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「アラブ人がエルサレムを建設した」ヨルダンの研究所

コロナウイルスによる制限の中、エルサレム旧市街の外で金曜の祈りを捧げるイスラム教徒の礼拝者。同市のアルアクサー・モスクはイスラム教の3つの聖地の1つ。(ロイター)
コロナウイルスによる制限の中、エルサレム旧市街の外で金曜の祈りを捧げるイスラム教徒の礼拝者。同市のアルアクサー・モスクはイスラム教の3つの聖地の1つ。(ロイター)
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28 Jun 2020 05:06:07 GMT9
28 Jun 2020 05:06:07 GMT9

ダウド・クッタブ

アンマン:エルサレムの最初の住人はアラブ人であり、少なくとも5,000年はそこで暮らしていたと、アンマンにあるシンクタンクが公表した白書で述べた。

「彼らが最初に見つけて建設した — そしてそれ以来ずっとそこにいた」と、白書は言う。

王立アール・アルベイト・イスラム思想研究所から出されたこの白書は、未公表の資料を使い、「アラブ人はヨルダンにやって来た新参者」という誤解を修正しようとする。

イスラム教の非政府組織であるこの研究所は、ヨルダンのアブドゥッラー2世国王の個人特使兼特別顧問のガージー・ビン・ムハンマド王子が所長を務める。

白書が主張を通すために使う多くの参照資料の中に、アマルナ文書がある。これは、紀元前14世紀に都市国家カナンの王たちとエジプトの君主たちとの間でやり取りされた、一連の外交書簡である。その中でエルサレムのことが言及されている。白書は19世紀後半にエジプトで発見された、くさび文字が書かれた板の写真を提示し、議論を検証する。

考古学的な発見と並んで、聖書の記録も情報源として使い、エルサレムに最初にいたのはアラブ人であることを証明する。白書によれば、聖書に「アラブ人、ハム人、カナン人、およびエブス人が、エルサレム地域を含むパレスチナの土地の最初の住人だった」ことが示されているという。カナン人とエブス人はユダヤ人よりもずっと昔の、ユダヤ教がまだ成立していない時代からその地に住んでいた

108ページにわたるこの文書は旧約聖書の一節をいくつか引用し、「エルサレムは常にアラブの都市だった」ことを証明する。そして、「今日のパレスチナ系アラブ人はそのほとんどが、5,000年以上前にその地にいた土着のカナン系アラブ人の直接の子孫である。現代のアラブ系イスラム教徒およびキリスト教徒パレスチナ人の一族(「カナン」族など、カナン人直径の子孫)が同地最古の住人」と指摘する。

白書はサラ・エディーン・アヨビに言及し、論点を検証する。アヨビは12世紀に十字軍と戦ってエルサレムを取り戻し、キリスト教徒がその地に残ることを許可すると共に、十字軍によってエルサレムから追放されたユダヤ人たちを招いてこの都市に再び定住させた、イスラム史における重要人物である。

エルサレムのアルクズ大学の元学長サリ・ヌセイベ教授によれば、白書は「十分な参照が行われ、明確な議論がなされた文書」という。

ヌセイベの一族は7世紀から歴史ある聖墳墓教会(エルサレム旧市街のキリスト教地区に建つ)の鍵を預けられてきた。同教授によれば、白書は「イスラエルと過激派ユダヤ人の作った話の嘘を複数の方法で暴き、同都市における継続的なアラブ人の存在と慈悲深いイスラム支配という明確な歴史観で置き換えている」という。

白書の中核的なテーマであるエルサレムの聖地を管理するハーシム家の一員で、最初のパレスチナ抵抗運動のリーダーの1人であるヌセイベは、この文書が「ハーシム家の管理におけるパレスチナ人の役割を認め、それによってパレスチナの人々とハーシム王国の間の特別な政治的関係性を強調している。ハーシム家による、特に平和という観点からの聖地の管理が、エルサレムをイスラエル化する現在の政策よりも、3つの宗教全てに対し安全な場所を約束することを、複数の方法で示している」と述べる。

また白書は、「イスラム教徒がエルサレムを支配した時に(638年、1187年、および1948年)、キリスト教徒やユダヤ人を追い出したことはない」ことを何度も繰り返す。

むしろ、イスラム教徒は彼らの権利と信仰上の権利を保証し、同都市に来るユダヤ人を歓迎さえしたと、白書は述べる。そして、これは630年のキリスト教徒によるユダヤ人の排除、および1099年のユダヤ人とイスラム教徒(およびキリスト教正教徒すら)の大虐殺とは対照的であり、紀元前1,000年に起きたユダヤ人によるエルサレムの先住民の大虐殺や、614年のサーサーン朝ユダヤ人によるキリスト教徒の排除、および1948年のパレスチナ人の排除とも異なる」と指摘する。

言い換えれば、イスラム教はエルサレムに対して道徳的権利を持たないという誤解に反し、イスラム教は歴史的にユダヤ教やキリスト教のどちらよりも平和的であり、他の宗教に対して寛大だったと、白書は指摘する。

パレスチナ民族評議会の一員で元ベツレヘム市長のベラ・バブーンは、エルサレム白書は「イスラエルが採用し、キリスト教徒であろうとイスラム教徒であろうとかかわらずアラブ系パレスチナ人の文化・人道・歴史・信仰上の権利を否定している排他的な作り話とは距離を置く、多様な歴史的現実」を明確に示していると述べた。

白書は「読者に自分自身の誤解と知識不足を真正面から突きつけ、エルサレムやパレスチナの土地全体においてパレスチナ人の権利と存在を否定するために利用されている、イスラエルの排他的な政治上または聖書上の作り話の嘘を暴いている」と、彼女は言う。

白書は、イスラム教徒が過去1,388年のうち1,210年の間、エルサレムを支配していたと指摘する。「これは、過去3,020年の間のユダヤ人による支配(953年)や、過去2,000年の間のキリスト教徒の支配(417年)よりも長い」

コーランにエルサレムが言及されていないという通説に反論するため、白書は、イスラム教巡礼者にとってメッカやメディナの巡礼を終えた後にエルサレムを訪れることは、1,300年にわたる習慣だったと述べる。

エルサレムのアルアクサー・モスク/神殿の丘は、イスラム教の3つの聖地のうちの1つである。コーランに関する古典的な解説によれば、「その都市」「その土地」「その聖地」「その山」「その寺院」および「そのオリーブ」は全て、エルサレムやエルサレムにある場所を指している。

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