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イエメンでは女王の死は過去の植民地時代の記憶を呼び起こす

アデンの中央広場に座る、歴史あるビクトリア女王の像。(AP)
アデンの中央広場に座る、歴史あるビクトリア女王の像。(AP)
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18 Sep 2022 03:09:24 GMT9
18 Sep 2022 03:09:24 GMT9

アデン:1954年、エリザベス2世女王の歴史的なアデン訪問に大勢の人々が集まった。当時、アラビア半島南端のこの都市は大英帝国の植民地であり、世界で最も活気があり最も重要な港の一つだった。

そして今、70年間君臨した女王の死をきっかけに、一部のイエメン人はあまり想起されることのない歴史を思い出している。

女王の死に、世界中から悲しみと哀悼の声が相次いだ。

しかし一方で、アフリカ、アジア、カリブにおいてイギリスの植民地支配が課した死や収奪について再検討すべきだという声も呼び起こされた。

現在イエメンで二番目に大きい都市であるアデンでは、多くの人が植民地時代を、この都市や国を今でも苦しめている問題のいくつかを固定化した抑圧の時代として記憶している。

エリザベス女王の訪問を今でも敬愛の念と共に記憶しており、国の発展はイギリスによる支配のおかげだと思っている人もいる。大学生のハッサン・アル・アワイディさんは、女王と夫のフィリップ殿下が通った時に通りから手を振っていた群衆の中に自分の祖父がいたことを知っている。

しかし、アル・アワイディさんは、自分の世代はそれほど愚かではないと言う。

「21世紀の考え方だと、そのような行いは、現代のグローバルな問題である人種差別、不平等、白人至上主義などの反映だと見なされる」と彼は語る。

「彼らは、この国の植民地支配を終わらせることを望んだ人々を弾圧した。植民地支配を根絶するための闘いの中で何千人もの人々が殺されたのだ。彼らを罪に問い、自らが犯した罪を償わせるべきだ」

アデンはイギリスの植民地となった唯一のアラブの土地だ。エジプト、パレスチナ、アラビア湾岸などの、中東における他のイギリスの拠点は、完全な植民地ではなく委任統治領や保護領だった。

1839年、イギリスはまずアデンを占領した。その後、やはりアラビア半島の植民者であったオスマン帝国と衝突しながら、周辺の南部イエメンを保護領として掌握した。

最終的に両国は、イエメンの北部と南部を分ける国境を設けた。この分割はイエメンの近現代史を通じて生き残り、現在の内戦において再燃した。

アデンは1937年に正式に直轄植民地となった。紅海のすぐ傍に位置するこの都市は、欧州とアジア(特にイギリスの植民地であったインド)を結ぶ重要な燃料補給港であり商業港であった。

エリザベス女王は、即位2年後に行った初めてのイギリス連邦歴訪の一環として、オーストラリアからの帰途にアデンに立ち寄った。

イギリスの慈善団体「英国イエメン協会」のウェブサイトに掲載された訪問時の写真には、若き日の女王とその夫を迎えるイギリスの将校、高官、イエメンの指導者たちが写っている。

女王一行は行く先々で大勢の人に迎えられた。地域の指導者サイード・アブバクル・ビン・シェイク・アル・カフ氏に女王がナイトの爵位を授与する式典が開催された。同氏は受勲の際に椅子の上に膝をついたが、これはイスラム信仰を理由に女王に頭を下げることを拒否する振る舞いだったと説明された。

女王一行はイギリス軍と地元イエメン軍による軍事パレードも観覧した。

しかし、この訪問から時を待たず、汎アラブ民族主義に鼓舞された反乱が発生した。数年間にわたった戦闘の末、イギリスはついに撤退を余儀なくされた。

1967年11月下旬、イギリス軍の最後の一団がアデンを後にした時、イエメン人民民主共和国がアデンを首都として誕生した。これはアラブ世界に存在した史上唯一のマルクス主義国家であり、1990年に北イエメンと統合するまで存続した。

イギリスによる支配が秩序と発展をもたらしたと振り返るアデン市民もいる。

著述家でアデン近現代史研究者のビラル・グラムフセイン氏は、「(多くの人が)イギリスによる支配の下で過ごした時代を懐かしんでいる。全てが秩序立っていて、まるでイギリスに住んでいるみたいだったからだ」と語る。

インフラや、医療や教育などの基本サービスの多くは植民地時代に始まったと同氏は言う。

「イギリスは占領を始めた当初からアデンに民政の基礎を据えたのだ」

当時の記憶を留める物がいくつか残っている。

中央広場にはビクトリア女王の像が立っているが、現在の内戦において集中砲火が発生した際に銃弾によって掠られた跡が付いている。丘の上からは、ロンドンのビッグベンを模した時計台がアデンを見下ろしている。中央病院には、エリザベス女王が礎石を据えたことを記念する銘板が設置されている。

南部のアビヤン県で教師をしているサレム・アル・ヤマニさんは、現在のような混乱の中であっても、エリザベス女王の死に触発された植民地時代へのノスタルジーは見当違いであると語る。

「良い道路やサービスを作ったからといって(植民者が)良い存在だったということにはならない。彼らは自分たちの利益を第一に考えた占領者だったのだから」と彼は言う。

「今の状況が悲惨だからといって、我々はあの時代に戻りたいと思っているわけではない」

「これは我々自身の問題であり、外国勢力が我々の事に首を突っ込むのをやめれば解決する」

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