
ジスル・アル・ジャルカ:イスラエルのビーチに裸足で立つハママ・ジャーバンは、笛を吹き、彼女の生徒たちがカラフルなサーフボードを抱えて水に向かって走っていくところを見つめている。
彼女は毎週末、熱狂的なサーファー志望者たちを海岸に迎え入れ、ボードにうつ伏せになる方法、それから立ち方を教える。
「私は海の子どもでした。小さい頃、父は私たちを水に投げ込み、泳ぐよう言いました」と彼女は話す。
黒いウェットスーツを着て帽子をかぶったこの41歳が運営するサーフィンベンチャーは、イスラエルの地中海沿岸に残された唯一のアラブ系の村であり、北部で最も貧しい村の一つであるジスル・アル・ザルカがひどく必要としている現金収入をもたらしている。
彼女の父親は祖父とともに彼女に魚の獲り方を教えたが、ジスル・アル・ザルカは現在、漁業に関する環境制限の対象となっている。
アラブ人はイスラエルの900万人強の人口の約20%を占めるが、ユダヤ人国家によって差別されているという。
ジャーバンは、イスラエルを代表するスポーツトレーニング施設であるウィンゲート・インスティテュートからサーフィンと水泳のインストラクター資格、またライフガードの資格も取得している。
彼女は6年前、兄のモハメッドとともに、イスラエル北部の村やその他の場所からやって来る子どもや若者たちにサーフィンを教え始めた。
サーファーのほとんどはアラブ系イスラエル人だが、ジャーバンはかつてエルサレムから休暇で訪れた2人のユダヤ人の女の子たちに教えたことがあると言う。
ある土曜日の朝、何人かの若いスタッフはクラブの「サーフィン4ピース」というロゴが背中についた青いトップスを着ていた。
13歳のサリ・アンマシュは、サーフボードの上でバランスを取るのはまだ難しいが、昨年レッスンを始めて以来コントロールができるようになってきたと言う。
ビーチはのどかな場所に位置している。近くには森と、レッスンの前にサーファーが渡らなければならない川がある。
21歳の建築科の学生、リアムはレッスンを受けるために30km以上離れた場所からやって来る。
「私はスポーツが大好きでバスケットボールをしてきましたが、今はハママと一緒にトレーニングを楽しんでいます」と彼女は言う。
ジャーバンは、夏にはライフガードとしても働き、近くの高級ビーチリゾート、カイザリアの海上救助部隊でボランティアをしている。
過密住宅が並び道も狭い彼女の村との落差は激しい。
ベンジャミン・ネタニヤフ首相はカイサリアに家を所有している。
これらの2つの場所を物理的に分けるため、2002年には高さ5メートルの土壁が建てられた。カイサリアの住民は、イスラム教徒の祈りの呼びかけや村のパーティーの騒音をブロックすることを意図したものだと言った。
この壁は1.5キロメートル(約1マイル)長におよび、このリゾート街の住民により花や木が植えられている。
ジスル・アル・ザルカでは、海岸にトタンのバラック小屋が並ぶ一方、海には漁業権をめぐる争いのために操業停止中の漁船が浮かんでいる。
イスラエル自然公園局は2010年にこの地域を環境保護下に置き、漁業と沿岸の建設を制限した。
村人は、その見返りに開発とインフラを約束されたと言うが、それらが実現することはなかった。
公園当局の報道官は、当局が保護された土地の建設工事を停止する一方、資金を投資し、遊歩道を構築するために村の評議会に協力したと言う。
「人々は合法ではない建物を解体すべきだ。我々には監視する検査官がいる」と、報道官はAFPに語った。
ジャーバンは、サーフボードを保管するための木造の小屋を建てた後、この紛争に巻き込まれた。
AFPが確認した当局からの手紙の中で、ジャーバンは先月、小屋を取り壊すか、さもなければ法的措置に直面するよう命じられた。
「我々は大きな損失を被りました」とジャーバンは自身の村について述べた。
AFP