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テント探しもむなしく、ガザ地区への攻撃で家族が死亡、生き残った少年

2024年1月4日、占領下のヨルダン川西岸地区の都市トゥールカリム近くにあるパレスチナ難民向けのヌルシャムスキャンプで、イスラエルによる攻撃で破壊された建物の瓦礫の中に立つ人々。(AFP)
2024年1月4日、占領下のヨルダン川西岸地区の都市トゥールカリム近くにあるパレスチナ難民向けのヌルシャムスキャンプで、イスラエルによる攻撃で破壊された建物の瓦礫の中に立つ人々。(AFP)
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07 Jan 2024 06:01:07 GMT9
07 Jan 2024 06:01:07 GMT9
  • 戦前、アワド一家は、1948年のイスラエル建国時に故郷を追われたパレスチナ人とその子孫が暮らす難民キャンプのひとつであるアル・シャティで暮らしていた。アル・シャティはガザ市内にある

ハーン・ユーニス:イスラエル軍による建物への空爆を恐れ、ガザ地区南部のラファにある比較的安全な屋外キャンプへと家族で移ろうとラミ・アワドさんは何日もテントを探していたが見つからなかったのだ。と、弟のムハンマド・アワドさんは言った。

土曜日の未明、ラミさんとその妻、そして2人の息子は、ガザ地区南部のハーン・ユーニスで滞在していたアパートが空爆を受け、ほかの親族ともども命を落とした。

もう一人の息子マハムード・アワド君(11歳)は、別のアパートで一夜を過ごしていたため生き残った。朝、彼がヨーロッパ病院の遺体安置所に行くと、そこでは両親と兄弟が埋葬布に包まれて金属製の棚の上に横たわっていた。

「母が『今夜はイッサ叔父さんの家で寝なさい』と言ったので、そちらに行きました。そして、イスラエル軍は家族が滞在していた家を爆撃しました」と、静かに耳を傾ける他の子どもたちに囲まれながらマハムード君は話した。

「父のラミ・アワド、小学2年生だった末の弟と中学2年生だった長兄のムアス、全員が殉教しました」と、彼は穏やかに、しかしすすり泣きをこらえるかのように、速い呼吸で語った。

遺体安置所には顔面に傷を負った少女や、この少女を取り囲んで抱きしめる数人の年配の女性など、他の親族もいた。全員が泣いていた。

霊安室では、顔の覆いを外された若い男性の遺体の隣で、女性がひざまずき、その男性の頬に手を当てて泣いていた。

中には幼い子どもの遺体もあった。

戦前、アワド一家は、1948年のイスラエル建国時に故郷を追われたパレスチナ人とその子孫が暮らす難民キャンプのひとつであるアル・シャティで暮らしていた。アル・シャティはガザ市内にある

「僕たちはアル・シャティ難民キャンプにいましたが、イスラエル軍はガザ市が戦場となるというビラを撒いてきました。だから安全な場所だったハーン・ユーニスに逃げましたが、結局イスラエル軍は僕たちを爆撃しました」とマハムード君は語った。

家族はハーン・ユーニス市の3つのアパートに住む母方の親戚の家に滞在していた。

マハムード君の父方の叔父で、ラミさんの弟ムハンマドさんも、遺体安置所の外で兄の死を悼んでいた。

「兄たちには生き残るチャンスがありましたが、家にいるときに爆撃を受けました…私の唯一の兄弟です。兄はここ5日間、テントを探し求めていましたが、もうテントは残っていません。西ラファに行くことを望んでいましたが、これが兄の運命です」とムハンマドさんは語った。

彼が話している間、爆発音が聞こえた。

「話せません。無理です」と言って、ムハンマドさんは泣き崩れた。

ロイター

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