








ドバイ:金曜日のエジプトによる仲介の後、ロケット弾の発射、アイアンドームによる迎撃、イスラエルとハマスによる砲撃の応酬は現在のところ沈静化している。しかし、東エルサレム、ヨルダン川西岸、ガザ地区という未解決の問題への世界の関心が薄れかけていたまさにこの時に、世界各地のパレスチナ人コミュニティは、イスラエルの軍事行動への抗議活動を活発化させている。
イスラエル占領地とイスラエル国内での破壊の応酬の映像と画像が、11日間にわたって、テレビ、ラジオの報道、そしてソーシャル・メディアを埋め尽くした。パレスチナ人たちは、自らの抱える多くの苦難の中で、とりわけ、イスラエルによるヨルダン川西岸への無制限な入植活動、200万人近くが暮らしながらも失業と経済的窮乏に喘ぎ破壊され続ける狭小地区ガザの封鎖を国際世論に訴えかける機会を得ることになった。
パレスチナ人たちは、また、和平プロセスの行き詰まりを周知することにも成功した。以前には、米国がイスラエルとパレスチナの紛争を解決するとの期待が高まっていた。しかし、1996年以来断続的にイスラエルの首相を務めているベンヤミン・ネタニヤフは安全保障重視の政策を繰り返し掲げており、パレスチナとの状況の解決に全く関心を持っていない。
鬱積した怒りとフラストレーションを爆発させるかのように、世界各地の活動家たちは、ベルリンからパリそして東京でも、イスラエルのガザでの軍事行動に対する抗議デモを行った。ニューヨークのタイムズスクエアでのユダヤ人らしき人々への襲撃、ロサンゼルスでの道路封鎖、ベルリンでの暴力行為、ロンドンのユダヤ人が多く住む地域での反ユダヤ主義的な挑発行為など、抗議デモの中には暴動にまで発展してしまったものもあった。
最近では、パレスチナ人活動家たちは社会正義活動家たちと協力し、また、昨年5月以降米国とその他英語圏の国々で存在感を示しているブラック・ライブズ・マッター (BLM) 運動から多くを学んでいる。活動家たちは、ソーシャル・メディアを用いて、組織を運営し、情報を発信している。
リーム氏は、イスラエルのハイファとヨルダン川西岸のナブルスにルーツを持つパレスチナ人コミュニティの一員である。彼女は、海外のパレスチナ人コミュニティに属する人々の間で恐らくは一般的であろう想いをアラブニュースに語った。「BLMには恩義を感じています。彼らの運動は社会正義について主張する方法を変えることに成功しました。これは、黒人とパレスチナ人の連帯と同様、パレスチナ人の掲げる大義の認知を高めています。そして、著名人が少しの勇気を持って発言することを促し、それが運動をさらに展開させていくきっかけにもなっているのです」。
イスラエルによって占領されていると考えられている、グリーンライン内側の東エルサレムにリーム氏は触れ、「シェイク・ジャラーとエルサレムの住民にソーシャル・メディアの関心が集まったのは驚くべきことでした」と、語った。
「ガザへの攻撃が始まった時、(活動家としての) 私たちの高揚感は雲散霧消してしまいました」と、リーム氏は言った。彼女はフルネームを明らかにすることを望まなかった。「ガザの住民たちは、攻撃の激しさやイスラエル側が用いる最新のテクノロジー、そして、無差別な攻撃によって急増する死者数を必死に訴えていました。ガザに対して戦争をしかけることをイスラエルが数年毎に繰り返すので、ガザの住民たちが耐え忍んでいる残虐な暴力について世界中の人々が鈍感になってしまっています」。
ハマスとイスラエル軍の最近の紛争では、65人の子供を含む232人のパレスチナ人と12人のイスラエル人が死亡した。また、ヨルダン川西岸地区では、さらに25人が死亡している。
パレスチナ側とその関連組織は4,300発以上のロケット弾をイスラエルに向けて発射した。そのほとんどはイスラエルのアイアンドーム対空防衛システムによって迎撃された。イスラエル軍による激しい空爆と砲撃によって、ガザ地区では120,000人の住民が避難を余儀なくされた。
リーム氏が重要な転換点だったと考えるのはイスラエル内に居住するパレスチナ人たちが集団的に展開した行動である。先住民であるパレスチナ人たちは離散していても団結できるのだということを彼らが身をもって示したのだと、リーム氏は言った。
リーム氏は最近の紛争についての彼女の見解をソーシャル・メディアへ書き込んではいるものの、プライバシーについての懸念からそうしたプラットフォームの積極的なユーザーではない。しかし、リーム氏は、ソーシャルメディアで多くのフォロワーを有する人々の影響力は非常に大きいと確信している。
活動家たちは、膨大なフォロワー数を誇る世界中のインフルエンサーたちの支持を得ている。ベラ・ハディッドとジジ・ハディッドの姉妹は、パレスチナ系のファッションモデルでカリフォルニアを拠点としている。ジジ・ハディッドには1,030万人のフォロワーがいる。
ハディッド姉妹は、パレスチナ問題に限らず、リベラルな信念に基づく多様なアピールを行っている。インスタグラムへの投稿でハディッド姉妹は、「人種間の平等やLGBTと女性の権利を唱道し、腐敗し権限を乱用する政権や他の不正に非難の声を上げておきながら、パレスチナ人たちの受けている抑圧については沈黙しておくというわけにはいきません」と、述べている。
また、パレスチナ系の一般の人々も、彼らの状況と大義に国際的な注目を集めようと尽力している。
ロンドンとドバイに拠点を置くパレスチナ人のディナ・ダハマッシュ氏は、ソーシャル・メディアで声を上げ続けている。ダハマッシュ氏は、紛争によってシェイク・ジャラーの数多くの家族が避難を余儀なくされたことや多数の死傷者が発生したことに無力感を覚えていることを認めている。
「私の家族は、父母が、それぞれ、リダとアルシェイク・ムワニスという、生粋のパレスチナ人一家なのです。父方の祖父のカリル・ダハマッシュはリダの出身です。母方の祖父のザキ・アブ・エイド博士は、現在テルアビブと呼ばれるヤッファの郊外の村で、大学のすぐ下のアルシェイク・ムワニスの出身です」。
ダハマッシュ氏は、彼女の曽祖父が1923年にリダにカリル・ダハマッシュ・モスクを建てたのだと語った。このモスクは現存している。「私の祖父はダハマッシュの虐殺の生き残りです。裸足でラマッラまで逃げ、そこからシリアに辿り着きました。その後、クウェートに渡り、そこで生計を立てました。湾岸戦争の後、私の家族はロンドンに移住し、私はそこで育ちました。残念なことですが、私の家族は1948年に (イスラエルから) 追放されてしまっており、イスラエルの差別的な政策のせいでパレスチナに戻ることが出来なくなっています」。
「幸い私はパレスチナの地に戻ってくることができました。そこで、私は、故郷に戻ることの出来ない、世界各地に離散したパレスチナ人たちの眼になろうと考えています。パレスチナのことを思わずに目を覚ますことは私にはありません。パレスチナのことであれば、文化的、政治的、歴史的を問わず、ソーシャル・メディアに投稿しています」。
ダハマッシュ氏は、抗議活動の輪を、内々の同志のネットワークを超えて、拡大しようとしている。「私はパレスチナ人以外の人々と対話し、彼らに私たちの目標を示せたことを嬉しく思っています」と、彼女は言った。
ドバイとカナダのトロントに拠点を置くパレスチナ人のダナ・アッカー氏は、友人とインスタグラムにアカウントを作成した。OurPalestinianStories (私たちのパレスチナ物語) というアカウントだ。アッカー氏は、このアカウントを通して、パレスチナ在住、海外在住を問わず、多様な人々に、占領下での生活やパレスチナ訪問時の様子を共有することを呼びかけている。
「人は、死を思わせるような画像や統計データよりも、ストーリーに (より一層) 共感するものなのだと実感しています」と、アッカー氏はアラブニュースに語った。「私自身の経験を語り、共有するだけで、数多くの人たちの見方が変りました。それだけのことでも、前向きな影響があるのです」。
アッカー氏の家系はパレスチナに深く根差している。彼女の父方の親族は今でもラマッラとナーブルスで暮らしている。彼女自身、元々は、ヨルダン川西岸地区の都市であるナーブルスの出身なのだ。エルサレムの病院で外科医として勤務する伯父を初め、彼女の親族には、イスラエルとハマスの戦闘により仕事に行けなくなり生計に打撃を被ってしまった人々もいる。
「皆の感情に訴えかけるものがあったのです」と、アッカー氏はアラブニュースに語った。「精神的に疲弊させられ、心を折られ、息苦しくさせられました」。
アッカー氏は、国際社会はイスラエルにその行動についての責任を問わなければならないと言う。「各国政府はこれまでに『平和を実現しなければならない』という包括的な声明を何度も出して来ました。しかし、実現に向けて行動しなければならないのは国際社会なのです。声明には何の意味もありません。国際社会は何もしていません。イスラエル軍への資金や武器の提供の停止、パレスチナ人の土地を取り上げることや住民に対するテロ行為の制止を国際社会こそがしなければならないのです」。
争いの根源への取り組みにおける無知を、アッカー氏は指摘し、非難している。「ユダヤ人の友人たちが私のソーシャル・メディアで違う視点を知ったと言ってくれたことすらあります」と、彼女はアラブニュースに語った。「人々は死に続けています。それは否定できない事実です。パレスチナで起きていることは常に軽視されてしまうのです」。
「パレスチナ人として、私たちは、自分たちの声を届けるために出来得る限りのことをしなければなりません。そして、私は、今、人生で初めて変化の兆しを感じつつあります」と、彼女は付け加えた。
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