
アレッポ:バッシャール・アル・アサド政権崩壊後、隣国トルコから故郷に戻ったアハメド・アル・シェイクさんの興奮は、13年近く続くシリア内戦後の厳しい生活環境への苦い失望へと変わった。
シェイクさんは、アサド政権が崩壊した12月8日からの最初の3週間で、希望に胸を膨らませてトルコからシリアへと向かった3万5000人のシリア人のうちの1人である。帰国同意書に署名したことで、トルコへの再入国を諦めた。
トルコの難民協会によると、彼のように、戦禍に荒廃した国での生活の現実を目の当たりにして幻滅した人々が多いという。
「予想をはるかに超えた悲惨な状況にショックを受けました」と、シリアからトルコに逃れてから8年後にアレッポに戻ったシェイクさん(35)は自宅で語った。シェイクさんによると、水や電気は頻繁に供給が止まり、インターネット通信はほぼ不可能だという。
シリアとNATO加盟国であるトルコとの関係が深まっている中、移民の帰国は重要な要素となっている。トルコは経済的にも外交的にも影響力を発揮できる有力な仲介者として台頭している。シリアの暫定大統領アフメド・アル・シャラア氏は火曜日にアンカラを訪問し、急速な経済関係の拡大について話し合った。
トルコ国内に約300万人のシリア人が存在することは、政治的に微妙な問題となっている。多くの人々が、自分たちが歓迎されていないと感じるような反移民感情の高まりに直面しており、反体制派がアサド政権を追い込んでから国境に殺到する者もいる。
「難民のほとんどは当初、アサド政権の崩壊後に帰国できることに興奮していたが、その興奮も時が経つにつれ薄れていった」と、トルコの難民協会の社会福祉ディレクターであるカドリ・グンゴール氏は述べ、教育や医療サービスが不足していることなどの不満を挙げた。
「後悔の念を抱き、帰国を希望する家族もいる」と彼は言う。「トルコでの生活条件とシリアでの生活条件を比較すると、トルコの方がより多くの機会を提供できることは認めざるを得ない」
自主帰還支援
シェイクさんは反体制派の勝利に熱狂した一人であり、爆撃されたアレッポの自宅の再建を夢見ていた。友人たちが思いとどまらせようとするのを振り切り、アサド政権が崩壊次第、帰国すると誓った。しかし、今では比較的貧しい生活環境や、仕事や教育の機会の不足に落胆している。
「トルコでの生活は安定しており、子供たちも学校に通っていたので、トルコに戻ろうかと考えるようになった。生活環境も安定していた。しかし、自主帰還書類に署名してしまったので、今となっては戻れない」と彼は語った。
こうした否定的な経験から、トルコの内務大臣アリ・イェルリカヤ氏は2024年末、移民が帰国をより計画的に行えるようにするための計画を発表した。
内務省の文書によると、この計画ではシリア移民の家族の代表者が今年1月から6月の間に3回シリアを訪問できる権利が与えられる。
アサド政権崩壊から1月下旬までの間に81,576人のシリア人がシリアに入国しており、12月から1日あたりの帰還者数は1,600人程度にやや減少していると、イェルリカヤ氏は述べた。1月に帰還した人のうち、自主帰還書類に署名した人が何人いたかは不明である。
先週トルコを訪問した国連難民高等弁務官のフィリッポ・グランディ氏は、トルコの難民対応と自主帰還への支援を表明した。
同氏は「現地視察」と呼ばれる政策を称賛し、「難民が自ら状況を判断でき、シリアへの持続可能な帰還への道筋をつけることができるため、最良の方法である」と述べた。
「おそらく将来」
様子見を好むシリア人もいる。
シリア人の化学者ジャファーさん(27)は12年前にトルコにやって来て、状況が改善するまでは妻と3人の子供たちと一緒に帰国することは考えない。
「私の子供たちは現在トルコでうまく適応しており、トルコでの生活、言語、教育に慣れているため、ここに留まる可能性が高い」と彼は言う。
「一部の人々は帰国するだろうが、基本的な必需品が不足しているため、帰国できない。彼らは帰国を考えているが、今はまだ、おそらく将来のことだろう」
シェイクさんにとって、それはもはや選択肢ではない。
アサド軍がロシアの空爆支援を受け、反体制派からアレッポの東部を制圧したため、シェイクさんは2016年後半にアレッポを追われた。その後、彼はトルコで妻と4人の子供たちと安定した生活を築いてきた。
彼はアレッポで携帯電話の修理店を開いたが、自宅を修理する計画は保留中だ。
「この国で計画が成功するのか、それとも失敗するのか、私にはわからない。もし失敗すれば、トルコで稼いだすべてを失うことになる」
ロイター