
イラク、ナジャフ発: 怒り狂った反政府派の若者たちは日曜日、前夜に独立派を強調する首相が任命されたにも関わらず、イラク南部各地の広場で一歩も譲らず抗議している。
ムハンマド・アラウィは、反政府運動勃発のちょうど4カ月、そして圧力が高まったアーディル・アブドゥルマフディー首相辞任の2カ月後の土曜日に自らの首相自薦を発表した。
デモ参加者らは政府にも彼にも仕えず、政治的に独立した後継者を要求したが、元通信相のアラウィは基準を満たさなかった。
聖都ナジャフで日曜日に掲げられた新しい看板には「ムハンマド・アラウィは人々の命により拒否される!」と書かれていた。
同市のAFP記者によると、チェックのスカーフで顔を覆った若い男性たちはアラウィの指名に対する怒りから夜通し車のタイヤを燃やし続けたという。
ナジャフから続く主要ハイウェイや市内の道路は、日曜日午前の今も煙がくすぶるタイヤで封鎖されている。
バグダッドの南東約170kmにあるクートでは、数百人の人々が「一度試したことは二度と繰り返すべきではない!」というスローガンを繰り返し唱えた。
さらに南のディーワーニーヤでは、反対派が政府の建物まで進行し、学生たちが各種学校や大学ですわり込みを始める間の一日業務を中止するよう要求した。
ヒッラの反対派は市内へと続くすべての道路を封鎖し、「アラウィは人々が選んだ人間ではない!」のスローガンを繰り返し唱えた。
数カ月もの政治停滞の後に統一候補者として指名されたアラウィは、1カ月以内に組閣を行って議会の票決を得る必要がある。
同氏は最初の正式な挨拶の中で代議政治の形成と早期議会選挙実施を約束し、反対運動に対する暴力を法に照らして処罰することを保証した。これらはすべて反対派にとって重要な要求だった。
10月1日に集会が始まって以来、480人以上の人が死亡し、およそ3万人が負傷したが、流血の惨事の責任を問われたのはわずかしかいない。
反対派は当初、政治腐敗の終結、行政の改善、失業中の若者に対する就職斡旋を要求していたが、あっという間に政府の完全な刷新の提唱へと変わっていった。
AFP