
エルサレム:イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相に対する抗議デモが続くこの夏、汚職を非難し辞任を要求するスローガンに、新たによく耳にする声が加わるかもしれない「今回が初めてです」
絶叫が鳴り響く抗議集会に、新しい層が初参加している。これまで政治活動の経験がない、若い中流層のイスラエル人たちだ。ネタニヤフ政権の汚職やコロナ危機対応の失敗により、将来が奪われたと感じている。この現象がイスラエルの政治家に与える影響は大きいだろう。
「新型コロナや対応の不手際だけを非難しているわけではありません」とデモ参加者シェチャー・オーレンさん(25歳)は語った。「食料が買えず生活が苦しい人々の窮状を訴えているのです。私もその1人です」
エルサレムの首相官邸前には何千人もの人々が週に数回詰めかけ、長期にわたり政権の座にあるネタニヤフ首相の辞任を要求しているが、オーレンさんもその中の1人だ。若者たちがデモに参加したことで、年配者中心の昔ながらのデモ隊も勢いを増した。汚職容疑で公判中のネタニヤフ首相は辞任すべきだと主張している。
緩やかなつながりの集団が声を合わせ、ネタニヤフが首相では話にならないと叫んでいる。コロナ禍が猛威を振るい失業率が20%を超える状況下で、首相本人は数十万ドルの脱税を目論んでおり建国史上最も腐敗した政権だと主張している。
若いデモ参加者の多くは、職を失ったり将来のキャリアビジョンに暗雲が立ち込めたりするのを目の当たりにしている。若者たちが抗議デモに参加することで、カーニバルのような雰囲気が生まれた。街中で太鼓を鳴らしたりカラフルな衣装を着て踊ったりしながら、ネタニヤフ首相を糾弾するスローガンを唱えている。
ネタニヤフ首相はデモ参加者を「左翼」とか「無政府主義者」と呼び、要求を却下しようとしている。首相と親しいコメンテーターのエレル・シーガル氏は、この集団を「ウッドストック / 憎悪」と呼んでいる。
しかし野党側がデモを主催している形跡はない。ほとんどの抗議デモに政治家が参加していないのは明らかだ。
イスラエルにおける政治デモの歴史は長い。平和活動家、ヨルダン川西岸の入植者、超正統派ユダヤ教徒などが主体だ。新たにデモに参加した人々の特徴は、より幅広い層の一般人であるという点だろう。
「党派間の争いという様相は全く見られず、政党の傘下組織は関わっていません」とエルサレムのシンクタンク「イスラエル民主主義研究所」のタマール・ヘルマン研究員(専門:抗議運動)は語った。
ヘルマン氏によると、今回デモに参加している人々の層は世界中の抗議運動の多くと類似しているという。「ほとんどが中産階級です」と彼女は語った。「中産階級なのに職を失ったわけです」
たとえばオーレンさんの場合、以前はソフトウェアアナリストとして安月給で何とか生活できていた。徴兵中にイスラエル軍・技術諜報部門で訓練を受けたおかげだ。それから転職して家庭教師になった。小学生に英語・パソコン・チェスを教えていた。
社会には色々問題があるが、「生きることに必死で」政治活動に参加するなんて考えもしなかったと語った。しかし3月にコロナ危機が始まり、状況は一変した。
オーレンさんの仕事はなくなった。
失業者の急増を受け、ネタニヤフ首相と宿敵ベニー・ガンツ氏が手を組み連立政権が発足した。閣僚34名からなる史上最大規模の内閣だ。この内閣の大臣には肩書が曖昧な人も多いのだが、享受しているのは高額報酬だけではない。お抱え運転手・ガードマン・大臣室が割り当てられ、知り合いに仕事を紹介する特権まである。
ネタニヤフ首相の側近の1人は、「理学部卒業」でも家族を養うのに苦労するのが一般的との報告書を握りつぶした。
オーレンさんは「激怒」し、およそ2か月前に初めて抗議集会に参加した。「政治家が今の地位にいられるのは、暮らしを守ってもらうために国民が権力を付与したからです。それなのに彼らは何もしていない」と説明した。
現在オーレンさんは、イスラエル中央部のクファールサバ市にある自宅から約1時間歩いて、週3回エルサレムに通っている。オーレンさんを見つけるのは簡単だ。「ハウス・オブ・コラプション(汚職の家)」と書かれたネタニヤフ首相を描いたポスターを掲げているからだ。ドラマ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』でケビン・スペイシー演じる悪辣な主人公、フランク・アンダーウッドのようなポーズをとっている。
オーレンさんは、政党や抗議デモを主催するいかなる団体にも所属していないが、多様な背景を持つ活動家グループが要求している内容はほぼ同じだという。「腐敗・貧困・無関心にノーを突き付けているのです。とにかくもうウンザリだと言っているのです」と語った。
女子大生のスタブ・ピルツさんの事情もほぼ同じだ。首相官邸近くのエルサレム市街地に住むピルツさんは、数カ月前近所でデモ活動が始まった途端に興味を持った。デモ参加者だけでなく、以前ウェイトレスのアルバイトをしていたカフェで地元住民と話をした。カフェでの仕事はコロナ不況によりなくなった。
悩みを共有していることに気づいたという。「デモ参加者は政治が危機的な状況にあると感じています。誰も市民の声に耳を貸さず、私たちの苦悩を聞こうとしません」と語った。
しかしピルツさんがデモに参加する契機となったのは、先月イスラエルの福祉関係者たちが起こした全国ストライキだったという。
福祉学を専攻しているピルツさんは社会運動に参加した経験はあるが、政治運動にかかわった経験はないという。様々な宗教・政治・民族・人種的背景を持つ女性が集結した光景は強烈な印象を与えた。「女性たちが団結したらどれほどの力になるのかを目の当たりにしました」と語った。
ここ数週間勢いを増している抗議デモは、2011年にイスラエルの高額な生活費を訴えるため何十万人もの人々が街に繰り出して以来、最大規模・最長の抗議活動となる。2011年の抗議デモは最終的に収まったが、リーダーの2人が入閣した。今やその1人イツィク・シュムリ氏は厚生大臣を務めている。
ピルツさんもオーレンさんも、この活動を長く続けると語った。
「国民側が失うものは何もありません。そのため、若くて国内で将来の展望が見えない場合は特に、デモに参加するハードルはとても低いのです」とピルツさんは語った。
政治アナリストのヘルマン氏は、あまりにも多くのイスラエルの若者が「政治に無関心」な状態が続いており、国民が政治に関心を持つようになったのはイスラエルの民主主義にとって「非常に良い兆候」だと語った。
しかし政治家側は、若い世代の政治意識が高まるのをさほど歓迎しないのかもしれない。
「国民が確固たる政治的見解を持つと、コントロールするのがはるかに難しくなりますから」と語った。
AP