


テヘラン:イラン北西部の霧に覆われた山腹でのヘリコプター墜落事故で死亡したイブラヒム・ライシ大統領と側近7人を追悼するため、火曜日、数万人のイラン人が集まった。
イランの国旗と故大統領の肖像画を振りながら、弔問客は北西部の都市タブリーズの中央広場から出発した。
彼らは、ライシ氏と7人の側近の棺を乗せたローリーの後ろを歩いた。
ヘリコプターは、ライシ氏がアゼルバイジャンとの国境の一部をなすアラス川の共同ダムプロジェクトの落成式にイリハム・アリエフ大統領と出席した後、タブリーズに戻る途中で通信が途絶えた。
日曜日に大規模な捜索・救助活動が開始されたのは、悪天候の中、ライシ氏の機体とともに飛行していた他の2機のヘリコプターが連絡を絶ったためである。
国営テレビは月曜日早朝の報道で、「イラン国家のしもべ、イブラヒム・ライシは最高レベルの殉教を遂げた」と彼の死を発表し、コーランを朗読する声とともに彼の写真を映した。
イラン大統領とともに死亡したのは、ホセイン・アミール・アブドラヒアン外相、地方当局者、警備チームのメンバーである。
イラン国軍のモハマド・バゲリ参謀総長は、全国の都市でイラン国民がライシ氏とその側近を追悼するために集まるなか、墜落の原因究明を命じた。
月曜日には首都のヴァリアスル広場に数万人が集まった。
イランの最高指導者であるハメネイ師は5日間の国民喪に服すことを宣言し、大統領選挙が実施されるまでの間、モフベル副大統領(68)を暫定大統領に任命した。
国営メディアはその後、選挙は6月28日に実施されると発表した。
アミール・アブドラヒアンの副官を務めたイラン核交渉トップのアリ・バゲリ氏が外相代行に指名された。
ライシ氏の遺体は火曜日にタブリーズからシーア派聖職者の中心地であるコムに運ばれ、その日の夜にテヘランに移される。
水曜日の朝には首都で行列が行われ、その後ハメネイ師が告別式で祈りを捧げる。
その後、ライシ氏の遺体は故郷である北東部のマシュハドに運ばれ、葬儀の後、木曜日の夕方に埋葬される。
63歳のライシ氏は2021年から大統領に就任していた。この超保守的な人物の在任中は、大規模な抗議行動、深刻化する経済危機、宿敵イスラエルとの前代未聞の武力応酬があった。
ライシ氏は穏健派のハッサン・ローハニ氏の後を継いだが、当時はイランの核活動をめぐるアメリカの制裁によって経済が打撃を受けていた。
シリア政府、パレスチナの過激派組織ハマス、レバノンの過激派組織ヒズボラなど、イランの同盟国から追悼のメッセージが殺到した。
現在8カ月目に突入しているガザでの壊滅的な戦争を引き起こし、イスラエルとイランが率いる「抵抗軸」の緊張を高めたのは、イスラエルに対するハマスの前代未聞の攻撃だった。
イスラエルが4月1日、ダマスカスのイラン公館を無人爆撃機で攻撃し、革命防衛隊員7人を殺害したことが引き金となり、イランは数百発のミサイルと無人爆撃機を使ったイスラエルへの史上初の直接攻撃を開始した。
亡くなる数時間前の演説で、ライシ氏は1979年のイスラム革命以来、イランの外交政策の中心であるパレスチナ人への支援を強調した。
故大統領のために行われた式典では、パレスチナ国旗がイラン国旗とともに掲げられた。
AFP