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建設から20年、イスラエルの分離壁がパレスチナ人の生活に与える大きな影響

イスラエルの分離壁の一部は、イスラエルの入植地ハシュモナイム(左)と、ラマッラーの西にパレスチナ西岸の村アルメディアとニリンを隔てる。2021年11月7日(日)撮影。(AP Photo/Nasser Nasser)
イスラエルの分離壁の一部は、イスラエルの入植地ハシュモナイム(左)と、ラマッラーの西にパレスチナ西岸の村アルメディアとニリンを隔てる。2021年11月7日(日)撮影。(AP Photo/Nasser Nasser)
ラマッラーの西に位置するヨルダン川西岸のニリン村にて、イスラエルの分離壁の一部の後ろに見えるイスラエルの入植地ハシュモナイム。2021年11月7日(日)撮影。(AP)
ラマッラーの西に位置するヨルダン川西岸のニリン村にて、イスラエルの分離壁の一部の後ろに見えるイスラエルの入植地ハシュモナイム。2021年11月7日(日)撮影。(AP)
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09 Nov 2021 12:11:12 GMT9
09 Nov 2021 12:11:12 GMT9

ヨルダン川西岸地区・カフィン:ヨルダン川西岸地区にある村、カフィンに住むパレスチナ人の農民たちは週に3日、黄色い門に並んで兵士に軍の許可証を見せる。イスラエルの分離壁の向こう側の農作物の世話をするためだ。

イスラエルの規制がどんどん厳しくなっているため、もはや自分たちの土地で育てた農作物で生活することができなくなったと農民たちは語る。適切に耕すことができず、土地の状態は悪くなっている。門のすぐ先にあるオリーブ畑は最近の火事で焼けて焦げてしまった。消防隊員も立ち入りには許可証がいるのだ。

イスラエルはパレスチナの暴動の折に分離壁を建設し、世界中に論争を巻き起こした。それから約20年が経った今、壁はすっかり景色の一部となり、ずっとそこにあるもののように見える。現在、イスラエルは国民に壁の両側に移住するように奨励しているのだが。

毎朝、何万人ものパレスチナ人がこの検問所を通過し、混み合ったターミナルに並び、建設や農業などの仕事のためにイスラエルに入国する。カフィンやその他多くの村の農民たちは、許可証がなければ自分たちの所有する土地に入ることもできない。

イスラエルは、2000年~2005年の暴動の際に国内に潜入したパレスチナ人による自爆テロやその他の攻撃が連続して起こるのを阻止するためにこの壁は役立ったとしており、現在も致命的な暴力行為を防ぐために必要だと主張する。

いまだ未完成の分離壁の85%は占領されたヨルダン川西岸地区内に建設されており、同地区の領域の10%近くに食い込んでいる。パレスチナ人はこれを違法な土地の争奪と見なしており、2004年には国際司法裁判所がこの壁は「国際法に反する」と指摘している。

エルサレムとヨルダン川西岸地区にあるベツレヘムには高さ数メートルに及ぶコンクリートの壁がそびえたち、その上部には有刺鉄線とカメラが設置されている。農村部では、主に有刺鉄線のフェンスと閉鎖された軍用道路が分離壁の役割を果たしている。

イスラエルを南北に走る主要な高速道路沿いの分離壁は土塁や緑地などで隠されており、車で通り過ぎる人々は軍事政権の現実をちらりと垣間見るだけだ。

カフィンに住むパレスチナ人によれば、彼らの所有する農地の約4500ドゥナム(1100エーカー)が壁によってつぶされたという。すべて、ヨルダン川西岸地区側の土地だ。

イブラヒム・アンマール氏は、以前はスイカやトウモロコシを含む様々な農作物を育てていたが、今ではあまり世話を必要としないオリーブとアーモンドのみになっていると語る。ちょうど先月始まったばかりの毎年のオリーブの収穫時期ですら、週に3日しか畑に入ることができず、手伝いのために家族を同行させるには許可証を新たに申請しなくてはならない。

「父と祖父はすべての収入を畑の農作物から得ていた」と、彼は言う。「今の私は、農業だけでは自分自身と子どもたちに必要な収入を得ることができない」

アンマール氏は、収入の足りない分を補うためにタクシーの運転手をしている。他の村人たちはイスラエル国内やヨルダン川西岸地区の入植地で単純労働に従事している。また、規制に不満を抱き、自宅の屋根で野菜を育てている村人も少なくとも一人はいるという。

「週に3日では、農地を十分に育てることはできない」と、壁の建設時に村長を務めていたタイシール・ハラシェ氏は言う。「土の状態はどんどん悪くなる一方だ」

国連の推計によれば、約150ほどのパレスチナ人コミュニティが同じような状況にある。11000人のパレスチナ人がヨルダン川西岸地区内であるが壁の西側の「シームゾーン」と呼ばれる地域に住んでおり、自宅にいるためにもイスラエルの許可証が必要な状況だという。

パレスチナ人の許可証取得を支援するイスラエルの人権団体「HaMoked」は、農民たちの置かれている状況は悪化していると指摘する。情報公開請求によって軍から入手したデータによれば、昨年、許可証申請の73%が却下されたという。2014年には、29%だった。安全上の理由で却下されたのは3%以下だったという。

2014年、イスラエルは、より大きな農地の農業従事者として記載されていない親族に対しての許可証の発行を中止した。2017年には軍が広大な農地を親族も含む家族間で分割することを始め、330平方メートル(3500平方フィート)以下の土地は農業的に持続不可能であると規定した。「小区画」と呼ばれる農地の所有者は入国許可が下りないようになった。

「安全保障上、まったく正当性はない」と、HaMokedのディレクター、ジェシカ・モンテル氏は言う。HaMokedはイスラエルの最高裁判所に対しこの規制の意義を訴えている。「彼らの考えではあなたの所有する土地は農作物を育てるには小さすぎる、ということを判断したというだけだ」

他の規制は、それぞれの作物の世話をするためにどれだけの人出が必要かという「精巧な計算」に基づいているとモンテル氏は語る。「ばかげた計算だ。キュウリを育てるなら、1ドゥナムごとにX人の手伝いが必要だ、とか」

これらの規制について尋ねられ、軍は「すべての立場の人にとって円滑な栄勝基盤を確保する」ことが目的であると答えた。軍は「オリーブの収穫時期の調整を非常に重要視しており、ガイドラインと状況評価に基づいて活動している」と声明を出している。

イスラエルは、この壁は永久的な国境を定める意図で設けられたものではないと常に主張してきた。支持者の中には、壁があれば武力での争いが減るため和平プロセスに役立つだろうという意見もあった。

「分離壁は安全保障の必要性のためだけにつくられた」と、イスラエル軍の元大佐で2008年まで分離壁の建設を監督していたネツァ・マシヤ氏は語る。「建設中、遠い未来には国境になる可能性もあることは理解していた。だが、それがこの壁の目的ではなかった」

実際、この分離壁は厳重に警備された国境にしか見えない。

イスラエル人とパレスチナ人は壁の両側に居住しており、イスラエルは入植地と入植地のインフラを壁の東側に積極的に建設している。この10年以上、実質的な和平交渉はまったく行われておらず、ナフタリ・ベネット首相は、ヨルダン川西岸地区や1967年の戦争でイスラエルが占領したその他の領土にパレスチナ国家を建設することに反対している。

ベツレヘムに高々とそびえたつコンクリートの壁は、政治的なグラフィティや風刺的なストリートアートでびっしりと覆われている。ラリー・デイビッドが制作したHBOのコメディ番組『ラリーのミッドライフ☆クライシス』(Curb Your Enthusiasm)で、ユダヤ人の男たちが妻への浮気を隠すためにパレスチナ人の経営するレストランを利用するエピソードからの作品や、昨年、ミネアポリスの警官に膝で押さえつけられて亡くなったジョージ・フロイド氏へのオマージュもある。

2000年代に世界的に有名なグラフィティ・アーティストのバンクシーが密かに作品を残したことから、この壁はユニークな観光名所となった。2017年、バンクシーは抵抗をテーマにした殺伐としたアートを集めた記念碑、「世界一眺めの悪いホテル」(Walled-Off Hotel)をオープンした。

近くで土産物屋を経営するアブ・ヤミル氏(本人の希望により本名は明かさない)は、ちょっとした土産物に混じってバンクシーの作品のプリントやポストカードを販売している。

70歳のヤミル氏は、数十年前、パレスチナ人が自由に移動ができた時代を懐かしむ。

「占領下ではあったが、みんな一緒に住んでいた。自分の車を運転してテルアビブまで行ったものだよ」

多くのパレスチナ人と同じく、ヤミル氏も未完成の分離壁が安全保障に役立っているかは疑わしいと考える。許可証のない労働者はいつでも入国する方法を何とか見つけるものだからだ。

「この壁は永遠にここにあるだろう。彼らが平和を望んでいないのだから」と、ヤミル氏は言う。「イスラエルはこの土地をすべて手に入れたいのだよ」

AP通信

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