走ってくる人々が見えた」と彼女はKANに語った。「バイクとピックアップトラックがフェンス目がけて走ってくるのが見えた」
「彼らがフェンスを爆破し、破壊するのを見ていた。私たちは泣いていたのかもしれないが、同時に仕事を続けてもいた」
だが、手順に従って招集され、彼女たちが期待していた緊急対応部隊からの支援は実現しなかった。
「非常に怒りを感じる」とデシアトニク氏はKANに対し語った。「目の前で起きていることを報告したにもかかわらず、私たちは殺されたのだ」
イスラエルでは女性が男性と並んで従軍することを重視する。一部の例外を除き、すべての18歳以上のユダヤ系、ドルーズ派、チェルケス系国民には兵役義務が課せられる。
男性は少なくとも32か月間兵役に就くことになっているが、しばしばIDF(イスラエル国防軍)の動画で取り上げられる女性の場合、最低期間は24か月である。
しかしブレグマン氏は、10月7日の失態の要因の1つは「私の考えではジェンダーと関係している」と言う。
「国境沿いに配置されてハマスの活動を監視・報告する監視要員の大半は女性兵士だった」と彼は指摘する。
「10月7日に先立つ数週間、あるいは数か月間、彼らは上官(そのすべてが男性)に報告を上げ続けていた。『見てください、彼らは攻撃を準備しています。ここにすべての情報がそろっています』と。しかしその報告は無視されたのだ。
そして、私の信じるところでは、これらの報告が無視された理由の1つは、報告者が若い女性だったということだ」
だが、ブレグマン氏によると、大きな代償をもたらすことになった軍の女性監視員への信頼の欠如は、10月7日の災厄に寄与した複数の失敗の1つに過ぎない。「フェンスの存在そのもの」もそこに含まれる。
「ここには心理的要因が働いている。『よし、フェンスがあるから安全だ』と考えると、経費を切り詰めたくなり、この地域にそれほど多くの部隊は必要ないと考えるようになる。
10月7日、確かに世界でも類を見ない程高性能のフェンスがあったが、それを守る人間がいなかった。大半の部隊は別の場所、ヨルダン川西岸地区にいたからだ」
彼の意見では、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相にも大きな責任がある。
「ネタニヤフ氏はハマスに資金とイスラエル国内での仕事を与えておけば、おとなしくさせられると信じていた。イスラエル国内では、ハマスが戦争を起こさないよう抑止できると信じられていたが、これはイスラエル人の頭の中だけの話で、ハマスにはそのようなつもりはなかったのだ。
ネタニヤフ氏はハマスに戦争をする気はないと信じたがっていたが、この考えが軍自体にも浸透し、ついにはそれを信じ込むようになった」
避けがたいことだが、ソーシャルメディア上では10月7日の事件に関する陰謀説が飛び交っている。その中には、イスラエル政府は襲撃が起きることを察知していたが、ガザに対する大規模攻撃を正当化することを目的に、敢えて措置を講じなかったというものもある。
襲撃へのイスラエル軍の反応が遅かったことは、ハッシュタグ #BibiKnew が付いた、ネタニヤフ氏が7日当日軍に待機を命じたという投稿により説明されている。
「しかし、この諜報上の失敗に対しては、非常に多くの確実な説明ができるため、陰謀説を信じることは到底できないと考えている」とブレグマン氏は話した。
「戦争はネタニヤフ氏の利益にはならない。彼の全戦略は、ハマスに権力を持たせておくことで二国家解決を回避するというものだったからだ」
また、襲撃の成功はイスラエル側の不手際だけによるものではなかった。
「ハマスの軍事的履歴を振り返れば、きわめて適応能力の高い組織だと分かる。イスラエルはこの点を見落としていたのだ」とブレグマン氏は説明した。
また、「ハマスに近い情報筋」がロイターに語ったところでは、明らかに「ハマスは過去数か月間、これまでにない情報戦術を用いてイスラエルを欺いてきた。イスラエルとの戦闘や対立は望まないという印象を一般大衆に与える一方で、この大規模作戦の準備を進めていたのだ」
この策略の一環として、ハマスは2年間イスラエルへの攻撃を控え、「ガザの労働者に…イスラエルでの勤め口を確保することをより気にかけており、新たに戦争を始めることには関心がない」という印象を醸成した。
国際関係学の教授で、イギリスを本拠とする国際情勢シンクタンク、チャタムハウスの中東・北アフリカプログラムでアソシエイトフェローを務めるヨシ・メケルバーグ氏は、戦闘が最終的に終結した暁には、10月7日の災厄について完全な真相究明がなされると確信している。
「噂が飛び交い、情報がリークされている。組織的失敗があったことは明らかだが、調査の中で宣誓の下なされる証言を聞くまでは、正確に何があったかは分からないのだ」と彼は言った。
「だが確実に調査は行われるだろう。それ以外の選択肢はない。戦争が終わり、多数の予備兵が除隊になれば、彼らがまず調査を求めるだろう。10月7日に殺害された人々の家族、人質に取られた人々の家族、10月7日以降犠牲になった兵士の家族も、皆強く調査を要求するだろう。彼らにはその権利がある」
メケルバーグ氏はネタニヤフ氏と彼が率いる右翼政党リクードに今回の件がもたらす政治的帰結を予想することには慎重な姿勢を見せた。「政治に関しては、何とも言えない。だが、もし彼が用済みにならなければ、大きな驚きだ」
第4次中東戦争から50年を経て、イスラエルは再び「深甚な集団的ショック」状態にある。
だが最終的には、10月7日当日および前後のイスラエルの不手際に国民が失望し、イスラエル軍が襲撃に対し不釣り合いな死と破壊をもってガザを罰していることに国内外で懸念が高まっている中で、ハマスの攻撃それ自体よりもイスラエルの対応が、見たところ終わりのない暴力の連鎖における転換点となる可能性がある。
「私たちは今、分岐点にいるのだと考えている」とメケルバーグ氏は話す。
「私は人々が紛争と流血は怒りと苦しみ、復讐の必要性を増すだけで何も生まないということ、この状況を変えねばならないということに気づくよう望んでいる。
今必要なのは、これまでと異なる、何らかの希望を生み出せる指導者であり、その下でならイスラエルとパレスチナ双方にとって、はるかに良い未来があるだろう。その可能性は計り知れない」