ナジア・フッサリ
ベイルート:約5カ月前に港が爆発に襲われたベイルートの近くのマーミカエルやジュマイゼでは、レストランやコーヒーショップのオーナーと市民社会団体が、見捨てられた数千人の人々にクリスマスのごちそうを振る舞おうとする中、クリスマス・キャロルが聞こえる。
人々は爆発の犠牲者を追悼するため、ろうそくをともしに毎日集まっている。彼らの家は壊されたままで、壁や窓、戸がなくなっている。ナイロンのカーテンが砕け散ったガラスの代わりをしているが、冷気や雨を防ぐ効果はほとんどない。
Roy Bassilさんは、港の向こう側のマーミカエルの自宅にいたときに爆発で父親を失った。母親は重傷を負った。「私たちの人生は一変しました」と彼は話した。「二つの壁が父の上に倒れた後、がれきの下から父の体を引っ張り出しました。母と叔母と私は皆、ジュニエに引っ越し、家を元通りにできるまでアパートを借りています。市民社会団体が支援してくれていますが、被害が大きかったため、私たちの家に割り当てられていたお金はすぐになくなってしまいました。家具さえ跡形もなく壊されてしまい、どうすれば復旧作業を続けられるかのか分かりません。私は会計士ですが、この国が直面している経済危機のため、仕事が止まっています」
Bassilさんは、この国の他の多くの人々と同じく、ショックを受け、深い不満感にいまだに苦しんでいる。「私たちは運命に見放され、守ってくれる国がないように感じています。彼らが私たちにしたことに対して、誰一人として許しません。どうすれば許せますか? クリスマスイブに私たちは教会で祈ります。こんなクリスマス休暇は初めてです。内戦のピーク時でさえ、こんな苦い経験をしたことがありません」
Bassilさんは、首都の30%を占め、キリスト教徒が多数を占める東ベイルートに住んでいる。個人情報登録簿によると、ベイルート住民の72%がイスラム教徒で、28%がキリスト教徒だ。西ベイルートのキリスト教徒の数は、レバノン内戦中に大多数がレバノンから移住したり、他の地域に移住したりしたため減少し、彼らの西ベイルートでの存在は象徴的なものとなった。ベイルート市議会のKhalil Choucair議員は、「キリスト教徒は、営利企業やレストラン、パブ、ホテルなどに多くいます。ベイルートのキリスト教徒が中心となって、昨年の抗議行動は行われました。彼らは政党の枠ではなく市民の枠に加わりました。ベイルート港の爆発事故は彼らにとって大きな痛手で、キリスト教徒の若者の海外移住は、彼らの絶望の表れです」と述べた。
Guy Donikianさんは、マーミカエル通りを観察するため、自身が経営する書店の前に立っている。彼は父の後を継ぎ、文房具や事務用品を売る書店を経営している。印刷機は店の裏にある。どちらも1924年に作られた。「全てが壊されました」とDonikianさんは話した。「全て直しました。ただ生きていきたいです」
「爆発の後、1カ月半眠れませんでした。目を閉じると、全てが思い出されます。この地域の今年のクリスマス休暇は、悲しいものになっています。人々の家は壊され、心は引き裂かれています。心の傷を癒やす時間が必要です」
しかし港の爆発による被害は、この国が直面している問題の一つにすぎない。
「経済状況と新たなパンデミックは、私たちの窮状を悪化させただけです」とDonikianさんは話した。「私が25歳だったら、若者が皆しているように移住していたでしょう。ですが、50歳を超えると、移住して自らを再建するのは難しいです」
レバノンの深刻な経済危機は、脆弱な状況をさらに悪化させた。
「ギフト包装紙の値段が1万2000レバノン・ポンド(8ドル)になりました。誰がその値段で買えますか? 以前はわずか3000レバノン・ポンドで売っていました。クリスマス休暇が近づいているのに、まだ一つも売れていません。人々が贈り物を買っていないということです。雰囲気は悲しく、人々はお金を持っていません。することができる最も大きな旅は、食料を買うためにスーパーマーケットに行くことです。他のものは全てぜいたく品になりました」
マーミカエルやジュマイゼにあるレストランやパブのオーナーの一部が、復旧後に再開した。パブは昔からの客と新しい客で混雑し、かつてジャズ音楽愛好家でにぎわう、夜の娯楽スポットだったこのエリアに、ちょっとした楽しみを加えている。
ボヘミアン・バーで働くCharbelさんは、「通りには良いバイブスと優れたポテンシャルがあります。ですが、パブの客層は変わりました。若者は職を求めて旅をしてきました。彼らが稼いだものは、レバノン・リラの下落で価値の8割を失いました。うちのパブに来るのは裕福な人だけです」と話した。
Jacquelineさんは、周りが破壊されているにもかかわらず、自宅にとどまると言い張った。「私たちの家は大きな被害を受けましたが、全てを元通りにし、今は尊厳を持って家の中で暮らしています。多くの物を失いましたが、私たちは神を信じています。神は私たちを強くしてくださいます。爆発の後、富裕層のためにあったこの地域は、貧困家庭を受け入れるようになりました」
この惨事に責任がある人たちを許すか、という質問に、彼女はこう答えた。「私の宗教は許せと言っているが、この惨事の重大さを見ると、許さないと言います。神は許してくださいます。クリスマスイブは教会に行って祈ります。パンデミックのため、家族で集まることはしませんし、贈り物も買いませんでした。いつもはレバノンに避難しているイラク人家族を支援していますが、今年は状況が異常なので、子供のためにお菓子を買っただけでした」
「誰が被害者家族を慰めることができますか? 人々は鬱状態にあり、彼らに最も必要なのは鬱病とパニック発作の薬だと薬局は言っています。若者たちは移住したか、移住を考えているかのどちらかです。汚職政治家はまだ権力の座にあり、改革を望んでいません」
Kris Kashoushさんは、マーミカエルに住む若いレバノン人男性だ。港の爆発は彼の中に「果てしない怒り」を生んだ、と彼は言った。
「政治家の過失によって人々が自分の家で殺されたのと同じように、人々は政治家の家に行って彼らを殺すべきでした。私は去ることにしました。私の野心を殺し、私の夢を壊し、私の国を奪い、同胞を皆殺しにしたかった人たちは、私にレバノン国旗をスーツケースに入れさせ、それを私と一緒に移住先に運ばせた人たちと同じです」
「私は抗議行動に参加した一人ですが、レバノンとレバノン人には完全に失望しています。8月4日に起きたことを決して忘れてはなりません。人々が生きていきたいと思っているのは事実ですが、起きたことを決して受け入れてはいけません」
ベイルートで破壊された教会のいくつかは修復されたが、他の教会の再建はまだ続行している。
ベイルートのアンティオキアのマロン派カトリック管区のバチカン主義の司教であるBoulos Abdel Sater師は、クリスマス前の日曜日の説教で次のように話した。「たとえ再建・復興作業が果てしなく続くとしても、我ら、ベイルートの民はこの街にとどまるだろう。我々の決定は明確だ。誰も我々をふるさとから追い出すことはできず、我々はふるさとを売ることもない」