


ラファ、ガザ地区:戦争の中、連日空爆が続くガザ南部にある電気も通っていない病院で、彼女は生まれた。家族は彼女を「プリンセス・アイシャ」の意味を持つ、アル=アミラ・アイシャと名付けた。19日、彼女は3週目を迎えることなく、家族の家を破壊したイスラエルの空爆によって命を落とした。
夜明け前にラファのアパートが空爆で破壊されたとき、家族たちは眠っていたと、爆発から生き延びた乳児の祖母、スザン・ゾアラブさんは語った。病院関係者によれば、アミラちゃん、そして、その2歳の兄アーメド君を含む27人が死亡した。
「生後2週間だった。あの子の名前はまだ登録もされていなかった」とスザンさんは、同じく爆発で負傷した息子の病院ベッドのそばで、声を震わせながら話した。
ガザにおけるパレスチナ人の死者数が2万人に迫ると保健省が伝える中で、この家族の悲劇は起きた。死者の大半は、2カ月半にわたってガザを包囲し、しばしば家族のいる家を破壊し続けたイスラエル軍の空爆によるものだ。
この戦争は、ガザを支配するハマスその他武装勢力が10月7日にイスラエル南部に侵入し、イスラエルの民間人を中心に約1200人を殺害、240人を拉致したことで引き起こされた。
ゾアラブ一家は、自宅に留まった数少ないガザのパレスチナ人の一員だった。イスラエルの猛攻撃は、21世紀に起きた最も破壊的なもののひとつであり、同領土の人口の80%以上にあたる約190万人が避難し、彼らは国連の学校や病院、テントキャンプや路上での避難生活を余儀なくされている。
しかし、ゾアラブ一家は3階建てのアパートに留まった。スザン氏の息子2人は上階に部屋を持っていたが、親戚一同は地上階の方が安全だと考え、そこに集まっていた。空爆の直後、ジャーナリストのアデル氏を含む少なくとも13人のゾアラブ家の家族と、近くに避難していた避難民が死亡した。
「家全体が私たちの上に崩れ落ちた」とスザン氏は言った。レスキュー隊員が、彼らや他の犠牲者――生死を問わず――を残骸から引きずり出した。
イスラエルは、ガザ全域でハマスの標的に攻撃を加えており、民間人の死亡は住宅地で活動する武装勢力たちのせいだと主張している。しかし、彼らは具体的な攻撃目標を説明することはほとんどない。
アミラちゃんは生後わずか17日だった。彼女は12月2日、ラファのエミレーツ赤新月社(ERC)病院で生まれたが、その病院は停電中だったとスザン氏は言う。イスラエルとハマスの間で1週間続いた休戦合意の崩壊後、町とガザの他の地域への砲撃が再開されてから48時間も経っていない頃であった。
「彼女は非常に困難な状況の中で生まれた」とスザンさんは語った。
18日の時点で、ガザ地区全域にある36の病院のうち、28の病院が機能を停止していると国連は報告し、残りの8つの医療施設は部分的にしか稼働していないと述べた。WHOによると、この壊滅的な被害の中、約5万人のパレスチナ人女性が妊娠中であるという。
アミラちゃんとアーメド君の両親は生き残った。母親のマラクさんは顔に火傷と打撲を負い、父親のマフムードさんは骨盤を骨折した。ラファのクワティ病院のベッドに横たわるマフムードさんのもとへ、埋葬される前の最後の別れのため、スザンさんは二人の子供を連れてきた。
マフムードさんは、白い覆いに包まれたアーメド君を抱きかかえるために体を起こしながら、痛みに顔をひきつらせた。彼の妻は、同じく白い布に包まれた「プリンセス・アイシャ」を抱きかかえ、彼に近づけた。
19日の朝、ラファの病院の外で多くの参列者が葬儀の祈りを捧げた。その後アミラちゃん、アーメド君、そして攻撃で死亡した他の人々を近くの墓地に埋葬した。
「私は孫たちを守ることができなかった」とスザンさんは言った。「一瞬で彼らを失ってしまった」
AP