
ロンドン:ガザを拠点とする人権活動家、アイマン・ルバッド氏は、拘束中にイスラエル兵から拷問を受けたと主張したことを、20日にガーディアン紙が報じた。
パレスチナ人権センターで働くルバッド氏は、イスラエル軍が近隣地区からの立ち退きを命じた12月7日に拘束されたそうだ。
男たちは公衆の面前で服を脱ぐよう強制された。この時の映像が出回り、世界中で怒りが巻き起こした。米国はこの時の映像を「極めて憂慮すべきこと」と表明し、赤十字国際委員会は拘束者を人道的に扱う必要があると強調した。
1カ月以上、妻や子供たちと会っていないルバッド氏は、拘束中にさまざまな形で拷問を受けたと証言し、最近イスラエルに拘束された多くのパレスチナ人も同様のひどい苦痛を味わっていると語った。
ハアレツ紙に掲載された報告によると、少なくとも6人の拘束者が死亡し、1件の検死解剖で捕虜1人が重傷を負っていたことが判明した。ロイター通信と「+972マガジン」による調査では、何百人ものガザの拘束者が電気ショック、火あぶり、圧迫姿勢、必需品の剥奪などの拷問を受けたと主張している。
ルバッド氏は拘束中、さまざまな場所に移され、虐待を受け続けたと主張する。長時間ひざまずくことを強制されたり、尋問もどきを受けたり、極寒にさらされたり、身体的暴行を受けたりしたと報告している。
「イスラエル兵は不適切に私たちの写真を撮ったり、拘束した一部の少年に対し踊りを強要したりしました。私たちが道路に座らされている間、イスラエル兵は私たち目の前でムカイド、マフディ、カーロット、ソローのそれぞれの家族の家に火を放ちました」と、ルバッド氏はガーディアン紙に語った。
ルバッド氏は2時間かけて、ガザ北部のジキム・キブツ近くの海岸沿いに連行され、「手錠と目隠し」をされたまま、オファキムの軍キャンプに移送された。
そこの有刺鉄線で囲まれたシェルターの奥に、500人から700人のガザ住民が拘束されており、イスラエル兵が2つの高台の監視所から監視していた。男たちは午前5時から真夜中まで、目隠しされたまま、ひざまずいた体勢を強いられた。
「少しでも体勢を変えたり、目隠しを外そうとしたりすれば、約3時間、両手を頭の上に上げたまま立ち続けたり、殴られたりするなどの懲罰が加えられました」とルバッド氏は語った。
自分の職務を偽っていた「取調官」から取り調べを受けた時に、次のように言われたそうだ。「捕虜となった君の権利をきっちり教えてやろう」
自宅退去を命じられてから5日後、再び移送された。移送中に肋骨を折られて、あまりの痛みで2晩眠れなかったそうだ。
他の捕虜から、エルサレムのジャバル・ムカベル地区に新しい施設があると聞いたという。初日に正午から10時間に及ぶ取り調べを受けたという。
取調官はハマスとイスラム聖戦に関する情報を要求した。ルバッド氏が自分は民間の活動家で武装勢力のことは知らないと説明すると、取調官は激怒し、ガザ住民を犬のように扱ってやると脅迫してきたそうだ。
「取調官は私を脅し、顔を殴りながら汚い言葉で私を罵りました。その取調官は私に目隠しをした状態で、お茶や昼食で外出していました」と、ルバッド氏は語る。
「戻ってくるとまた、ハマスについて同じ質問をされるので、私は詳しいことは何も知らない、非常に限られた人間関係しかないと答えていました」
取り調べが終わると目隠しをされて、極寒の屋外に座らされたとルバッド氏は証言した。その後、激しい暴力を受けた。他の人も殴られたと聞いたという。「私がひどい寒さに耐えられなくなった時に、何人かの兵士がやって来ては私を殴り、『どんな犬にも寿命があるんだよ』と言ってきました」
この拘置所には、10月7日以前にイスラエルで働いていた何百人ものガザ住民が収容されていると伝えられている。
ルバッド氏は起訴されることなく、ベイト・ラヒヤの家族がいる所から遠く離れたラファで釈放された。イスラエルがガザ住民の移動を制限しているために、家族とは会えていない。
ルバッド氏はガザに戻ってきてから、兄弟がイスラエル軍の空爆で殺害されたことを聞いた。
イスラエル軍はガーディアン紙からルバッド氏の主張について質問されたが、虐待の申し立てについてはすべて、捜査が行われることになるとだけ答えた。