
ハルツーム:土曜日、スーダンの治安部隊が、軍が支配力を強めていることを非難するデモの参加者に向けて実弾を発砲、催涙ガスを噴射した。活動家によると、少なくとも5人が死亡し、数人が負傷したという。
暴力が行使されたのは、先月の軍事政権の実権掌握に抵抗する抗議者たちが再びスーダン各地で民主化デモを繰り広げたときだった。クーデターは国際的に批判され、首都ハルツームの街路など国内各地で大規模な抗議を引き起こしていた。
治安部隊は、土曜日に複数の場所で実弾と催涙ガスを利用して抗議者を追い払った。共に都市圏を形成するハルツームとオムドゥルマンで少なくとも5人の抗議者が死亡した。スーダン医師委員会によると、そのうち4人は銃撃、1人は催涙ガス弾を受けた。また、他に数人が銃創などの怪我を負ったという。
民主化運動と呼ばれる今回のデモは、クーデターの指導者アブドゥルファッターフ・ブルハン将軍がスーダンの暫定統治機関である主権評議会の議長に再任された2日後に起きた。木曜日の動きは民主化推進派の怒りを招き、クーデターを撤回するよう将軍に促した米国などの国々を苛立たせた。
「私が思うにこれは非合法の評議会であり、ブルハンひとりでなされた一方的な決定でした」と抗議者のひとりで45歳の医療従事者であるウィグダン・アッバス氏は言った。「自由と変化のために連合に相談することもなく、ひとりの人間の独断でした」
スーダンの軍事政権は、10月25日に暫定政府を解散し、数十人の役人や政治家を逮捕して実権を握った。この政権奪取は、民主的支配に向けた脆弱な移行計画を覆した。反政府運動によって長年の独裁者オマル・アル・バシール氏とそのイスラム政権が退陣を余儀なくされて2年が過ぎてからのことだった。
土曜日の抗議行動を呼びかけたのはスーダン専門職者協会といわゆる地域抵抗委員会だ。両組織は、2019年4月のアル・バシール氏に対する反乱を支えた主要勢力だった。他の政党や運動グループも呼びかけに応じた。スーダン医師委員会も今回の民主化運動に参加している。
この運動は、2019年後半に退陣した暫定政府を樹立した連立協定の復帰に反対し、民主主義への移行に向けて完全に文民に権限を移譲することを要求した。
土曜日の早朝、ハルツームの近隣に集まった抗議者たちは、スーダンの国旗と、解任されてクーデター以降自宅軟禁下に置かれているアブダッラー・ハムドゥーク首相のポスターを掲げた。さらに将軍から文民への権限移譲を求めて「文民を、文民を」と繰り返した。
その後、デモ隊はハルツームでグループを組み替え、石と燃えるタイヤを使って少なくとも1本の幹線道路を封鎖した。スーダン国内の他の市町村でも抗議行動は行われた。
「若者は、目標を達成するまでは革命をあきらめたり、止めたりしません」と28歳の大学生ムハンマド・アハメド氏は言った。
退陣した政府のハムザ・バルール情報大臣も土曜日のデモに参加した。彼は今月初めに拘禁を解かれたところだった。
彼はハルツームで抗議者たちに「クーデター指導者と交渉はしない」と語った。「スーダンの人々が求めているのは文民政府だ。私たちは文民国家(政府)を選び取り、その実現のために闘う」
デモは厳重な警備の中で行われた。当局はハルツームの地域を結ぶナイル川の橋を閉鎖した。軍隊と準軍組織も軍事本部周辺を封鎖した。そこは、2019年4月に数千人の抗議者が陣営を置き、軍がアル・バシール氏の解任を余儀なくされた場所だ。
スーダンのフォルカー・ペルテス国連特使は、治安部隊に「最大限の抑制を行使する」ことを促し、デモ参加者に「平和的抗議活動の原則を守る」よう求めた。
スーダンの医師たちと国連によると、10月25日の政権奪取以来、国家治安部隊の過剰な武力行使が原因で少なくとも17人の反クーデター抗議者が殺害された。この数字には土曜日に死亡した抗議者も含まれている。現在、 危機の打開策を求めて調停が続けられている。
ペルテス国連特使は、金曜日、ハルツームの抗議運動の代表者、市民社会活動家、そしてクーデターで解散した評議会の文民であるムハンマド・ハッサン・アル・タイシと「良い話し合い」を行ったと述べた。退陣した政府のナスレッディン・アブドゥルバリ法務大臣も参加した。
ロイター