





ヌーア・ヌガリ (Noor Nugali) および ロバート・エドワーズ (Robert Edwards)
リヤド / ロンドン : キプロス紛争を解決する唯一の方法は、二国家という解決である。トルコ大統領レジェップ・タイイップ・エルドアンが最近このように主張したことは、ヨーロッパで最も長く続く、和解の見えない摩擦を解決する助けになるというよりは、さらにややこしくしただけなのかもしれない。
ギリシャとヨーロッパが長らく支持を表明していた、二地域が連邦型傘下に基づいてキプロスを再統一することを拒否することにより、トルコ首脳は、会談再開の可能性を探る国連主導による会合の準備段階に、意図的に深く関与した。
ギリシャとキプロスの首脳が、国連決議に基づく平和協定だけを受け入れるつもりである、と発言後ほどなくして、つまり、トルコ政府と、トルコ系キプロス指導層の支持する二国家図式を拒否した後、エルドアンもコメントを発表した。
ギリシャ系キプロスは、EU 加盟国が国際的に認知する政府を形成するが、二国家連合を提案する議論を拒否する。それは、トルコ系キプロスの主権を意味するからだ。
1974 年、この東地中海の島が、ギリシャ語を話す地域とトルコ語を話す地域に事実上分断されて以来、この膠着状態を打破する国連の取り組みは、失敗に終わってきた。この年、ギリシャの臨時政府がニコシアで企てたクーデターに対応して、トルコは島の北部 3 分の 1 を侵略、占領した。
スイス、クラン・モンタナのスキーリゾートで、国連主催で行われた最後の交渉は、2017 年 7 月無に帰した。2004 年当時の国連事務総長、コフィー・アナンが仲介した会談と同じ運命を辿ることとなった。3 月の会合では、国連は、キプロスの二地域社会と同時に、保障国のギリシャ、トルコ、そしてイギリス 3 ヵ国の外相を招いて、問題の前進を図ることを期待される。
「キプロスは、1970 年代以降、歴代の国連事務総長にとって泥沼であり、( 現在の国連事務総長アントニオ ) グテーレスも例外ではないでしょう」、とトルコのビルケント大学の国際関係論教授、ディミトリス・トサロウハス (Dimitris Tsarouhas) はアラブニュースに話した。
「解決のための要因は、関係当事者全員が知るところです。二地域、二社会から成る国家が、全員の権利を守るために国際法の条項を取り入れ、すべてがうまく動くように機能的であることです。双方のマキシマリストの立場では、2017 年のクラン・モンタナの時、そして 2004 年のアナン計画期間中に、最高の機会が失われました。」
しかし、歴史はまた繰り返し、対立は深まる。ギリシャ系キプロスは、トルコ系キプロスに拒否権を認めることを拒否し、また、双方に軍隊が永続的に存在し、トルコによる軍事介入権が継続することに反対する。
過去において、トルコは、二地域連邦の提案を拒否するだけでなく、東地中海における炭化水素資源を共有することも要求している。先月、ギリシャとトルコの政府関係者は、イスタンブールで 5 年の歳月の後、キプロスの立場を含めた長年にわたる多くの問題に関する予備的協議のため、会合した。
キプロスの政治的立場と天然資源に対する主張の衝突は、1 世紀以上時計をまき戻すこととなる。キプロスは第一次世界大戦の結果として 1914 年にイギリスにより併合され、300 年を超えるオスマン帝国の統治に続き、1925 年に公式にイギリス植民地となった。
その後、1950 年代半ば、ギリシャ系キプロスは、イギリス統治に対するゲリラ戦を挑み、ギリシャとの統一を要求した。
1960 年に独立を勝ち取り、憲法が、島のギリシャ系およびトルコ系社会による合意を受けた。保障条約に基づき、イギリス、ギリシャ、そしてトルコはそれぞれ、キプロスの事案に介入する権利を保持した。イギリスは、軍事基地を 2 ヵ所維持することとなった。
数字で見ると
キプロス総人口、128 万人
GDP 350 億ドル ( 購買力平価 )。
しかし、調和は長続きしなかった。1963 年、社会間で暴力が勃発した。その年、大統領、牧師そして政治家であった、大司教マカリオスが、島の権力共有配置に対する変化を提案した。翌年、国連平和維持軍が到着し、「グリーンライン」が引かれた。
1974 年、事態は急変した。その年、ギリシャの軍事政権がマカリオスに対し、クーデターを画策した。キプロスの併合を試みてのことだ。これに続いてトルコ軍が島の北部に展開し、国連が取り締まるグリーンラインに沿って、島は事実上分断された。
推定では 165,000 人のギリシャ系キプロス人が南部に逃げた。一方、およそ 45,000 人のトルコ系キプロス人が北部へと移動し、そこで独自の独立政権を樹立、ラウフ・デンクタシュを大統領とした。全会一致の国連安全保障理事会決議にもかかわらず、トルコは、キプロスから軍を撤退させることを拒否した。
1980 年代初頭、国連主催による会談を行うという、新たな試みは打ち砕かれた。その年、デンクタシュが「北キプロス・トルコ共和国」の独立を宣言した。もっとも、現在までその存在を承認したのはトルコのみである。
1990 年代、あからさまな対立が、不気味な足音を立て近づいていた。当時、ギリシャ系キプロス政府は、ロシア製の S-300 ミサイル防衛システム購入を検討していた。トルコが軍事行動の兆候をちらつかせたことで、この動きは即座に立ち消えとなった。
度重なる外交の失敗、そして民族主義という美辞麗句を通じて、政治アナリストは、その期待を管理する術を学んできた。
「北キプロスにおける最近の選挙結果は、北部の強硬派を強化しています。実際、彼ら自身、エルドアンの物質的イデオロギー的な支援から恩恵を受けているのです」、とトサロウハスはアラブニュースに話した。「現在初めて、トルコ系キプロスは、二国家という解決こそが前進への唯一の方法だと主張し、エルドアンもそれを繰り返しています。つまりこれは、島の分断を意味します。
「一方、ギリシャ系キプロスが、過去この問題を成功裏に解決することにむけ努力する機会を失ってきたことも、また事実なのです。だから、彼らは急いでいないのです。1974 年以来、彼らは一度たりとも急いでいません。」
スタブロス・アブゴウスティデス (Stavros Avgoustides) 在サウジアラビア、キプロス大使は、ギリシャ系キプロス側も問題の対応を誤ったという主張を否定し、トルコを真っ向から非難した。
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「解決実現に向けた努力が相次いでうまく行かなかったのは、基本的に、キプロスを保護国として維持することに、トルコが固執したためです。保障国という時代遅れの植民地後のシステム、そしてキプロスの国土にトルコ軍が存在することを、その手段としたのです」、とアブゴウスティデスはアラブニュースに話した。
「1974 年のトルコの軍事的侵略と占領、そしてキプロスの人々に対してトルコが行った民族浄化政策の結果として、キプロスは結局『民族的に分断』されたのです。」
アンカラ発表の声明から判断すると、統治する政党政治家は、国連主導の会談に先立ち、より強硬路線を採択することで失うものが何もないことは明白だ。「もはや二国家という解決以外の解決はありません」、とエルドアンは先週、公正発展党 (AKP) の会談で話した。「それを受け入れようとそうでなかろうと、連邦という選択はもはやないのです。」
次の日、TRT Haber との会見で、イブラヒム・カリン (Ibrahim Kalin) 大統領報道官は、大統領の声明をさらに拡大した。「私たちは、これまで 40 年にわたって議論してきた事案について、さらに向こう 40 年間議論することはできません」、と彼は話した。
「さて、この問題は国連の屋根の下で議論されるでしょう。5 者 +1 会談で議論されるでしょう。我々は現在、二国家という解決を議論するでしょう。」
キリアコス・ミツォタキス (Kyriakos Mitsotakis) ギリシャ首相が、平和協定に向けた国連と EU の枠組みを無視する二国家という合意をトルコが主張する限り、キプロスを再統一するという「重要な」会談の再開はあり得ない、と発言後ほどなくして、エルドアンとカリンによる所見が発表された。
たとえ来月の会談が予定通り行われたとしても、良い結果が保証されている状態からはほど遠い。結局のところ、新たなミレニアムが始まり、アナンの指揮した紛争解決に向けた勢いが、一新した。アナン計画として知られる、2002 年のロードマップでは、二者連邦で、交代で大統領職に就くことによる統治を構想していた。
ギリシャ系およびトルコ系キプロス双方が計画に合意した場合、キプロスは、EU 加盟国となるだろう。万一失敗に終わった場合には、国際的な承認を受ける南のギリシャ系キプロスのみが、加盟を許されることとなる。
アナン計画では2004 年、キプロス市民に対し、南北それぞれで国民投票を行う計画だった。トルコ系キプロス人の間で支持を勝ち取ったとしても、ギリシャ系キプロス人によって数の上で否決されることとなれば、それこそ状況が悪化する。
キプロスが石油と天然ガスの試掘を開始した 2011 年、双方の間で敵意が深まった。翌年トルコは、キプロス政府の抗議にも関わらず、キプロス北部の海岸近くで独自に試掘を開始することで対抗した。開発が並行して行われる中、2015 年、国連主催で着手された再統一会談は、2017 年 7 月包括的に再度終結した。
その後 2020 年 10 月、反統一国家主義者エルシン・タタール (Ersin Tatar) が、トルコ系キプロス人大統領職をかろうじて勝ち取った。これにより、国連の支持する平和に向けた展望が、より実現困難となったように見えた。トルコ側は、アンカラの二国家図式という要求を支持するため、国連決議に基づく協定に寄せられる期待は低い。
アブゴウスティデス大使によれば、ギリシャ系キプロスに関する限り、条件は変わっていない。「私たちは、関連する国連決議で提示される、二地域、二社会連邦という解決実現を目指す交渉を継続することを約束しています」、と彼はアラブニュースに話した。
「当事者全員が、同じ水準の熱意を見せてくれることを心より願うばかりです。」
解決に必要なことは、「キプロスに暮らす人々すべての基本的権利と根本的な自由を完全に尊重することだ。他の保障国、そして他国軍の存在からキプロスを解放し、東地中海域における平和と安定の案内人として、その役割を完全に果たせるようにすることだ。」
目下のところ、二つの相対立するキプロスの将来像を近い将来に調停できるかどうか、それが未解決の問題である。
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@RobertPEdwards