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2020年ドバイ万博が国際博覧会の大いなる伝統を引き継ぐ

2021年1月16日、2020年ドバイ万博会場の一般公開の1週間前に、サステナビリティー館に向かって人々が歩いていく。(AFP)
2021年1月16日、2020年ドバイ万博会場の一般公開の1週間前に、サステナビリティー館に向かって人々が歩いていく。(AFP)
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01 Sep 2021 05:09:40 GMT9
01 Sep 2021 05:09:40 GMT9
  • 万国博覧会は、文化表現と経済発展の力強いツールと見なされている
  • サウジアラビア館は、2020年ドバイ万博の開催前にすでに3つの世界ギネス記録を達成

アレクサンドラ・ドレイコット、アマンダ・エンゲレンドガイ

ドバイ:メガイベントという言葉はまだ生まれていなかったが、1851年にロンドンのクリスタルパレスで開催された史上初の万国博覧会は、まさしくそうした催しだった。その壮大な博覧会は、ビクトリア朝ロンドンの外観を変貌させ、世界を魅了する注目の一大イベントとなった。

この最初の万博の成功により、世界の様々な都市が主催する万国博覧会の大いなる伝統が生まれた。

万博は今日に至るまで、文化表現と経済発展の力強いツールと見なされており、その影響力は、その後何十年も貿易や外交の交流という形で感知される。

万博はまた、その建築遺産でも広く知られている。主催国はインフラ計画に巨額を投じることが多く、象徴的な構造物で競い合う。パリを象徴するエッフェル塔は、フランスが主催する1889年万博の目玉として披露されたものであることは有名だ。

1893年に、シカゴ万博の組織委員会は、いかにしてエッフェル塔を凌ぐかに頭を悩ませ、非常に奇抜なアイデアがいくつか出た。シカゴの象徴建造物として提案されたデザインの中には、300メートル(エッフェル塔の高さ)の地球のレプリカと、探検家クリストファー・コロンブスの船の縮小版というものもあった。

別の案としては、ドバイのブルジュ・ハリファの3倍に相当する3キロという高さの尖塔を建て、そこから高架鉄道網を広げ、シカゴとニューヨークやボストンなどの都市とを結ぶというものだ。言うまでもなくこの案は却下された。

エッフェル塔のその絶大な人気が、白熱する競争の引き金となった。だが、確かにエッフェル塔は、おそらく万博の象徴として最も長く存在し続けている建造物ではあるが、その建設に関しては論争がなかったわけでもない。

1886年、フランス革命100周年に合わせて開催される万博のわずか3年前に、組織委員会は、パリのモニュメントに相応しいデザイン案を募集した。

素晴らしい建築物に加え、2020年ドバイ万博は、文化との遭遇を約束しており、アラブ首長国初のオペラを上演するほか、会場の至るところに様々なパブリックアートが設置される。(エミレーツ通信)

その中のひとつに、国王を殺害したフランス革命の過激さを不気味に象徴するものとして、300メートルのギロチンを建設するという案があった。この案は当然のことながら却下されたが、当時の世界で最も高さのある建築物にするというアイデアは採用された。

当初、「悲惨な街灯」と多くのフランス文化人から嘲笑されたエッフェル塔は、来場者の間で極めて人気を博すことになった。

この構造物は万博から20年後に解体されるはずであったが、第一次世界大戦中、フランスの軍事活動を支える優れた無線送信機であることがわかった。今日、エッフェル塔は世界中で最も多くの人が訪れるモニュメントだ。

万博は、その規模と熱意が膨らむに連れ、遠く離れた異国への世界的な好奇心を育むものとなった。そして来場者が数百万人に達する頃には、万博の文化的、理念的な影響力が顕著に現れるようになっていた。

建設中の2020年ドバイ万博サウジアラビア館。(シャッターストック/資料写真)

1937年パリ万博で、ソ連とナチスドイツのパビリオンが、「現代生活」というテーマに対してまったく異なる2つの答えを提示した。ヨシフ・スターリンとアドルフ・ヒトラーのお気に入りの建築士がそれぞれデザインした2つのパビリオンは、互いに対峙する場所に建てられ、それは2つの全体主義体制が睨み合う様子を示した小宇宙のようでもあった。

ドイツの建築士は、ソ連のパビリオンのデザイン仕様をなんとか事前に入手し、それを使って、ナチスのパビリオンがソ連館よりも一段勝るように高さのある堂々としたものにした。

2大国のそれと分かる対立は、両者を互いにけしかければ戦争が避けられるかも知れないとの欧州の密かな期待の表れであると広くメディアからは解釈された。しかしもちろん、歴史はそうはならなかった。

1958年ブリュッセル万博の頃には、「冷戦」という瀬戸際政策による米国とソ連との対決になっていた。緊張は高まっていたが、1万6000人のソ連市民がこのイベントのために西側国家を訪れ、万博を通して両者が直接触れ合うという稀な機会が生まれた。

2020年ドバイ万博「テラ‐サステナビリティー館」を空から撮影した画像(写真:ダニー・エイド/2020年ドバイ万博)

共産主義の影響力を弱体化させる戦略の一環として、米国の中央情報局(CIA)は、ロシアの十月革命を背景設定として書かれたボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジバゴ』のロシア語版を特別に発注し、バチカン館と協力してこの書籍を配布した。「シビタスデイ(神の都)」と名付けられたバチカンのパビリオン内では、ソ連からの来場者の手にその秘密の書籍が押し付けられた。

CIAはこの作戦が上手くいったものと考えた。しかし、作者パステルナークはその計画と実行を知らされておらず、特にCIAの用意したロシア語版が間違いだらけだったこともあり、全く喜ばなかった。だが、もしかしたらこの作戦がパステルナークのノーベル文学賞受賞への道を開くことになったのかも知れない。

来場者にとっては、体験型・没入型のアトラクションが万博体験の中心を占めることが多い。1939年ニューヨーク万博で、スペインの芸術家であるサルバドール・ダリが、進歩と現代性を重視する万博への反発として、「ビーナスの夢」というシュールな館をデザインした。

ある批評家は次のように述べた。「機械、自動車、ロボットなどの世界が、退廃を醸す夢の世界に置き換わっており(あるいは挑戦されているというべきか)、それは間違いなく、周囲のパビリオンが提案する清潔、秩序、明瞭さと衝突していた。このパビリオンで目にするものは、実に曖昧で、混沌とし、まったく明確ではなかった」

2020年ドバイ万博イタリア館の式典に、ルイジ・ディ・マイオ・イタリア外相(右から2人目)とダリオ・ナルデラ・フィレンツェ市長(右)が出席する。(ADP/資料写真)

ダリの当初の計画が承認されていたなら、パビリオンはさらに混乱を招くものとなっていただろう。生きたキリンを展示の一環として爆発で吹き飛ばすというものだった。キリンにとって幸いなことに、この残酷なスペクタクルは実現しなかった。

いよいよ10月1日に迫るドバイ万博は、アラブ首長国連邦のエッフェル塔とも言うべきその象徴建築物をすでに披露している。荘厳な「アル・ワスル」ドームであり、これは没入型のショー、映像、実演などに使われる。

アラブ首長国連邦館は、鷹が休んでいる様子をデザインしたもので、可動式の翼がついている。サウジアラビア館は、参加国中最大の規模をもち、「最大のLEDミラースクリーンディスプレー」、「最大のインタラクティブフロア」、「最長の水の展示」という3つのギネス世界記録を達成している。

2020年ドバイ万博会場のテラ‐サステナビリティー館の夜の景観。(提供)

2020年ドバイ万博は、素晴らしい建築物に加え、文化との遭遇を約束しており、アラブ首長国初のオペラを上演するほか、会場の至るところに様々なパブリックアートが設置される。アラブの伝統である口承文学があらゆる体験に組み込まれ、世界中の来場者たちを結びつけることになる。 

アラブ世界で初めて開催される182日間にわたる万博は、この地域の物語を伝えながら、独自の万博遺産を作り上げていくだろう。そして願わくは、万博とは常にそうであるように、いくつかのサプライズも用意されていることだろう。

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