

エルサレム:エルサレムのアル・アクサの複合型モスクやその他の場所でパレスチナ人とイスラエル警察との間で発生した夜の激しい衝突により、200人以上のパレスチナ人が負傷したと、8日、医療関係者らが述べた。同市は、数週間にわたる混乱を経て、さらなる暴力の発生に備えている。
聖なるラマダン月の開始時には、警察が人気の集会所を規制したことを巡って、毎晩デモが勃発したが、ここ数日は、数十年来の紛争で双方が権利を主張している東エルサレムでパレスチナ人数十人が家からの立ち退きを迫られていることを巡って、再びデモが激しくなっている。
アル・アクサでの暴力は、何千人のイスラム教徒が広大な丘の上の広場で夕方の祈りを捧げる中、戦闘服を着たイスラエル警察が大規模に配備された時に発生したが、何が引き金になったのかははっきりとしない。
イスラエル警察がゴム弾や閃光発音筒を発射する中、大勢のデモ隊が石を投げつける光景が夜通し見られた。一時は、警察がアル・アクサ・モスクや象徴的な黄金の岩のドームなどがある複合寺院の建物の1つに侵入した。
パレスチナ赤新月社救急サービスは、負傷者のうち88人が入院したと語った。パレスチナ保健省によると、ゴム弾により83人が負傷し、そのうち3人が目を撃たれ、2人が頭に重傷を負い、2人が顎を骨折したという。
イスラエル警察は、デモ隊から石や花火、その他の物を投げつけられ、警官6人が負傷し、治療が必要になったと語った。「我々はあらゆる暴力的な妨害、暴動、我が部隊に対する攻撃に厳しく対処する」と、警察は7日遅くに出した声明の中で述べた。
アル・アクサの複合型モスクは、イスラム教で3番目に神聖な場所だ。ここは、ユダヤ人にとっても最も神聖な場所で、聖書に登場する神殿があったことから「神殿の丘」と呼ばれている。長きにわたってイスラエル・パレスチナ紛争の火種となっており、2000年のパレスチナ人のインティファーダ(蜂起)の震源地となった。
アル・アクサでのラマダン最後の金曜正午の礼拝には、約7万人の礼拝者が参加したと、同施設を管理するイスラム教の慈善機関が発表した。その後、数千人がイスラム過激派組織「ハマス」の緑の旗を振り、ハマスを支持するスローガンを唱えながら抗議した。
4月中旬のラマダン開始時、イスラエルはパレスチナ人が伝統的に1日の断食の終わりに交流する人気の集会スポットを封鎖した。この動きは2週間にわたる衝突を引き起こし、その後イスラエルはこの規制を解除することとなった。
しかし最近は、東エルサレムのシェイク・ジャラ―で、同地区の不動産を手に入れようとするイスラエル人入植者との長期にわたる法廷闘争に巻き込まれている数十人のパレスチナ人を、イスラエルが立ち退かせようと迫っていることを巡り、抗議の声が高まっている。
アメリカは、暴力と立ち退きを迫っていることの両方について「深く懸念」していると発表し、緊張を緩和するために、双方の指導者と連絡を取っていると述べた。
「緊張を深刻化したり、平和から遠ざかったりするような措置を避けることが重要だ」と、アメリカ国務省は声明の中で述べた。「これには、東エルサレムでの立ち退き、入植活動、家屋の解体、テロ行為などが含まれる」。
欧州連合も冷静な対応を呼び掛けた。EUは立ち退きが行われる可能性があることについて「深刻に懸念している」とした上で、このような行為は「国際人道法上違法であり、現地の緊張を煽ることにしかならない」と付け加えた。
1994年にイスラエルと和平を結び、エルサレムにあるイスラム教の聖地を管理している隣国ヨルダンも、イスラエルの行動を非難しており、米国の仲介で昨年イスラエルと国交を正常化した湾岸のバーレーン王国も同様だ。
イスラエル人とパレスチナ人は、今後数日間はさらなる混乱に備えることになる。
日曜日の夜は、イスラム教の聖月ラマダンの中でも最も神聖な「ライラトルカドル」(みいつの夜)だ。礼拝者らは、集中的な夜の礼拝を行うため、アル・アクサに集まる予定だ。
日曜日の夜は、イスラエルが東エルサレムを併合したことを祝う国民の祝日「エルサレム・デー」が始まる日でもあり、宗教ナショナリストらが市内でパレードやその他の祝賀行事を行う。月曜日には、イスラエルの裁判所が立ち退きに関する判決を下す予定だ。
イスラエルは1967年の中東戦争で、パレスチナ人が将来の国家建設のために望んでいるヨルダン川西岸やガザ地区とともに、東エルサレムを占領した。イスラエルは、国際的に認められていないやり方で東エルサレムを併合し、同市全体を首都とみなしている。
AP通信