
アラブニュース
ジェッダ:エジプトの非合法組織「ムスリム同胞団」の精神的指導者だったユースフ・アル・カラダーウィー師が月曜日に96歳で死去した。憎悪とイスラム至上主義という有害な遺産が遺された。
アル・カラダーウィー師は、国際ムスリムウラマー連盟が2004年に設立されて以来14年間、その会長を正式に務めた。
それよりも重要なことは、同師がムスリム同胞団のイデオローグの一人であったことだ。湾岸諸国や多くの欧米諸国から制裁を受け、禁止されている宗教・政治組織である。
1928年に設立された同胞団は、20世紀半ばにエジプトや地域の他の国々における主要な反体制運動としての地位を確立した。エジプト政府は2013年に同胞団をテロ組織に指定した。
あるアラビア語のウェブサイトを引用したBBCニュースウェブサイトの2004年の記事によると、アル・カラダーウィー師は1926年にナイル川デルタの小さな村に生まれ、カイロのアル・アズハル大学でイスラム神学を学び、1953年に卒業した。
1949年から1961年にかけて、ムスリム同胞団とのつながりや、政治家の暗殺を指示した容疑によって、エジプトで数回にわたって投獄された。
同胞団の支持者は、政治的権力を獲得するために宗教的憎悪を煽り暴力崇拝を助長しているとイスラム世界全体から見なされた。
アル・カラダーウィー師の物議を醸したファトワ
2003~2005年:イスラエルおよびユダヤ人に対するジハードを呼びかけるファトワを複数回発した。その中で、パレスチナに住むユダヤ人成人は全員「占領者、戦闘員」であり、戦争の正当な標的であるとした。
2004年:イラクに駐留する米軍に対する反乱を正当化し、戦う者の殺害を容認した。
2010年:自爆テロは本当の意味での自殺ではなく、作戦を実行した結果としての事故的な死であり、聖戦における名誉ある犠牲であり殉教であると見なされると主張した。
2013年:アラブの春の際、エジプトのホスニー・ムバラク大統領の政府の転覆を唱導した。
2015年:エジプトでムハンマド・ムルシー大統領が政権につくと、同国の正当な指導者に反対する者は誰であれ「ハワーリジュ(イスラムの敵)」と呼んだ。
2019年のツイートでは、自分は憎悪を説いてはおらず、過去25年間穏健な思想の促進に努めてきたと主張した。
そのツイートでは次のように述べている。「私は約四半世紀の間、過激主義と過激主義者に反対してきた。それがディーンとドゥニヤ(宗教と世俗)、個人と社会に与える脅威を目にしてきた。私は、穏健を求め誇張や怠慢を拒否する(ために)、ペン、舌、思想を鍛えてきた。フィクフとファトワ(イスラム法学とイスラムにおける法的勧告)の分野においても、タブリーグとダアワ(布教と説教)の分野においても」
しかし、同師の実績は正反対のことを明らかにしている。自爆テロ、特にパレスチナにおけるそれを正当化し、ユダヤ人コミュニティーを繰り返し非難し、女性を貶めるファトワ(宗教令)を発したのだから。
自身のウェブサイトに掲載されたファトワの中では、殉教はより高度な形のジハードであると述べている。また、2004年にBBCの番組「ニュースナイト」で行われた悪名高いインタビューでは、イスラエル占領下のパレスチナにおける自爆テロを神の名のもとでの殉教として称賛した。
「私は殉教作戦を支持した。そうしたのは私だけではなかった」と言ったのである。
また、戦うことができないイスラム教徒に対し、外国のあらゆる場所のムジャヒディーン(ジハードを遂行する者)を資金的に支援するよう推奨した。これをテロリズムに反対する立場とはとても言えない。
アル・カラダーウィー師は2008年に治療を受けるためにイギリスを訪問しようとしたが、同国内務省にビザを拒否された。元保守党党首のデヴィッド・キャメロン氏は、ビザ申請を却下するよう政府に訴えた際、同師のことを「対立を引き起こす危険な人物」と評した。
内務省はこう述べた。「イギリスは、テロ暴力行為を正当化しようとする、あるいは共同体間の暴力を助長しかねない見解を表明する人物の存在を容認しない」
同師は当時、既に米国への入国を禁止されていた。2012年にはフランスへの入国も禁止されている。
アル・カラダーウィー師は、世界中で放送され数百万人が視聴した、視聴者が電話参加する宗教番組「アル・シャリーア・ワ・アル・ハヤ(イスラム法と人生)」に毎週出演したことで、アラビア語圏のイスラム教徒コミュニティーでおなじみの存在となった。
同師は全てのユダヤ人に対する攻撃を正当化するファトワを発した。2009年1月にはアルジャジーラ・アラビア語放送で次のように述べた。「おお神よ、あなたの敵、イスラムの敵を召し給え(…)おお神よ、裏切り者で侵略者のユダヤ人を召し給え(…)おお神よ、彼らを数え、彼らを一人ずつ屠り、一人も逃すことなかれ」
欧州人に対しても同様に、蔑視し根深い憎悪を抱いていた。同師が欧州の文明と文化を完全に無視したイスラム至上主義者であったことは、2007年にカタールテレビで行った講演の一つから窺い知ることができる。
「イスラムは武力や戦いに訴えることなしに欧州を征服すると思う。欧州は救いようがない。物質主義、乱雑な哲学、世界を支配するという私利私欲と自由放縦から来る不道徳な考えのせいだ」と言ったのである。
「もういい加減、(欧州は)目を覚まして、このような状況から抜け出す道を見つけ出しても良い頃だ。そして、イスラム以外の救助者あるいは救命ボートを見つけることはないだろう」
2013年の自身の番組では、イスラム諸国は弱体化していると非難したうえで、国民に対し、政府を転覆するよう、また同胞団に反対する全ての「ハワーリジュ(イスラムの敵)」に対する戦争を始めるよう呼びかけた。
アラブ世界の知識人や時事解説者の多くは、同師の講演を現代世界からかけ離れたイスラム主義の教義の危険な逆流と見なしている。
エジプトを長く支配していたホスニー・ムバラク大統領に対する反乱が始まった際には、アル・カラダーウィー師はテレビ放送でデモ隊を支持し、治安部隊がデモ隊に発砲することを禁止する宗教令を発した。
アル・カラダーウィー師のプロフィール
氏名:ユースフ・アル・カラダーウィー
国籍:エジプト生まれ、カタール国民
職業:「ムスリム同胞団」の精神的指導者;「欧州ファトワ研究評議会」会長;「イスラム・オンライン」共同設立者
法的地位:エジプト入国禁止(1997年);欠席裁判で死刑宣告(2015年);サウジアラビア、エジプト、UAE、バーレーンでテロリスト指定
メディア:アルジャジーラ・アラビア語放送で自身の番組「アル・シャリーア・ワ・アル・ハヤ(イスラム法と人生)」のホストを務める;アルハヤットテレビ、BBCアラビア語放送、パレスチナ自治政府テレビ、アルファレーンテレビ、アルヒワールテレビに出演;ツイッターとフェイスブックのフォロワーが合計で400万人以上
アル・カラダーウィー師は2011年にエジプトに戻ると、ムバラク大統領の辞任の一週間後から、タハリール広場で数十万人が参加する金曜礼拝を行うようになった。
「この革命を何者にも盗ませてはならない。自分に都合の良い新しい顔を付ける偽善者たちには」と、同師は群衆に語りかけた。
しかし、2013年にはムバラク大統領の後任者でムスリム同胞団支持者のムハンマド・ムルシー大統領が、その政策に対する国民の抗議行動の末に軍によって打倒されたため、アル・カラダーウィー師は再び亡命を余儀なくされた。
同師はこの「クーデター」を非難したうえで、エジプトのあらゆるグループに対し、ムルシー大統領の「正当な地位」への復権を訴えた。
2015年、同師はエジプト法廷での欠席裁判で、他の同胞団指導者らと共に死刑を宣告された。