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「私は死ぬところだった」: イスラエルによる人質救出作戦の混乱を思い起こすガザの人々

日曜日、ガザ地区中部のデイル・アル・バラにあるアル・アクサ殉教者病院で、負傷した子どもタウフィク・アブ・ユセフ君の手にキスをする父親。(ロイター)
日曜日、ガザ地区中部のデイル・アル・バラにあるアル・アクサ殉教者病院で、負傷した子どもタウフィク・アブ・ユセフ君の手にキスをする父親。(ロイター)
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10 Jun 2024 12:06:26 GMT9
10 Jun 2024 12:06:26 GMT9

ヌセイラット:イスラエルの特殊部隊がガザから4人の人質を救出した翌日、パレスチナ人たちは、激しい銃撃戦と爆発で地域が揺れ、建物が瓦礫と化したときのパニックを語った。

イスラエル人が4人の人質の無事の帰還を喜ぶ一方で、ハマスが運営するガザの当局者は、混雑したヌセイラット難民キャンプで274人が死亡、698人が負傷したとする「大虐殺」を非難した。

午前11時(日本時間午前8時)ごろ、ヌセイラットの賑やかな市場周辺で空襲が始まった直後、爆弾の雨が降り注ぎ、近隣は「煙と炎」に包まれたと、35歳の住民ムハナド・タベトさんは語った。

「老若男女を問わず、人々は悲鳴をあげていました。誰もがその場から逃げようとしましたが、爆撃は激しく、動けば激しい砲撃と銃撃で命を落とす危険があった」

「家々は破壊され、住人は中にいました。多数の避難民もおり、商店や露店、車が爆撃のために燃えていました」

イスラエルは軍隊、警察、シン・ベトの工作員からなる特殊部隊を送り込み、人質のノア・アルガマニ(26歳)、アルモグ・メイル・ヤン(22歳)、アンドレイ・コズロフ(27歳)、シュロミ・ジヴ(41歳)を救出するために2つのビルに同時に突入した。

軍報道官ダニエル・ハガリ少将によると、人質救出作戦は、一方ではほとんど抵抗されなかったが、もう一方では激しい銃撃を受け、銃とロケット弾の攻撃を受けて撤退し、人質を近くのヘリコプターに運んだという。

別の軍報道官のピーター・ラーナー氏は米ABC放送に、「部隊は360度の脅威(RPG、AK-47、爆発物、迫撃砲)から銃撃を受けた。そこは……戦場だった」

目撃者によれば、イスラエル軍の急襲と撤退は、激しい空爆とドローンや戦車による砲撃に覆われていたという。

路上で遺体を見たという人もいた。

戦闘が激化するなか、負傷者はガザの病院のひとつに運ばれたと医療関係者は語った。

「病院は殉教者と負傷者で埋め尽くされ、数分以内にこれだけの人数を収容することは不可能でした」と、キャンプ近くの医療施設アル・アウダの職員である医師マルワン・アブ・ナーセル氏は語った。

「もちろん、病院は銃撃を受けており、手術中は誰も動くことができなかった」

屋根の上から見ていた別の地元男性モハメド・ムーサさんは、下の通りにイスラエル軍の戦車が砲撃とともに押し寄せてくるのを垣間見て恐怖を感じたという。

「私は死ぬところでした」と、戦闘が終わった後、この29歳の男性はのべた。

AFP

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