ガザ・パレスチナ自治区:シリアの内戦から逃れてきてもう10年近くになるが、イマド・アル・ヒッソ氏は今も彼が「監獄」と呼ぶガザに閉じ込められており、帰国への道は見えないままだ。
ガザは紛争からの避難先としては考えづらいかもしれない。
地中海沿岸部にあるパレスチナ自治区であるガザ地区はイスラム主義の組織ハマスが政権を握った2007年以降、イスラエルによって封鎖されており、出入りはイスラエルとエジプトによって厳重に規制されている。
だが、友人に「ガザ地区内なら安全に暮らすことができる」と助言されたヒッソ氏は、他の数十人のシリア人とともにエジプトの地下に掘られたトンネルを通ってガザに潜入した。
「シリアで様々な争いが起き始めた後、私はより良い生活ができるはずだと願い、ガザに逃げてきた」と、ヒッソ氏。ガザを去る時が来たら、同じ方法でシリアに帰ることができると信じていたという。
彼は現在、ガザ地区南部のラファに住んでいる。小さな家にはキッチンも家具もなく、シリアで発行された身分証明書は期限が切れ、更新する術はない。
新しい身分証明書を手に入れるには紛争で引き裂かれたシリアに戻らなくてはいけないが、来た時と同じ方法でガザを出ることはできない。
エジプト軍は2012年から一部の地下トンネルを破壊し始め、翌年にはさらに多くのトンネルを取り壊した。
イスラエルは、ハマスがトンネルを使って武器などを密輸してイスラエル人を攻撃しているため、脅威を封じ込めるには封鎖が不可欠だと主張している。
ヒッソ氏はエジプトから不法出国したため、エジプト当局に再入国を阻止される可能性があり、ラファ検問所を通ってガザを出ようとすれば、逮捕されるかもしれないと話す。
ガザへの出入り口となる他の場所もイスラエルが管理している。イスラエルはシリアと公式に戦争状態にあるため、ガザ人の通過は医療が必要な重篤な状態など非常に限られた条件下でのみ認められている。
そのため、ヒッソ氏はガザに閉じ込められたまま去る術もなく、仕事もない貧困状態に苦しんでいる。
「仕事もお金もなく、医療も教育も受けられない」と語るヒッソ氏。時々もらえるタイルを張る仕事で、やはり不法滞在状態の5人の子どもたちを養っている。
「ガザの状況はシリアよりも悪いと知った時は驚いた」と、ヒッソ氏は言う。
「ガザは世界最大の監獄だ。ガザに入ったら最後、出ることはできない」
ガザの人口約200万人のうち半数以上が1948年のイスラエル建国時に故郷を追われたパレスチナ難民の子孫で、現在、国連の援助に頼っている。
パレスチナ難民の支援を担当する国連機関UNRWAはシリア難民を自分たちの責任とは考えておらず、部分的にしか支援していないとシリア人たちは話す。
「UNRWAはうちの子どもたちを支援対象として認めず、いつも『あなたたちはシリア難民であり、私たちはパレスチナ難民の支援をしているのだ』と言ってくる」と、ハッソ氏の妻、ドニア・アル・ミニャラウィ氏は言う。
「到着するまでは、ガザは住みやすい場所だと思っていた。実際にここで見たものは、想像を超えていた。本当に悲惨な状況だ」と、彼女は語り、数々の病気にも悩まされたが治療費を払うことができなかったと明かした。
リナ・ムスタファ・ハッスーン氏(52歳)も、2012年の終わりに息子のナウラス氏(24歳)とともにトンネルを通ってガザに不法入国した。
パレスチナ人だが、当時シリアに住んでいたハッスーン氏は、姉妹に会いにガザを訪れ、滞在は1ヶ月間のつもりだったという。
だが、通ってきたトンネルは閉ざされ、母と息子はガザで立ち往生することになった。渡航書類もすでに期限が切れている。
「ガザでの暮らしはとても苦しい。移動することも、働くこともできない。向こう(シリア)でもここでも、安定した生活は望めない」と、ハッスーン氏はAFPに語った。
ナウラス氏は、同じくシリア難民でYouTubeで料理のレッスン動画を発信するシェフのワリフ・カセム氏の動画撮影を担当している。
カセム氏(41歳)はガザに住む他のシリア人難民とともに、パレスチナ当局や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に働きかけるための組合を設立した。
昨年、UNHCRはイスラエルのテルアビブの空港を経由して、9家族のシリア人をガザから脱出させた。
カセム氏は、ガザ人のあたたかな対応と料理文化には感謝しているが、状況は複雑だと語った。
「難しい状況を、何とか乗り切ろうと力を尽くしている」と、彼は話した。
AFP