
フランク・ケイン
ドバイ:ドナルド・トランプ前大統領が勝利した2016年の選挙当時、イスラムは米国の一部の政治家によって「ブギーマン」にされたと、米国を率いるイスラム系アメリカ人の一人がアラブニュースに語った。
フーマ・アベディン氏は、同選挙で敗れたヒラリー・クリントン民主党候補の首席スタッフを務めた。2012年、自分自身と家族がイスラム教徒であるという単純な理由で、共和党の下院議員が彼女の調査を何度も求め、それには耐えたが、2016年の選挙戦ではその偏見がさらに強まったと話す。
「一歩下がって、これが2012年の出来事だったことをもう一度お伝えしたい。当時、私たちイスラム教徒が体験したことは、その後に起きたことのほんの序章だったのだと思います。つまり、誰かに「他者」のレッテルを貼り、恐れるべき『ブギーマン』に仕立て上げるという流れの。2016年の選挙戦で、私の信仰は『ブギーマン』にされた」と、アベディン氏。
最近、米国の政治家としての体験とサウジアラビアでの子ども時代について書いた自伝を出版したアベディン氏が、世界の政治家や指導者へのインタビューシリーズ『フランクリー・スピーキング』に出演し、率直な見解を語った。
米国の政治と社会で広まり続ける分断、米国のシステムにおける女性の地位向上、スキャンダルと離婚に終わった元ニューヨーク下院議員アンソニー・ウィーナー氏との残念な結婚生活についてなど、インタビューの内容は多岐に渡った。
米国の政治体制における反イスラム的偏見に対する非難は、昨年出版されたアベディン氏の自伝『Both/And: A Life in Many Worlds』の中でも特に印象的に残る部分だ。
「私がこの本を書いた理由の一つは、アメリカと、そして世界の人々に、この国でイスラム系アメリカ人として生きることはどういうことなのかを伝えたかったからです。だからこそ、2012年に私が国務省で働いていた当時に家族が直面した告発について詳細に書きました」と、アベディン氏は語る。
「私が攻撃されたのは、私がイスラム教徒で、イスラム教徒の両親のもとに生まれたからというだけの理由でした」
この告発は、国務省の調査によってすぐに信ぴょう性がないと判断されたが、アベディン氏は、この告発には米国の政治体制のスタンダードが広く崩れつつあることの表れであると考える。
「この国に分断があると思うかって?もちろん、みんなそう思っているでしょう。私たちが一歩前に踏み出して公共のために何かをしようというつもりがない限り、この国がどんな国になるかを選択しています」と、アベディン氏は言う。
「今、どんな言葉が世界で軽々と使われているかを見ると、とても恐ろしい。本当に、怖い」
1996年にホワイトハウスのインターンを務めて以来、政治家としてのキャリアを積み上げてきたアベディン氏は、これまでも常に共和党と民主党の政治家の間には意見の相違はあったが、2016年より前には、議論によって解決することが可能だったと語る。
「私が学んできた政治と公職におけるあり方は、無理やりにでも異なる意見を同じテーブルで語り合い、オフィスを出てちょっと行ったところで夕食を共にして意見の違いをすり合わせることができるようにする、というものでした。今では変わってしまいました」と、アベディン氏。
「ワシントンはもう昔とは違う。まったくね。人間の根本的な良識という点において、党派間には当時よりもずっと大きな分断があります。人間らしい良識は消えてしまって構わないということになったみたいです。それについては、とても悲しく思っています」
アベディン氏は2016年、クリントン氏の選挙キャンペーンの副委員長を務めていた。クリントン氏は、トランプ氏から、根拠もなく不特定の罪状による訴追や投獄を求めるという攻撃を受けた。選挙戦後半のFBIによるクリントン氏のメールの調査(その後、信頼性がないとされたが)は、選挙キャンペーンに大きな打撃を与え、当選を逃す原因となったと一部では言われている。
「外からの圧力を考えると、クリントン氏は健闘したと私は考えています。これについては詳しく著書に書きました。女性差別から告発まで、すべて。毎日、誰かによってお前は刑務所に行くべきだと理由も説明せずに言われ続けているような状況でした」と、アベディン氏。
「(クリントン氏は)1日に何度も攻撃に耐えなくてはならず、その影響は確かにありました。 (そのうえ)FBIの捜査がキャンペーン後半に起こり、選挙の行方を変える役割を果たした。あれほど接戦の選挙では、どんなに些細なことでも重要になりました。だから、あれは大きかったのです」と、アベディン氏は語った。
「あの時の民主党とクリントン候補に対する攻撃は、実際あまりにも圧倒的でした。今でも、毎朝起きるたびに、もし(クリントン候補が)2016年に当選していたらこの国はどうなっていただろうと考えます」
クリントン氏のもう一つの敗因は「彼女がパワフルで賢く、大志を持った女性だから。私が思うに、この国はいまだにパワフルな女性を恐れています」。
アベディン氏は米国で生まれ、幼い頃に家族がサウジアラビアに引っ越したため、高校卒業後に米国で大学に進学するまではサウジアラビアで育った。現在も息子のジョーダンくんとともに頻繁にサウジアラビアを訪れており、自分が住んでいた頃からの変化に感銘を受けているという。
「たとえば、(1980年代には)女性が店にいることはありませんでした。ビーチでの文化的なイベントに行くこともなかったです。数年前に息子と訪れた時は、ビーチでフェイスペインティングをしてもらって、観覧車に乗りました。若者は男女ともに自分のビジネスを始めている。起業家たちです」
アベディン氏はまた、「いつも心のどこかでサウジアラビアをいとおしく思い続けるだろう。長く故郷だった国だし、父の思い出がある。父のお墓はサウジアラビアのメッカにある。だから、急激な進歩を見るのは本当に素晴らしい」
ワシントンの政界でのキャリアに邁進する前、アベディン氏は短い期間だがアラブニュースでジャーナリストを務めていたことがある。
「ホワイトハウスのインターンシップに応募した後、夏休みにサウジアラビアに帰国した時、当時の編集長のハーリド・アル・メーナ氏が、夏の間、アラブニュースで働かないかとオファーしてくれたのです」
「我が家ではアラブニュースを毎日読んでいました。我が家の『ニューヨーク・タイムズ』紙みたいなものでした。だから1995年の私に、25年後にはこんなふうにインタビューをされているといったら、まさか、あり得ない、といったと思う。すごくワクワクします」
自伝では、結婚についてや、ウィーナー氏に初めて会った時に抱いた懸念についても率直に語られている。ニューヨークのユダヤ系下院議員であるウィーナー氏は、当時、民主党の期待の新星だった。
「イスラム教徒の視聴者はみんな、イスラム教の信仰や信条を理解していると思う。男性、つまりイスラム教徒の男性は宗教外の結婚が許されていますが、イスラム教徒の女性が宗教外の結婚をするのはそれよりも難しい。それは、結局、父親が重要視されているからです。もしその結婚で子どもが生まれたら、一般的には子どもは父親の宗教を信仰することになります。だから、私にとっては大きな良心の危機でした」と、アベディン氏。
ウィーナー氏の犯した性犯罪がSNSで広まって逮捕された時に2人の結婚生活は終わったが、その過程で2016年の選挙戦に影響を及ぼした。「敗北の全責任を感じていた」と、アベディン氏は言う。
ウィーナー氏のスキャンダルの間、アベディン氏はメディアの執拗な詮索の被害者となったが、最終的には報道陣は重大なニュースの取材をするという仕事をしているだけなのだと状況を受け入れた。「理解はできました。簡単ではなかったけれど、理解しました」
アベディン氏は、ジョー・バイデン大統領率いる民主党は次の中間選挙で苦戦を強いられるだろうと述べた。中間選挙は伝統的に現職政党にとって不利な結果となることが多い。
「COVID-19のパンデミックは、ありとあらゆる予期せぬ課題を浮き彫りにし、11月に我が党がやるべき仕事がすでに待っていると思う。仕事はたくさんあるし、熱意を失わせず、人々が(投票に)行くようにしなくてはなりません。大変だろうとおもいます」
米国の政治システムの内部事情とサウジアラビアやアラブ世界に対する理解を併せ持つアベディン氏は、将来的に大使の役割を担う可能性も否定していない。
「どんな機会に対しても、様々な探求にもオープンでありたいと思います。それが何かはわかりませんが、大使の仕事はとてもいいと思います。ただ、何に対して、何のための、どういう形での大使なのかを見つけないとけないですが。でも本当に、いいと思っています」とアベディン氏。