
カーミシュリー、シリア: バラン・ラマダン・メスコさんはアルジェリアの沿岸都市オランで何週間も他の移民たちとともに身を潜め、船で地中海を渡りヨーロッパに向かう機会を待っていた。
この38歳のクルド系シリア人は渡海の数日前に、友人たちを乗せた密航船がアルジェリア沿岸を出てすぐに沈没したとの知らせを受けた。乗っていた者のほとんどが溺死したという。
何週間もかけてシリアからアルジェリアにたどり着き、密航業者が船を手配してくれるのを1カ月も待っていたというのに、ショックな報せだった。
しかし、このエンジニアから市民ジャーナリストに転身した彼は何千ドルも旅に注ぎ込んでいたし、妻と幼い娘たちが内戦から逃れ安全な生活を手に入れるには彼が頼みの綱だったので、メスコさんは他の12人の男性とともに小さな漁船に乗り込み、携帯がオフラインになる前に家族に送るグループセルフィーを撮った。
12時間の夜通しの渡海の後、メスコさんは10月15日にスペインのアルメリアに到着し、4日後にドイツに飛び、現在は亡命希望者としてビーレフェルト近郊の移民居住区にいる。
寒さにはまだ慣れず、ドイツ語を勉強する傍らスマホの翻訳アプリで諸事をこなしている。早く申請手続きが完了し、家族が合流できることを望んでいるという。
国際移住機関によると2022年中に西地中海を渡ってヨーロッパに入ろうとした移民が少なくとも246人は行方不明になっている。
過去数年こうした危険な航海のために何千人もの人々が亡くなっている。
レバノン、エジプト、リビア、アルジェリアを車と飛行機で横断し、最終的に船でスペインに向かうという一筋縄ではいかないヨーロッパへの旅路に出るクルド系シリア人は増えており、メスコさんはそうした一人だ。
こうした人々がこの遠回りのルートを選ぶのは、ヨーロッパに直結するトルコに潜入しようとするとトルコ軍やシリア内のトルコ軍傘下の武装勢力に拘束される恐れがあるからだ。
欧州連合(EU)の国境機関フロンテックスのデータによると2022年にアルジェリアとモロッコからスペインに地中海を渡ったシリア人は少なくとも591人で、昨年の合計の6倍になった。
アルジェリアのクルド系シリア人密航業者によると、海を渡るべく毎週数十人のクルド人がシリアからアルジェリアの沿岸都市オランにやって来るということだ。
この密航業者は「これほどの数になるのは初めてのことです」とアルジェリア当局による逮捕を恐れて匿名を条件にAP通信に対し語った。
長年に及ぶ内戦と経済の混乱はクルド人が実効支配し約300万人のクルド人が住むシリア北部に大きな傷跡を残している。
この地域は、シリア北西部の反政府武装勢力支配下の飛び地にいるダーイシュ傘下の過激派、トルコ軍、シリア反体制派から狙われている。
気候変動と貧困の悪化により、ここ数カ月でコレラの発生に拍車がかかっている。
メスコさんのように多くの移民はシリアの都市コバニ出身だ。コバニは 7年前に過激派組織「イスラム国」の残忍な包囲にクルド人兵士が耐え抜いたことで話題になった街だ。
この街は廃墟と化したままになっており、以来、再建しようという動きは「あまり起こっていない」とイタリア・フィレンツェにある欧州大学院のジョセフ・ダヘル教授は言う。同教授は開発資金のほとんどが東部の都市に向かったと続けた。
シリア北東部での最近の出来事は地域住民がこの地を離れようとする動機をさらに高めている。
11月にイスタンブールで発生した爆弾テロ事件で6人が死亡、80人以上が負傷した後にトルコはシリアのクルド人地区への攻撃を強化した。
トルコ政府は非合法認定されているクルド労働者党と米国が支援するシリアのクルド人民兵組織「人民防衛隊」を非難している。両者とも責任を否定している。
それ以来、トルコの空爆はコバニを含むシリア北東部の地域を襲いすでにぼろぼろのインフラにさらに打撃を加え、また、トルコ政府は地上侵攻も宣言している。
コバニ出身のエンジニア、ボザン・シャヒンさんは先月のトルコの空爆を回想した。
「母は恐怖に震え、4歳の妹を抱きしめて落ち着かせていました」とシャヒンさんは語った。
彼は今、シリアからヨーロッパに向かうクルド人の流れに加わりたいと考えている。
「密航業者を介してレバノンに行き、リビアを経由してどこかに行く方法を見つけた友人がいます 」と彼は話す。「詳しいことはわからないのですが、どうすれば安全にその旅ができるかを調べようと思っています」
何週間も、そして何千ドルもの費用がかかるこの作戦は密航業者のネットワークによって運営されている。シリア兵に賄賂を渡して検問所を通過するのだ。でなければ密航者は徴兵忌避や反政府活動といった罪に問われて拘束されることになる。検問を通過したら国境警備が緩いレバノンに入るのだと移民や密航業者は話す。
そして移民たちは通常、ベイルート内のすし詰め状態のアパートで1週間ほどを過ごし、密航業者の仲介でシリア大使館からパスポートが緊急発給されるのを待つ。
パスポートを手にしたらエジプトに飛び、内戦で荒廃したリビアのベンガジに向かうフライトに乗り継ぎ、別の密航業者ネットワークでアルジェリアに向かう。
「バンやジープに乗り、トリポリを経由して海岸沿いの道路を走りリビアを横断しました。500キロごとくらいに車を乗り換えました」とメスコさんは話す。
リビアは各武装集団がモザイク状に各地を支配しており、砂漠を横断する旅ではそれぞれの検問所を通過しなければならない。
「検問所の警備員には我々がシリア人だと知るとお金や携帯を取り上げたり、暑い中何時間も外に立たせたりと、ひどい扱いをする人がいました」と彼は話す。
メスコさんによると、彼より先に出発した移民グループを誘拐し身代金36,000ドルを要求した武装集団がいたとのことだ。
アルジェリアの都市オランに着いたとき、メスコさんは密航業者が管理するアパートに避難し、ほっとした。何週間も待つ間、彼と他の移民たちはほとんどの時間を室内で過ごした。
「オラン市内は自由に動けませんでした。なぜなら治安部隊はそこら中にいたし、我々は合法的に入国したわけではなかったからです」とメスコさんは言う。「それに、街中や沿岸にも移民を襲って金を奪おうとするギャングがいました」
人権団体は、アルジェリア当局が移民を逮捕し、一部のケースでは陸路で国外追放していると非難している。国連難民機関によるとアルジェリアは2021年前半に1万3千人以上の移民を南の隣国ニジェールに追放したという。
無事にドイツ入りし、妻と娘たちをドイツに連れて来られる可能性を手に入れた安堵感とは裏腹に、メスコさんはコバニを離れたことへの心残りを感じている。
「私は移住や、難民になることにずっと反対でした。戦争で他の地域に移らなければならなかった時も戻れる状況になったらコバニに帰っていました」と彼は話す。
メスコさんは亡命審査の面接と法廷聴取に多くの時間を費やしているが、数ヶ月前には夢でしかなかった亡命手続きが始まり前向きな気持ちだと言う。早く亡命が認められ、ヨーロッパで妻と娘たちと再び一緒に暮らせることを彼は望んでいる。
「シリアは戦争、腐敗、テロの震源地と化しています。我々は10年間このような暮らしに耐えてきましたが、私の子供たちにはこのような経験や、残虐行為を見たりして欲しくありません」と彼は言う。
AP