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レバノン、ラフィク・ハリーリ元首相暗殺から18年 ベイルートでの追悼式に数千人集まる

2月14日、18年前の同日に暗殺された父ラフィク・ハリーリ氏の追悼式で、叔母のバイア、叔父のシャフィク両氏とともに祈りを捧げるサアド・ハリーリ元首相(中央)。(ベイルート、AFP)
2月14日、18年前の同日に暗殺された父ラフィク・ハリーリ氏の追悼式で、叔母のバイア、叔父のシャフィク両氏とともに祈りを捧げるサアド・ハリーリ元首相(中央)。(ベイルート、AFP)
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15 Feb 2023 09:02:50 GMT9
15 Feb 2023 09:02:50 GMT9
  • 故ハリーリ氏の息子であるサアド・ハリーリ元首相は、追悼式のためベイルートに集まった数千人の人々と交流、自身の政界復帰を望む声を聞いて心を動かされている様子だった
  • 故ラフィク・ハリーリ氏の出身地である南部の都市シドンでも、人々が彼の写真を通りに掲げ、故人への思いを新たにしていた。写真には「レバノンに命を捧げた殉教者であるあなたへ。18年の時を経ても、シドンの私たちの思いは変わりません。決して忘れません」という言葉が添えられていた

ナジャ・フーサリ

ベイルート:レバノンのラフィク・ハリーリ元首相の暗殺から18年となる14日、同国の首都ベイルートでは同氏の追悼式が営まれた。市中心部にある元首相の記念館とその周辺には、息子でやはり元首相のサアド・ハリーリ氏、妹のバイア・ハリーリ氏をはじめ、政治家、外交官、著名人、知識人、宗教関係者、未来運動の支持者ら数十人を含む数千人の人々が集まり故人を偲んだ。

ラフィク・ハリーリ元首相が18年前の同じ日に暗殺された時刻・午後12時55分に、事件の発生地点に灯火が点された。

2005年2月14日、元首相を乗せた車列がその地点を通過する際に自爆トラックが爆発し、数十人が死亡、数百人が負傷する大惨事となったのだ。

ヒズボラとつながりを持つ複数の実行犯が、この事件の調査と起訴を担当したレバノン特別法廷により、暗殺に関与したとして有罪判決を受けた。しかし、ヒズボラが身柄の引き渡しを拒否しているため、彼らは今も自由の身である。

約1年前に政治活動から身を引いたサアド・ハリーリ氏は、この日の父の追悼式のためにベイルートに戻った。

追悼式に集まった人々に口数は少ないながらも語りかけた中で、彼は「レバノンに神の救いがあらんことを」と祈りの言葉を口にした。

ハリーリ氏はその後、ベイルートのハリーリ家邸宅で、聴衆に向けて話を続けた。「皆さんこそがレバノンを支える存在であり、私は何とかして皆さんのお役に立ちたいと思っています。既に申し上げた通り、この家は開かれた場所であります。神のご意思により、この家は、皆さんの存在と愛情とともに、開かれた場所であり続けるのです。皆さんは私のために泣いてくださった善良な人々であり、この家は皆さんと一緒にこの試練に満ちた道のりを進んでいくでしょう」

ベイルート市内や北部、ベッカー、南部の各地から記念館を訪れた多数の人々の安全のため、治安当局は記念館周辺に厳重な警戒態勢を敷いた。

集まった群衆は未来運動の青い旗を掲げ、ラフィクとサアド・ハリーリ父子への支持を叫ぶとともに、コーランの言葉を唱え、故ハリーリ氏の魂、および暗殺時に亡くなり彼の側に埋葬されたボディガードの魂のために祈りを捧げた。

アラブニュースは追悼式に集まった人たちの一部に話を聞いたが、彼らは皆、故ハリーリ氏のことを忘れないと誓い、また1975年から1990年の内戦後にベイルートを再建した彼の功績を称えていた。

「ハリーリ暗殺の責任を問われた者はおらず、(2020年の)ベイルート港爆発事故の責任を問われた者もいません。不公平がまかり通っているのです」と、トリポリから来たという未来運動の支持者は語った。

また、多くの人が、現在のレバノンにおけるスンニ派の政治指導者の不在を解消して欲しいと話している。

ベイルートに住むある女性は次のように語った。「レバノンの政治は、スンニ派を拒絶し続ける限り、決して軌道に乗ることはないと思います。議会の新しいスンニ派議員たちも、効果的な、あるいはバランスのとれた勢力を作れてはいません」

ハリーリ氏は、集まった群衆が自身の政界復帰を望む声をあげていたことに、心を動かされている様子だった。

彼はボディガードや治安部隊員たちから離れ、人々と言葉を交わし、握手をしていた。

ハリーリ氏は13日、ミシェル・アウン前大統領から電話を受けている。前大統領のメディア室によると、会話の内容は、ハリーリ氏に対し、今はレバノンが全国民の力を必要としている時であるから、長いブランクを終わらせて国に戻ってきて欲しい、と促すものだったという。

故ラフィク・ハリーリ氏の出身地である南部の都市シドンでも、同じく14日、人々が彼の写真を通りに掲げ、悲劇的な死を遂げた故人への思いを新たにしていた。

写真には「レバノンに命を捧げた殉教者であるあなたへ。18年の時を経ても、シドンの私たちの思いは変わりません。決して忘れません」という言葉が添えられていた。

ナビ・ベリ国会議長は次のように述べた。「ラフィク・ハリーリ元首相の殉教記念日にあたり、私たちは、偉大な故人が信じていた、お互いの合意、パートナーシップ、他者への受容という政治的道徳に基づいて行動するよう求められている。

だから私たちは、(内戦を終結させた)ターイフ合意に反したり、レバノンに害を及ぼすようないかなる試みも受け入れることはない」

ドロシー・シー駐レバノン米国大使も、ラフィク・ハリーリ記念館を訪れ、献花を行った。

また、ロシア大使のアレクサンドル・ルダコフ氏も記念館で献花を行った。

ロシア外務省は故ハリーリ氏を「レバノンを代表する偉大な人物、卓越した政治家、ロシアの友人であったが、卑劣なテロ行為によりベイルートで暗殺されてしまった」と惜しむ声明を発表した。

さらに声明は、次のように述べている。「レバノン国民に尊敬される最も優れた人物の一人、ハリーリ氏が暗殺されたことは、レバノンと世界の友人にとって、今も取り返しのつかない損失となっている」

「彼は、レバノンにおける流血と破壊しかもたらさない内戦に終止符を打つ、ターイフ協定の成立に重要な役割を果たし、祖国の再建に全力を尽くした」

「何度もロシアを訪れ、ロシアとレバノンの関係の強化・発展のために、個人としても努力を惜しまなかった」

故ハリーリ氏の暗殺以来、ヒズボラは、レバノンをイランの勢力下に収めることを目指して、目立たないが精力的な動きを続けている。

サアド・ハリーリ氏は、2019年に民衆の抗議運動により首相を辞任した。

その後、新政府の樹立を試みた際には、閣僚ポジションの割当てをめぐる各政党間、特に自由愛国運動の不合意により失敗、それからは政治から距離を置くようになった。

しかし、いくつかの政治グループが、スンニ派の政治指導部にハリーリ氏が参加するよう働きかけている。

一方、レバノンのアラブ世界の同盟国諸国との関係は、ヒズボラがその影響力を利用して敵対的な姿勢を取り、また禁制品の密輸に力を入れたため、冷え込んだ状態が続いている

一方、レバノン経済は、2019年以降、特に政府が外貨建ての債務の支払いに失敗して以来、下降スパイラル、そして逃れようのない崩壊状態に陥っている。

レバノンポンドは14日、再び過去最低水準を更新し、1ドル=73,000レバノンポンドで取引された。

同通貨の闇市場は13日、1ドル=68,000レバノンポンドで取引を終えていた。一部のガソリンスタンドは、新価格に関する指示を待つため、燃料の販売を拒否した。

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