
イラク、ラーンヤ:ジャマル・フセイン氏は、イラク北部の建設現場でコンクリートブロックを運搬しているとき以外は、アラビア書道の優美な技を保存することに時間を投じている。
アラビア文字の芸術的な手書きの有名コンテストで何度も受賞歴があるものの、フセイン氏は「これで生活することはできない」のが現状だと言った。
「うちは大家族です。他の仕事が必要です」。50歳の彼は11人の子どもの父親で、イラクのクルド人街ラーンヤの建設現場で働いて生計を立てている。
先週、国連の文化機関がアラビア書道を「人類の無形文化遺産」であると宣言した。サウジアラビアが主導し、イラクを含む16カ国が参加したキャンペーンの成果だった。
「アラビア文字はその流動性で無限の可能性を秘めている。一つの単語の中でも文字をいろいろに引き伸ばしたり変形させたりして、さまざまなモチーフを生み出すことができるのだ」とユネスコはそのウェブサイトの中で説明している。
ユネスコへの提案に携わったサウジ遺産保護協会のアブデルマジド・マフブブ氏は、アラブの書道を専門にするアーティストの数は激減していると言った。その1人であるフセイン氏は、ユネスコの決定を歓迎した。
彼はこの登録が、書道(アラビア語で「カット」)とそのアーティストたちを支援するため「イラク政府とクルド自治区が本気で措置を講じる」後押しになることを望んでいる。
彼が1980年代から書道を始め、数十年の経験とコンテストへの参加歴を積み重ねていることは、自宅に飾られている約40個のメダルと認定証を見れば明らかだ。
10月にはエジプトのオンラインコンテストで2等になった。目下、来月にイラクの聖地シーア派の都市ナジャフで開かれるコンテストに備えて練習をしているところだ。
フセイン氏の作品は、トルコかイランから購入した葦ペンで生み出される。ポスターや店舗のディスプレイ、時には墓標用に作品を売ることもあると言った。
何十年もの間、カイロ、アンマン、ベイルート、カサブランカの中心部では、書道が店先に飾られたり、壁に有名な箴言を書くのに使われたり、弁護士や医師の看板として建物の入口の飾り額に掲げられたりしてきた。
今日、この書道の名残は、古い店舗の色あせた店先で見られるだけになっている。
それでも、ヴィンテージの美しさへの郷愁は、その地域で流行に敏感な人々が、街で見つけた書道の写真をソーシャルメディアに投稿してフォロワーに披露するようになって一種のトレンドになっている。
しかし、戦争で疲弊した貧しいイラクでは、「書道にせよ他の芸術にせよ、政府からの支援は望めません」とフセイン氏は嘆いた。
「テクノロジーの進歩により、書道の神聖さは失われたからです」と彼は言った。
「書道には時間も労力もコストもかかります。でも人々はもっと安価に技術的に生産する方向に傾いています」
だが、フセイン氏には自分の芸術を捨てることは考えられない。彼には「エジプトかトルコを訪れて短期滞在し、カットの腕を磨く」夢がある。
イラクの反対の端、南部の都市バスラでは、ワエル・アル・ラマダン氏が路地で店を開いている。
顧客が訪れ、出席を確認するために使う管理印の製作について問い合わせる。
ラマダン氏は鋭利なペンの中から1本をつかみ、まだ子どもの頃に父親から教わった技術を再び実践する。
紙の上に、依頼された言葉を優雅な曲線が特徴のアラビア文字でゆっくりと丁寧に書く。
書道家のフセイン氏と同じく、ラマダン氏もユネスコの「世界各地の書道と書道家に対する素晴らしい支援」を賞賛している。
ラマダン氏は学校で学科を教えて稼いでいるが、自分の技術を活かして広告の仕事をすることもある。
「政府には、展示会やコンテストを通じてこの芸術に関心を持ってほしいと思います」と黒づくめで剃髪した49歳のラマダン氏は言った。
「アラビア書道が存続できるかどうかは国の支援にかかっています」
もちろん、そのためにはフセイン氏やラマダン氏のような人々の貢献も欠かせない。
ラマダン氏は「私が父の跡を継いだように、子どもたちにも引き継いでもらえたらと思います」と言って笑顔を見せた。
AFP